巻の七 後編 天皇の祭祀は民の幸せを祈る

ヨ すめらみこと

 

 天皇は祭祀王だとはよく言われるが、ただ祭祀を執り行われるだけではない。祭祀の前には禊祓いをし、さまざまな行を執行して身を慎んでから神々に奉仕される。

 祭祀の前に行われる天皇の厳しい行や禊祓いは、われわれ世俗の人間にはほとんど伝わってこないが、それなくして賢所にお祭りする天照大御神はもちろん、神殿の八百万神、皇霊殿の歴代天皇の御霊に奉仕することはできない。

 国民(くにたみ)安(やす)かれとお祈りになる天皇の祭祀は、一般国民が考えるほど安易なものではない。

 では、「祈り」とは何だろうか。言霊的に解釈すれば、「いのち」を「のる」で、「いのち」は前にも述べたが「生きる知恵」、「のる」は『宣言する』の「宣(の)る」である。つまり、生きる知恵を国民に伝え、さらには後代に伝えていくのが「祈り」である。村上和雄氏流にいえば、祈ることで、いい遺伝子をオンにするのである。

 古代、天皇は「すめらみこと」と発音された。通常、「すめら」は「統べる」の意で、「みこと」は御言や命と解されている。

 まず、「すめ」という言葉から考えよう。「皇」の字で中国の皇帝と同じように見られてしまいがちだが、「すめ」に該当する漢字がほかに見当たらなかったため、やむを得ず当てはめたのだろう。中国皇帝とはまったく異なるのは言うまでもない。

 さて、子供は「すうすう」と眠る。そして人は、眠っている間に疲れを癒し、体の機能を生命の中心=丹田に統一する。つまり「す」は統一音である。「め」はマ行で転じて「み」になり、人々の霊を指す。「ら」は「ぼくら」などの「ら」で多い意味。

 これを総合すると、「すめら」は「多くの霊を統一する」神聖な存在という意味になる。

 また天皇は、天照大御神の皇孫である「すめみまのみこと」でもある。「すめ」は霊を統一する神聖な存在、「みま」の「み」は「身」で「ま」は間であり孫。間は人々と神々の間、孫は皇孫である。つまり、「すめみま」は人々の霊を統一する神聖な体を持った皇孫で、民と神々の間を取り持つ仲立ち者という意味になる。それが建国以来、ずっと続いてきた国が日本である。

 こう考えると、「すめらみこと」という称号が、天帝の意思と称して支配者がころころ変わった中国の皇帝や、武力で国王に就いた海外の王制といかに異なるかがわかる。

 もっとも、神倭伊波禮毘古命(神武天皇)は東征で武力を使ったではないかと反論する人もいるだろう。しかし神武東征は単純な武力制圧ではなく、常に神祭りと共にあった。そして、神祭りをおろそかにしたとき、熊野で登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の軍勢に破れた。

 日本の敗戦は大東亜戦争だけではなかったと前に書いた。そして大東亜戦争でわが国が負けたのは、神社から神秘性を取り除いた国家神道=官僚神道による、神祭りのない戦いだったからにほかならない。

 ゆめゆめ、神祭りを忘れるべからず。

 

 イ 神祭りの庭

 

 神道にとって神籬と磐境、磐座は最も神聖なものである。日本書紀には次のようにある。

 

 高皇産霊尊因(よ)りて勅(みことのり)して曰(のたま)はく、「吾(あ)は則(すなわ)ち天津神籬及(また)天津磐境を起樹(た)てて、まさに吾孫(すめみま)の為(みため)に齋(いは)ひ奉(まつ)らむ。汝(いまし)天兒屋命太玉命、宜しく天津神籬を持(たもち)ちて葦原中国に降(くだ)りて、亦(また)吾孫の為に齋ひ奉れ」とのたまふ。

 

 神籬と磐境を、広辞苑は次のように解説している。

 神籬=(古くは清音)往古、心霊が宿っていると考えた山・森・老木などの周囲に常磐木(ときわぎ)を植えめぐらし、玉垣で囲んで神聖を保ったところ。後には、室内・庭上に常磐木を立て、これを神の宿る所として神籬と呼んだ。(以下略)

 磐境=(イハは堅固の意)神の鎮座する施設・区域。神代紀「天つ磐境を起こし樹てて」

 磐座=(イハは堅固の意)神の鎮座する所。天関(いわくら)。神代紀「天の磐座を離(おしはな)ち」・山中の大岩や崖。

 

