巻の八 後編 古神道の実際の修行法

 イ しづめ

 直霊を発現するためには、禊祓いに加え、鎮魂行が必要である。罪穢れを禊祓っても、肝心の直霊が体から遊離していては発現できない。遊離している魂を腹に鎮魂(しづめ)て、初めて神人一体となる。

 鎮魂行の一つが神籬神事、あるいは「ふる行事」といわれるもので、「高天原の神秘を解し、魂気の実在とその作用を体得する」(梅田筵祝詞集)という行である。

 こう書くと、一般の読者は抽象的でよく理解できないだろうから、具体的にどのようなことをするのか、文章で説明するのは難しいが、一日の行を可能なかぎり再現してみよう。

 朝、日の出直前に起き、外で東に向かって立ち、右の掌を上に向け、下に向けた左の掌を交差させて被せて組み、玉を持つように膨らみを作って丹田の前に置き、祓いたまえ清めたまえと唱え、全身を揺すりながら手を上下に振り、陽が昇るのを待つ。いわゆる振り魂だ。

 陽が昇ったら、両手を高く上げて、太陽の「気」を全身で受け取るつもりでゆっくりと鼻から息を吸い、手を合掌して下ろし、腹の前で振り魂をして丹田に気を籠める。十分に気が籠もったら、体を前に傾けつつゆっくりと口から息を吐き、手が地に着いたところで息を吐き切る。この時、体にあるわずかな邪気をも、手と足の裏から地球の奥底へ吹き込んでやるという気持ちで、全身に残っている息をフツと吐く。フツと吐くことで、邪気を清めてやる。

 次は鳥船行事で、左足を一歩前に出し、腰を伸ばして両手を少し前へ出す。船の櫓を漕ぐ体勢だ。腰から下は動かさず、腹を中心にして腕と上半身で船を漕ぐ動きをする。この時、腹に気を籠(こ)め、エイィーッ、エイィーッと掛け声を上げながら、地球という船を漕いでいると想像する。次は右足を前に出して同じように行ずる。

 日待ちも鳥船も気を腹に溜め、体の中の邪気を吐き出すつもりで何度か繰り返す。続けると、冬でも全身が熱くなっていく。

 禊をして再び振り魂をして外での行を終る。

 道場に入り、安座の姿勢になり、息吹永世をしながら導師が現れるのを待つ。

 導師は道場の前方に鎮座する神籬を拝し、修行生を火打ち石で祓い清め、向かい合って座る。この時、修行生は息吹永世を続けながら、目を閉じ、合掌した手を顔の前に置く。

 修行生を前に、導師は祝詞をあげ、祓い清め、鎮魂を行う。祝詞は三種祓詞から始まる。梅田筵の祝詞集は、言霊という観点から、すべて「ひらがな」になっている。

 

 とほかみ ゑみため

 とふかみ ゑひため

 とをかみ いむため

 はらひたまひ きよめたまふ

 

 通常、三種祓詞は「とほかみ ゑみため」を三回唱えるとされているが、梅田筵では三回とも異なる言葉をあげていた。「とふかみ ゑひため」は古史古伝の「上記(うえつふみ)」にある言葉である。

 三種祓詞を重視したのは、国学四大人の後継者を任じた大国隆正だった。大国隆正は三種祓詞を次のように唱えていたそうである。

 

 吐普(とほ)加身依(かみえ)身多女(みため)

 寒(かん)言(ごん)神(しん)尊(そん)利(り)根(こん)陀(だ)見(けん)

 祓(はら)ひ玉(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ

 

 いつの時代か、「吐普加身依身多女」を天津祓、「寒言神尊利根陀見」を国津祓、「祓ひ玉ひ清め給ふ」を蒼(あお)生(くさ)祓と呼び始めた。

 国津祓は八卦の天地万物のことで、八方位や八つの元素などを表しているといわれている。だが、「寒言神尊利根陀見」という言葉は、大和言葉ではあり得ない。易経八卦「乾(けん)兌(だ)離(り)震(しん)巽(そん)坎(かん)艮(ごん)坤(こん)」の文字と順番を入れ替えたものである。

 これでは伯家に伝わっていた三種祓詞そのものなのかという疑問を禁じえない。

 陰陽道に詳しい神道家の戸矢学氏は「陰陽道とは何か」(PHP研究所)で、「陰陽道で重んじる祓(はらえ)呪(しゅ)に『三種祓』がある」と述べている。「寒言神尊利根陀見」を含んだ三種祓詞は陰陽道や、それに影響された吉田神道で唱えられた詞のようだ。

