永遠なる魂 波乱の人生を有機ゲルマニウムに懸けた男の物語
この作品は2002年10月にバンガード社から刊行した。だが、社長の木場康治氏が急逝、同社は解散となり、作品は絶版となった。
その後、アマゾンなどで古書が、4500円~1万6500円という、途方もないプレミアム付き金額で販売されてきた。
あまりにも行き過ぎであり、有機ゲルマニウムの開発者・故柿本紀博氏の気持ちにもそぐわないと考え、ブログに順次、全文を公開することにした。
このブログを故木場康治氏と、世界に先駆けてゲルマニウムを有機化した故柿本紀博氏に捧げる。
第一章 命の水
1
朝からの論文執筆に疲れ、浅井一彦は目を休めようと書斎から庭を眺めた。一週間前はまだ固かった桃の蕾がほころび、薄赤い色に染まっている。
出掛けるにはまだ早いな。
腕時計で時間を確かめ再び机に向かったが、これから通夜に出席しなければならず、無念さで意識が集中できない。
チャイムが鳴った。妻のエリカが出ていく気配がし、相談者だろうと進みそうにない執筆を中断し、長い髪のがっしりした体を和服に包んだ浅井は立ち上がった。
「お客さんよ」
エリカが小走りに書斎へ呼びにきた。ほっそりした頬が幾分か血の気を失っている。浅井の家には大勢の難病患者が訪れるから、エリカは応対に慣れているはずだが、顔色を変えるとは余程の重病人でもやって来たのか。
「応接室へ案内して」
「そう勧めたんだけど、遠慮して玄関から動こうとしないの」
「すぐ行く。お茶の準備をしてくれないか」
玄関には、薄いクリーム色のコートを着た三十歳ぐらいの女性に、厚いオーバーを着た男が支えられて立っていた。浅井は男の容貌に息を呑んだが、表情には出さなかった。
男は頭を包帯で厚く巻き、顔は火傷を負ったように腫れ上がり、皮膚は荒れてどす黒い色をしている。年齢は三十五、六歳だろうが、生命の輝きはまったく感じられず、深刻な病気に罹かかっているのが一目でわかった。
「加藤と申します。先生におすがりに来ました」
加藤は苦しそうに声を絞り出し、潤んだ目を浅井に向けた。桃の節句とはいえ外はまだ寒く、ここまで来るのは病体に負担だったに違いない。
「そんなところに立っていないで、お上がりください」
「ありがとうございます」
加藤は深々と頭を下げただが、一人で動くのも辛そうで、妻に助けられて浅井の家に上がった。
「どなたから私のことを?」
応接室のソファで向かい合い、浅井は加藤の全身状況を観察して尋ねた。オーバーを脱いだ加藤は無残なほどやせ細り、浅井の体格がいいせいもあって、余計に衰弱しているように見えた。
「入院中に隣のベッドにいた奥田という人が、浅井先生のゲルマニウムを試したらどうかと勧めてくれ、住所を教えてもらっておうかがいした次第です」
奥田という名前に記憶はなかったが、浅井の家にはさまざまな人たちが、有機ゲルマニウムの効果を口伝えで聞いて訪ねてくるから、どこかで縁があったのに違いない。
「症状を詳しく説明してください」
「昨年の春から空咳が酷くなり、血痰が出たので大学病院で診察してもらいました。結果はかなり進行した肺癌で、すぐ左肺の手術を受けました。しかし、右の肺にも転移しており、これ以上の手術はできないというので、プレオマイシンという抗ガン剤を注射されました」
加藤は息苦しそうに喘いで言葉をとぎらせた。隣に座った妻があわてて背中をさすり、しばらくすると落ち着いたようだった。
「そうしたら頭髪はすべて抜け落ち、顔や手足の皮膚は腫れ上がり、ひどい吐き気で食欲もなくなってしまいました。こんなに苦しむなら死んだほうがましだと思い、医者もお手上げなので、どうせ死ぬなら自宅でと退院しました」