 神が宿る所とか、神の鎮座する所というのでは、一般の人が言葉だけ読めば、神籬も磐境も磐座も、同じように受け取ってしまうのではないだろうか。

 このあたりから考えてみよう。神籬は「霊天降(ひあもる)木」であり、さらに「日守木」でもある。「霊天降木」は文字通り霊が降臨する木。そして「日守木」の「日」は「霊=神」で、「守」は文字通り「守る」、「木」は「気」となる。気は生き生きとした霊気、宿った神を溌剌とした霊気が守るという意味合いになる。溌剌とした気とは、罪穢れを禊祓いした直霊(なおひ)のことだ。

 罪穢れを禊に禊、祓いに祓うと、浄く明く正しく直き直霊が現れる。直霊は人々が持っている根本の御魂で、ある意味では神々そのものといえる。つまりすべての人々は、禊祓うことで神々となる資格を持っているのである。

 神籬には現在、榊に紙などを垂らした玉串を使っているが、そもそもは天岩屋戸開きの際の御幣(みてぐら)が本である。古事記には「布刀御幣」について次のようにある。

 

天の香具山の五百津(いほつ)真賢木(まさかき)を根こじにこじて、上枝(ほつえ)に八尺勾玉之御須麻流之玉を取り著(つ)け、中枝(なかつえ)に八咫(やた)鏡を取り懸け、下枝(しづえ)に白(しら)丹寸手(にぎて)、青丹寸手を取り垂(し)でて、此の種々(くさぐさ)の物は布刀玉命、布刀御幣と取り持たして、天兒屋命、布刀詔戸言(のりとごと)祷(ほ)ぎ白(まを)して

 

 この布刀御幣がそもそもの神籬である。「五百津真賢木」は栄える木で常緑樹、後の榊だ。「根こじにこじて」は根のまま掘り起こし、枯れないように天岩屋戸の前に樹(た)てたのだろう。白丹寸手は楮(こうぞ)の木の皮の繊維でつくった白い木綿(ゆう)、青丹寸手は麻の布で、青味がある色をしている。

 布刀御幣に取りつけた上枝の八尺勾玉と中枝の八咫鏡を外し、白丹寸手と青丹寸手を残したものが神籬である。後世には丹寸手が紙の垂(しで)となり、榊に取りつけられて現在の神籬となった。勾玉と鏡は、速須佐之男命が献納した草那藝の剣とともに、三種の神器となって天皇に伝えられている。

 さて、天岩屋戸開けでは、真賢木に取りつけた鏡に天照大御神が映し出される。すなわち真賢木の鏡に天照大御神が降臨したことにほかならない。

 これは神籬が、神が臨時に宿る媒体だということを意味する。神事を行う場合、榊に垂を取りつけた玉串=神籬を立て、そこに神々の降臨を願う。

 人間も禊に禊、祓いに祓えば神籬になり、神々が降るのである。

 

  ム 国のあり方

 

 我が国の成り立ちやあり方など、国体を明徴にしているのは、記紀に伝わる天つ神の神勅である。その一つ、天壌無窮の神勅は、戦前に国威高揚のため、盛んに喧伝されたから、軍国主義のスローガンのように受け取る向きがあるが、日本という国の形をこれほど明確にした神勅はない。

 

 天壌無窮の神勅

天照大神(あまてらすおおかみ)皇孫(すめはま)に勅(みことのり)して曰(のたまわ)く

 豊葦の千五百(ちいほ)秋(あき)の瑞穂の國(くに)は是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さかえ)まさむこと當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。―日本書紀

 

 この神勅を、どうやったら軍国主義の権化と考えることができるのだろうか。天地(あめつち)と国が永遠に栄えるよう、天照大御神が皇孫のために、純粋に祈っているだけである。

 おそらく、特定のイデオロギーの持ち主たちは、皇孫=天皇が国を支配することを正当化する神勅と読んで、アレルギー反応を起こしているのだろう。

 もし、「治せ」ではなく、支配する意味の「うしはけ」という言葉が記されていたなら、彼らの主張は正しい。しかし、「治せ」とある通り、「聞こしめし、治(しろ)しめす」政(まつり)事(ごと)が我が国の国体であり政治体制であって、国王や皇帝の「うしはく」権力支配とは異なっている。