 どれが本来の三種祓詞なのか明確ではないが、三種というくらいだから、三つの唱え詞があってしかるべきだろう。だがそれは、大和言葉だと考えるのが妥当ではないだろうか。

 とほかみえみための意味は不明だが、「遠つ神笑みたまへ」からきているとか、「とほ」を刀(とう)、「かみ」を鏡、「ため」を玉とする解釈がある。つまり、三種という言葉は、鏡、剣、玉の三種の神器を表しているというのである。

 三種祓詞は伯家神道、すなわち皇室で唱えられた門外不出の祝詞だったから、外部に伝わるにあたり、さまざまに変質した可能性がある。残念だが、伯家が断絶した今となっては確かめようがない。

 三種祓詞を宗教として世に広めようとしたのが、神道禊教の開祖といわれる井上正鐡(まさかね)(一七九〇~一八四九)である。井上正鐡は伯家に入門し、正式に神職となり、三種祓詞の言霊修行や鎮魂帰神、息吹永世を武士や大衆に指導し、「とほかみ神道」を唱えた。

 しかし、何人もの大名が井上正鐡の教えを受けたため、尊皇の志が広まるのを恐れた時の幕府が、天保十二年(一八四一年)に弾圧に乗り出し、翌々年には三宅島へ流された。天保時代は東北の大飢饉や大塩平八郎の乱などで世相が乱れ、幕府が神経質になっていた乱世であったから、井上正鐡のような弟子の多い人物は危険視された。

 三種祓詞は神籬神事のときに導師があげるだけでなく、修行生が大祓詞をあげるときや、後に述べる磐座行事という十種瑞御寳鎮魂行のときにも必ず唱える。

 その時、三十センチほどの金木(堅い木)に、細く割いた十五センチほどの長さのスゲを結び付けた祓い串を、一般の神主が持つ笏(しゃく)のように目の高さに取り持ち、「はらひたまひ きよめたまふ」の唱え詞のところで、天、地、人と祓う。

 この祓い串は、大祓詞の中程にある「天つ金木を本うち切り末うち断ちて、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置きたらはして、天つ菅麻(すがそ)を本苅(か)り断ち末苅り切りて、八針に取り辟(さ)きて、天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」とある金木と菅麻だ。

 前にも述べたように、大石凝真素美や川面凡児、今泉定助は金木と菅麻を占いの道具だとした。こうした権威ある先達に異を唱えるつもりはないが、大祓詞の文脈を素直に取れば、金木と菅麻は祓いの道具となるのではないか。

 細く割いた菅は「けがれを祓うためにまき散らす材料」(日本古典文学体系)であるから、それを金木に取り付けて祓い串にしたと考えるのが妥当だろう。現在でもスゲで作った輪を潜って祓う「茅の輪くぐり」の行事が各所で行われている。

 また大祓詞の「天つ祝詞の太祝詞事を宣(の)れ」と唱え、一拝し一呼吸置く場面では、梅田筵は伯家神道に倣って三種祓詞としていたが、大祓詞をあげるとき、実際に三種祓詞を声を出して唱えることはなかった。胸のうちで静かに唱えろということなのかもしれない。

 神籬神事では三種祓詞に続いて、祓禊詞、十種神寳祓詞、十種瑞乃神寳、布留部(ふるべ)詞、日文(ひふみ)詞、岩戸開、永世詞、三科(みしな)祓詞と、導師が鎮魂の祓詞を上げていく。

 この間、修行生は目を閉じ、合掌した手を胸より上に置き、静かに息吹永世を続ける。時間にして二十分ほどだ。

 導師のゆったりとした祝詞の声は、不思議なリズム感があって、詞一つ一つが、体の奥底の御霊を揺り動かすような体感があった。

 言霊を身に受けながら息吹永世を続けていると、合わせた掌が熱を持ってじっとりと汗ばんでくる。修行生によっては手が舞のように動いたり、ぶるぶると激しく震えることがある。その場合、祝詞の声に動きを委(ゆだ)ね、意識で動きを止めないようにする。

 合わせた掌が激しく震えるのは、ある種の霊動だ。「み」を「つつ」んでいた罪穢れが言霊で祓われ、修行生の守護神や産土(うぶすな)神、先祖霊、さらには憑依していたさまざまな「モノ」が浮き出してくるためである。

 一人で息吹永世をしていて霊動が現れた場合は、手を腹の前に下げて抑えなければならないが、神籬神事の場合は導師が鎮めてくれるので動くがままにする。

 神籬神事を受けた後は、身にまとわりついていた「つつむ」ものが、すべて祓い清められたという爽快な気分になる。

 熱いほどになった掌で、病気の箇所を撫でたり、怪我を覆うと、症状が改善するという。昔から病気を癒すことを「手当て」というが、掌から何んらかの力が出てくるのだろう。

 子供が転んで泣いたとき、打ったところを「痛いの痛いの飛んでいけ」と掌でさすったことは、多くの人が経験しているだろう。言葉の暗示と掌の力が、子供の痛みを軽減し、さらに怪我を治しているのに違いない。

 最近はハンドパワーとか、てのひら療法などという言葉をよく目や耳にする。MOA美術館で有名な世界救世教や、真光の名称のある複数の新興宗教は、「手かざし」で浄霊をする。掌にはそれだけの神秘な力があるからにほかならない。

 だが、誰でもハンドパワーで病気を治し浄霊ができるわけではない。厳しい修行を経て、初めてハンドパワーを身につけられるのである。ただ、ハンドパワーの取得だけが目的になると、悪霊が寄ることもあるから、安易な行動は慎むほうがいい。中には何の効果もないのに、ハンドパワーを得られるスクールなどと称し、多額の指導料を取る詐欺まがいもあるから気をつけなければならない、

 神籬神事の導師は、霊動を抑えられる行が進んだ人物でなければ、務めることはできない。さらにいえば、行の浅い導師だと、現れた霊を鎮めるどころか、自分に憑(つ)いてしまう。霊を祓い清め、霊位を上げることのできる力の持ち主でなければ、神籬神事を軽々しく行ってはならない。

 本来、神籬神事は鎮魂を受ける修行生を八人の先達が囲んで行ったそうだ。結界をつくり、外から悪しき禍津日(まがつひ)が寄らないようにしたのだろう。菅田正昭氏は御簾内の行は、八人の巫女、八乙女が回りを囲んだと記している。

 私が受けた神籬神事では、八人で結界をつくることはなかった。ただ、神懸かり行のときは、依(よ)り代(しろ)となる神主を禍津日から守るために、結界をつくるのだそうだ。残念ながら、私はそういう神事に参加する機会はなかった。

 結界をつくる八人は、それぞれ異なった霊力を持った人物ということだった。白川神祇伯時代に祭っていた八神殿の八神にちなんだもののようだ。この八神殿神祇伯の廃止で明治政府に返還、八神は現在、皇居神殿に祭られている。

 ム いわくら行

 神籬神事は導師が修行生の御魂を鎮魂(しづめ)めることから、他修鎮魂ともいった。これに対し、自ら丹田を練る行を磐座行事、あるいは「ふつ行事」、さらには自修鎮魂ともいう。

 磐座行事の目的は、正しい言霊を発声できるよう腹に気を溜めることである。言霊は誰でも発することができるわけではない。きちんとした修行で腹を練って、はじめて霊威が現れる。

 一般人がいきなりオペラ歌手になっても声が出ない。オペラ歌手は腹から声が出るように訓練しているから、マイクなしでも遠くまで声が通る。それと同じで、腹ができていない人間に言霊は出せない。言霊には、物理学的な音声の波動だけでは説明できない、深い神秘性が隠されている。

 磐座行は言霊を発現できるよう、ハラを練る行である。丹田に息を溜めて気を練り、生命の中心から声を出し、言霊を顕現させる。

 具体的にどのような行かといえば、神籬神事と同じで、言葉で説明することはなかなか難しいが、可能なかぎり記そう。

 初めに、息吹永世と同じように安座し、場所の神に修行の場をお借りする挨拶をする。これで行の妨げになる諸々のモノが、外部から近寄れないようになった。

 唱える神々は五種類あり、一番から五番まで、順に唱え、後半は逆に唱える。(道を行く 飯泉春長 非売品)より。 

 

 第一種 天照大御神、豊受の大神、代々(よよ)の御祖の神、八百万の神

 第二種 荒御、和御魂、幸御魂、奇御魂、大穴牟遅(おおあなむぢ)の神、大国主(おおくにぬし)の命(みこと)

 第三種 十種の神宝(おきつ鏡、へつ鏡、八束(やつか)の剣、生(い)く玉、まかる返しの玉、足(たる)玉、ちがえしの玉、蛇(おろち)のひれ、蜂のひれ、種種(くさぐさ)もののひれ)

 第四種 宮中八神と善導の二神(神産霊(かんむすび)、高み産霊(むすび)、生産霊(いくむすび)、足(たる)産霊、玉つめ産霊、大みやめ、みけつ神、事代主(ことしろぬし)、神直日(かんなおひ)、大直日(おおなおひ)の神)

 第五種 全国一の宮を念じ、六十四拍手

 