 特定のイデオロギーの持ち主たちは、日本という国の成り立ちや歴史を無視した、為にする主張をしているとしか思えない。最初から色眼鏡をかけないで、もっと素直にこの神勅を読んでもらいたいものである。

 ともすると彼らは、天皇支配を正当化するために記紀が作られたと主張する。そういう人々は記紀をきちんと読み、理解して発言しているのだろうかと、首を傾げざるを得ない。

 神武天皇が一度は登美能那賀須泥毘古に敗れたとか、武列天皇は残酷だったなど、記紀には朝廷にとって好ましくないことも多く記されているということを、彼らはどう受け止めるのだろうか。もし正当化するのなら、非の打ち所のない記録にするのではないか。

 古代の人々は、古事記序文にあるように「上古の時、言(ことば)意(こころ)並びに朴(すなほ)」だった。支配を正当化するような、自己中心的な人々ではなかった。自意識が強い現在の我々が、自分の考えや感覚を当てはめることは間違いである。

 自分の考えがこうだから、古代の人々もそうだと類推するのは浅はかで醜い。まず、自分の心に自己中心のさもしさがないかどうか、確かめてから発言すべきである。

 

 御鏡の神勅

 御鏡についての神勅は、古事記日本書紀にそれぞれ記されている。

 

天照大御神

是に其の遠岐斯(をきし)八尺の勾璁(まがたま)、鏡、及(また)草那藝の劔、亦(また)常世思金神、手力男神天石門別神を副(そ)へ賜ひて、詔りたまひしく、此れの鏡は、専(もは)ら我が御魂として、吾が前(まへ)を拜(いつ)くが如(ごと)伊都岐(いつき)奉(まつ)れ。次に思金神は、前(みまえ)の事を取り持ちて、政(まつりごと)為(せ)よとのりたまひき。―古事記

 

天照大神、手(みて)に寶鏡(たからのかがみ)を持ちたまひて天忍穂耳(おしほみみ)尊に授けて祝(ほ)ぎて曰(のたまは)く、吾(あ)が兒(みこ)、此(こ)の寶鏡を視(み)まさむこと、當(まさ)に吾(あれ)を視(み)るがごとくすべし。與(とも)に床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を共(ひとつ)にして、齋鏡(いはいのかがみ)と為(な)すべしと。

又(また)勅(みことのり)して曰(のたま)はく、吾(あ)が高天原(たかあまはら)に所御(きこしめ)す齋庭(ゆには)の穂(いなほ)を以(も)て,亦(また)吾(あ)が兒(みこ)に御(まか)せまつるべしと。―日本書紀

 

 記紀ともに、鏡が天照大御神と同じ存在だと記していることに注目しよう。天皇の御鏡神事の淵源がここにあるからである。

 皇室の祭祀が、天皇陛下のご健康問題から簡略化され、あるいは廃止されてきている。国の存在を脅かす由々しき問題だが、詳しいことは斉藤吉久氏の「天皇の祈りはなぜ簡略化されたか」(並木書房)や、中澤伸弘氏の「宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り」(展転社)などに譲り、「行」の面から宮中祭祀の重要な行事を考えよう。

 天皇の重要な儀式に「御鏡御拝」がある。御鏡を拝礼し、皇孫邇邇藝命、あるいは天照大御神と一体になる神事だと言われている。

 その通りなのだが、拝礼するだけで皇祖と一体化するわけではない。ここを間違えると、御鏡御拝の本来の意味がわからなくなる。

 御鏡御拝の淵源は天の石屋戸開けにある。速須佐之男命の狼藉で天照大御神は天の石屋戸に「刺許母理(さしこもり)坐(ま)しき。爾(ここ)に高天原皆暗く、葦原中国(なかつくに)悉に闇(くら)し」という状態になる。

 そこで八百万神が天の安の河原に集って思金神を中心に対策を考え、朝の到来を知らせる「常世の長鳴(ながな)き鳥を集めて鳴かしめ」、天照大神に岩屋戸から姿を現すよう促す。

 神籬を作って天宇受賣命が神楽を踊り、どよめき笑う神々に、何事かと天照大御神が石屋戸をわずかに開ける。そこで天兒屋命と布刀玉命が神籬の中枝に掛けた八咫鏡を見せ、天照大御神が不審に思っている間に、天手力男神が御手を取って招き出したと、古事記にはある。