 第一種を唱え終わったら、息をゆっくり吸ってから合掌した手を高く上げ、腕を開いて体の横を下ろしながら息を吐いていく。そして、体を二つに折って指を開き、左右の人さし指と親指を合わせて床の上で揃え、出来たハート型に、腹に残っている最後の息を「フツ」と吐き切る。八俣遠呂智の命を断ったフツ音だ。

 左右の人さし指と左右の親指をそれぞれ合わせた指の印を、伯家神道では「太陽の印」と言ったようだが、どのような場面で印を結ぶのかは詳らかではない。

 次に両指を組み合わせ、腕を前方に伸ばし、掌で神宝をすくい取る気持ちで丹田に打ちつける。本当に打ちつけなくても、すくい取った神宝を丹田に鎮めるという意識を持つ。

 丹田に掌を打ちつけるたびに、オキツカガミ一つ、ヘツカガミ二つ……クサグサモノノヒレ十(とう)と、十種神宝を大きな声で唱える。

 打ちつけ終わったら両手を開いて前方斜め上に高く広げ、両手を振り魂の形にして息を鼻からゆっくり吸い、左手を上にして丹田の前に置き、しばらく気を溜めてから、最初のように合掌した手を上げながら細く息を吐き、さらに体側を通して体を折り曲げフツと息を吐き切る。

 次は、両腕を左右に開き、息を吸いながら体側を通って頭の上で合掌し、吸ったすべての息と気を丹田に鎮めるという意識を持って腹の前へ下ろす。この時、「このとくさのみたからを、そろヘて、ならべて、いつき、いまはり、さらに、たねちらさず、いはひ、おさめて、こゝろ、しづめて」と念じながら、振り魂の手の形を左上、右上、左上と変化させ、最後は指を組み合わせ、息を止めて胃に入った空気を抜き、腹に入った気を全身の力で丹田に納めるよう、「ウッ、ウッ、ウッ」と、小さい声を出して力を入れる。

 息が我慢し切れなくなったら、腕を思いっきり突き出して体を前へ倒し、組んでいた手を解いて広げる。この時、腹に溜めた気を、「アーッ」と気合をかけ、全身の力で一気に吐き出す。

 続けて、左、右、後ろ、前方真ん中と、十種神宝をすくい取る動作を繰り返す。腹を練り、気を丹田に納め、十種神宝を身に付ける行だ。正式な名称は、十種瑞御寳(みづのみたから)修法と言う。

 これで前半が終わり、三種祓詞と大祓祝詞をあげる。

 後半は第五種から唱え同じ動作を繰り返す。

 拙い説明を試みたが、神籬神事にしろ磐座行事にしろ、道彦の指導で体験してみないと、実際の動きがどういうものなのか、理解することはできないだろう。神道の行は学問とは異なり、体で覚えるしかないものである。

 梅田筵の十種瑞御寳修行法は、石上神宮に伝わっていた修行法に、極意を悟った伊和麿翁が独自に工夫した行法が加わり、前述の磐座行事になったようだ。

 神籬と磐座は神が宿る依り代、さらに磐座は神籬を支える土台でもある。神籬神事は天兒屋命が捧持して天孫と降臨し、磐座行事は天孫降臨に先立ち、十種瑞御寳修法として邇藝速日命が天降って石上神宮に伝えた。神籬神事と磐座行事がそろって、はじめて鎮魂行の体系が整うことになる。

 禊、祓い、清め、鎮魂は、神道の基本的な行である。そして、祭祀の前に執り行い、神々を祭る準備をするものである。

 祭祀というと神々へ奉仕する神事だけを思い浮かべがちだが、前修行事、つまり前もってこれだけの行があってこそ、はじめて神々を真正面から祭る資格が得られるのである。単に神々に仕える祭りをすればいいというものではない。

 伊和麿翁の生前最後の弟子で、筑波山神社宮司を務めた青木芳郎氏は「斯の道」(梅田伊和麿口述 梅田開拓筵刊)発刊に際し「梅田筵三十周年を迎えて」という文を寄せ、次のように述べている。

 

 この時参列者の一人から、梅田筵の神事は新興宗教や神社の神事とどう違うのかと問われた。私は「梅田筵の神事は、神社で行われている神事祭礼の原初の手振りと精神を承け継いでいるように思う。特に本番の祭りに入る前の神事が厳しく、形式化していないところが尊い」と答えた。

 

 中西旭氏は「神道の理論」で「祭祀する者は各自それに適(ふさ)はしき準備と資格があらねばならぬ。先づ、罪(つみ)穢(けがれ)あらざるべく更に神霊に共通し得る清浄の自我に到らねばならぬ」と前修行事の重要性を強調している。