 この部分について、大御神の御姿が鏡に映ったので、それを別の神と思われたとか、鏡は太陽の象徴なので、それを見られた大御神が、別に太陽神がいると思われた、などの解説がある。

 実に国語的な解釈だが、神道の行の面から考えるとまったく違う見方になる。

 天石屋戸に天照大御神が籠もられたのは、速須佐之男命の乱暴狼藉を止められなかった、自らの徳や力のなさを反省するためだった。そして天石屋戸で御魂鎮魂(みたましづめ)を行い、鏡に映ったおのれの顔が、邪気がなく清らかになったから天石屋戸から出たと解釈する。

 同様に、天皇の毎日の御鏡御拝は、天照大御神が天石屋戸から出た時の御尊顔のように、鏡に映った顔から邪気が失せ清らかになったことを確認し、それから政(まつりごと)に向かう重大な神事なのである。

 浄く明く正しく直き心身になったとき、天皇天照大御神と一体となり、さらに「此れの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拝(いつく)くが如伊都岐(いつき)奉れ」と命じられた皇孫邇邇藝命とも一体となる。

 鏡を拝するだけで天照大御神や邇邇藝命と一体になれるという、そんな簡単な神事ではない。鏡に映した顔が清い顔になるために、天皇はさまざまな努力をされている。

 御鏡御拝には、もう一つの意味が隠されている。

 仏像などは、いわゆる第三の目といわれる眉間に、はっきりした印を付けている。ヨガではチャクラと名付けている。インド女性が額にビンディーという印を付けるのは、ヒンズー教からきている。そして、大脳下垂体にある松果体に第三の目があると考える宗教家もいる。

 目を半眼に閉じて前方に意識を集中すると、眉間がむず痒くなる感覚を覚える。松果体は血液が集まってくる場所なのだろう。

 修行が進んで第三の目が開発されると、古神道では「眉間に鏡が出る」とされている。鏡を出すための行を御鏡神事という。

 その鏡は、ありとあらゆるものを映し出し、居ながらにして国の状況を知ることができる。「知ろしめす」という天皇の「政(まつり)事(ごと)」の意味は、ここからきている。

 天皇の御鏡御拝が、単なる儀式でないことは明らかである。そして御鏡御拝だけでなく、さまざまな祭祀のために、天皇は常に努力をされている。

 神々を祭るためには、身を清らかにしなければならないから、祭祀の前に修めるべき行事がある。禊や祓いはもちろん、瞑想や鎮魂などなど、祭祀のために前もって行う行事は楽なものではない。厳しいと言った方が正確である。

 それらを天皇は、身を持って行じられている。国事行為や、国民の前でにこやかに手を振られるだけが、天皇のお仕事ではないことを、多くの人々、特に国政を預かる政治家には理解してほしい。

 天皇は「すめらみこと」で、青人草の多く(ら)の魂(め)を統一(す)し、国民の生活を居ながらにして知ろしめし聞こしめし、祭祀で国、民、安らけく平らけくとお祈りになる存在である。

 歴代天皇は祭祀を最も大切にされてきた。後鳥羽天皇の第三子で、鎌倉幕府を倒そうと承久の乱を起こし、佐渡島へ流された第八十四代順徳天皇は、著書「禁秘抄」で「凡そ禁中の作法、神事を先にして、他事を後にす」と、すべてに祭祀が優先すると明確に書き残されている。

 明治天皇は、政より祭祀が先であると、御製で何度も示されている。

 

 かみかぜの 伊勢の宮居を 拝みての

 後こそきかめ 朝まつりごと

 

 古事記の神勅で、御鏡が内宮に祭られ、さらに思金神が「政為よ」と命じられていることは、我が国の国体を明徴にしている。御鏡神事とともに政治を行えという意味で、祭政一致が我が国のあり方であると示していることにほかならない。

 また日本書紀では、天皇は御鏡と常に一緒であれと、同床共殿が示されている。これも祭政一致が我が国のあり方であると示している。

 日本書紀によると崇神天皇の御世、「其の神の勢(いきおひ)を畏(おそ)りて、共(とも)に住みたまふに安からず。故(かれ)、天照大神を以(も)ては、豊鋤入(とよすきいり)姫命に託(つ)けまつりて、倭(やまと)の笠縫邑(かさぬひのむら)に祭」った。

 崇神天皇にとって、天照大神の同床共殿の神勅に反することだから、大きな決断だったに違いない。

 同床共殿の取りやめは、疫病で多くの国民が亡くなり、農民の流離や背反が相次ぎ、政治が乱れたことが原因だと一般には指摘されている。

 確かに、崇神天皇の時代は疫病がはやり、その原因が大物主神の祟りだったと、記紀ともに記している。そして、日本書紀によれば、大物主神が倭迹迹日百襲(やまとととびももそ)姫命に神懸り、神祭りを求めたとある。

 また、倭迹迹日百襲姫は不穏な童歌から、「武埴(たけはに)安彦が謀反(みかどかたぶ)けむとする表(しるし)ならむ」と反乱を予言した。

 このように、崇神天皇の御世は国内が大きく乱れたが、それが原因で同床共殿が取りやめられたとは考えにくい。国内の乱れを治めるには、いつでも神祭りできる同床共殿の方が望ましいからである。

 にもかかわらず、別殿で祭ることにしたのは、大勢の人間が出入りする宮殿では、安全に祭ることができない状態だったからではないかと推察する。

 当時の国内情勢は疫病や反乱があっただけでなく、中国大陸や朝鮮半島からさまざまな人間が流入していた。勝手な想像だが、中国大陸に成立した魏などの政権が、天照大御神の御鏡を手に入れ、日本を支配しようと狙っていたから、限られた人間しか出入りできない神域に移したのだろう。

 と同時に、宮中にあっては天皇お一人しか祭ることができないが、伊勢での御鎮座は「私幣こそ禁じられてゐたけれども、賢所と違って一般庶民の参拝は決して禁ぜられたことはなかった」(私本 式年遷宮の思想)から、国民と神宮の距離を大きく狭める役割を果した。

 さて、神勅は我が国の国体を明徴にしたうえで、国民の主食として高天原の稲穂を邇邇藝命に与えている。

「いね」は「いのちのね」で、「いのち」は「いきるちえ」だと前に述べた。つまり、「いね=いきるちえのね」を主食にし、知恵を遺伝子に蓄積して永遠に栄えよとなる。稲は米という単なる物質ではなく、神代からの「ちえ」を伝えていると認識すべきだろう。

 天壌無窮、御鏡の神勅とともに、我が国の国体を明確に示しているのが、先に述べた神籬磐境の神勅である。

 神籬は神々が降臨する依り代であり、磐境は神籬を安置する土台である。高皇産霊尊天津神籬及天津磐境を「起樹て」たのは、皇孫のために神々を祭る体制を高天原で作ったということにほかならない。そして、天兒屋命と太玉命に、天津神籬を奉じて、高天原でと同様に葦原の中つ国でも皇孫のために祭るよう命じている。

 天照大御神が天岩屋戸に閉じこもったとき、神籬を奉じたのが太玉命であり、祝詞を上げたのが天兒屋命だった。その功績ある天兒屋命と太玉命が皇孫とともに天下ったのは、高天原の岩屋戸開けに倣い、葦原の中つ国の岩屋戸開け、すなわち地上の岩屋戸開けに向けて神籬祭祀を行うためである。

 高天原(神霊界)は天照大御神が天岩屋戸に籠って鎮魂し、須佐之男命の荒ぶる魂も鎮まり、戦いのない調和世界となった。同様に人類も、戦いのない調和世界を、地球上に作り出す努力をしなければならない。その中心となるのは、高天原から天つ神籬を伝えられた日本であり、日本人であると、肝に銘じるべきである。その覚悟なくては、世界平和を叫んでも口先だけのコトダマ教になる。

 そして、日本人の自覚を得るために、理屈をこねることなく、神道の行を実践すべきである。禊で心身を清め、鎮魂行で物質界以外の世界があることを実感したとき、この世で何をなすべきかの使命を認識できるだろう。

 天壌無窮、御鏡、齋庭、神籬磐境の神勅は、日本の国のあり方、天皇を中心とした国体そのものを明示している。祝詞の多くに「下つ磐ねに宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて」とあるように、天皇は国の御柱であり、地球という現実世界と高天原とをつなぐ天の御柱でもある。

 禊、祓い、鎮めることで、国体が明確に認識されよう。