 ナ 神楽

 さて、神楽は麻布道場時代に、伊和麿翁の幣祓いで女学生が無意識に踊った手振りからつくられた。神楽歌は独特の節回しで、舞は単純ながら深みのある手振りである。

 伊和麿翁は毎年夏、奥多摩の琴平滝近くの山荘に参籠し、二十余人を引率して玄米の粥に梅干、ゴマ塩の食事で滝修行をし、禊祓いを実践していた。胡蘭成氏の著書「建国新書」は次のように書いている。

 

 翁は剣道で神道を悟ったので、ぬさの祓ひ方は尋常の神職の比ではない。殊にその中の女学生数人の娘たちの頭上を祓ふと、娘たちの身体はすーと立ち上り、舞ひ出す。数人の娘たちはみな同じ手振りをして目は閉ぢたまま舞ふ。後できくと、この娘たちは曽て舞ったこともないのに、空中に鈴の音も聞え、絵にもない虹のような絹が漂ってくるので、自然に引かれて舞ひ出し、とても好い気分であった、といふ。

 

 麻布道場では、国を憂えるさまざまな人たちの子女を預かり、神道の指導を行っていた。禊に参加したのはそうした女学生たちで、「翁が幣で娘さんたちの頭上を祓うとみんな舞いだした。みんなきれいだった」と美保師は述懐していた。

 神楽は天照大御神が天岩屋戸に籠もったとき、天宇受賣命が神懸りして踊った古伝が基になっていて、岩戸神楽と名付けられている。

 古語拾遺天照大神が岩屋戸から現れたとき、神々が「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、をけ」と歌って踊ったと伝えている。この詞は、梅田筵では神籬神事の際、岩戸開という祝詞として唱えられていた。

 神楽は神懸りして楽しく嬉しく舞い踊り、天照大御神が岩屋戸を開いたように、人々の根本心である直霊を開発する。

 

一(ひいと)、二(ふうた)、三四(みひよ)、五六(いつむゆ)、七(なあな)、八九(やここの)、十(たあり)

はらひたまひ、きよめたまひ、さきはへたまへ、みおやの、みたま、

百(もーも)、千(ちーひ)、萬(よろず)

 

 この神楽歌は七五三のテンポになっている。最初の一から十までが七、はらひたまひからみたままでが五、百以下が三だ。

 一で左斜め上へ両手を動かして祓い、二で右斜め上、三四で左斜め下、五六で右斜め下、七で両手のひらを上にして体の前で上下させ、八九で開いた両手を前で回転させ十で合掌する。

 はらひたまひからみたままでは同じ手振りで、テンポが速くなる。最後の百は手のひらを上に向けてそれぞれの股の上で動かし、千で胸をさするようにし、萬で手のひらを上にして体の前で二度上下させて一揖する。

 言葉で書くとこんなふうになるが、舞を口で説明しても実際を理解することは不可能だ。道彦の指導で神楽を自分で行じるか、見るかしないと、本当の動きはわからないだろう。

 安座か正座をして無心にこの神楽歌と手振りをしていると、不思議に心楽しくなり、邪念がなくなっていく。単調な歌と手振りが、無我の境地へと誘うのかもしれない。

 このように、祭祀は天照大御神や八百万神をただ拝礼するのではなく、その前に厳しい前修行事が必要なことを知らなければならない。

 そして、「すめらみこと」はさまざまな行事を務め、祭祀に望まれている。そこには厳しい前修行事が存在していることを見逃してはならない。

 今上陛下(現上皇陛下)の御年齢や御体調を心配して、宮内庁は皇室祭祀を簡略化する傾向にあるが、簡略化するなら御公務を減らすべきである。にもかかわらず、祭祀の簡略化が進められているのは、宮内庁が皇室から神道という神秘的な神事を、信教の自由に反するとして、排除しようとしているとしか思えない。

 しかし、それは「すめらみこと」の「すめらみこと」たる前修行事まで簡略化され、皇室から神事の大切な伝統、神秘性が失われていくことにほかならない。

 明治三年に神祇伯が廃止されたため、「すめらみこと」が行ずる「祝(は)ふりの神事」が消失したとされている。それがどういうものか、断片的にしか伝わっていないが、天皇天皇である由縁の神事さえ、神の道を理解できない政治家や官僚のために、失われてしまったのである。

 明治天皇の御製を胆に命じなければならない。

 

 わが国は 神のすゑなり 神まつる

 昔のてぶり 忘るなよゆめ