加藤はそこまで言って再び肩で喘いだ。見るからに苦しそうで、末期の肺癌の辛さが伝わってきた。
「大変な目に遭いましたね。退院するとき、今後の治療のことを話してくれましたか」
「ほかにも抗ガン剤はたくさんあるから、それを使ったらどうかと。あまりの腹立たしさに、人間をモルモットにするなと、怒鳴りつけてやりました」
加藤の言う通りで、病院が末期患者をモルモットのように扱うのは、難病で入院した人ならだれでも経験することである。どうせ死ぬ患者だからと、医者は癌なら抗ガン剤を取っかえ引っかえ投与し、駄目でもともと、もし治れば自分の成果とばかり、さまざまな薬品を試す。
加藤もその被害を受けたようで、入院し続ければモルモット代わりにされ、苦しみ抜いて死んでいたに違いない。
「医者に言い返すとは勇気がおありだ。それだけの気力があれば、望みがあります」
「どうか、先生のゲルマニウムで私を治してください。小さい子供を残しては死ねません」
加藤はテーブルに両手をついて頭を下げた。それに倣った妻の目に涙が盛り上がっていた。
「私が今からお話しすることを、忠実に守ってください。病気は自分が治すのだと、まず強い信念を持ってください」
浅井は大きな目を見開き、加藤の顔を真っ直ぐ見つめた。
有機ゲルマニウムを初めて飲む人に、浅井は渡すときにかならず二つのことを話すことにしている。
まず、有機ゲルマニウムは従来の薬品と違い、体内の酸素を豊富にして自己治癒力で病気を治すものだから、それを衰えさせないために、酸性体質にならないよう食事に十分注意すること。次は、ほかの薬は一切使わないでほしい、という内容である。
なぜかといえば、薬品一般は異常細胞を殺しはするが、同時に正常細胞をも傷つけ、免疫力を低下させてしまうからだ。有機ゲルマニウムは体質を血液の酸素を増やして改善し、自己治癒力を高めて病気を癒すから、薬品と同時に服用するとせっかくの効果が薄れるのである。
「病院ではもう匙を投げています。先生のおっしゃる通りに頑張ります」
一時間ほど説明しているうちに、加藤の瞳に希望の光がわずかだが浮かんできたようだった。
「これが有機ゲルマニウムの水溶液です。あなたの場合、食前と寝る前の一日四回、グラス一杯をかならず飲んでください」
「それだけでいいのですか?」
「飲みたければどれだけ飲んでもかまいません。毒性や副作用はまったくありませんが、病気が快復に向かうと、メンケンといって副作用のように思える症状が出ることがあります。そんなときは飲む量を増やせば、症状は二、三日で消えます。メンケンが出たら治ると確信してください。症状が心配だったら、何時でもかまいませんから、私に電話してください」
「見ず知らずの私を、それほどまでご心配いただき 」 加藤が涙ぐんだ。
「私の使命は難病から患者さんを救うことです。一人でも多くの人が快復することをいつも祈っています」
加藤は全身状態から察し、治療は一刻の猶予も許されない状態のようだった。
拝むように有機ゲルマニウムを受け取り、妻に支えられて帰る加藤を見送ると出掛ける時間だった。頑張ってほしいと祈りつつ、浅井は喪服に着替え、加藤の後を追うように家を出た。
怒りが胸の中で渦巻いていた。医者は現代医療で癌がほとんど治らないとわかっているのに、どうして患者をモルモット代わりにするのか。加藤のような患者に出会う度に、浅井は医師制度や薬事法の存在に疑問を感じざるを得ない。
医者は患者の体力を弱らせるだけの無駄な手術や薬を投与し、やがては手の施しようがなくなり、苦しみに悶えさせて死に追いやる。有機ゲルマニウムを使えば、完治しないまでも苦しみから逃れられるのにである。
しかし、有機ゲルマニウムは毒性や副作用がないにもかかわらず、化合物だから薬事法の認可を受けなければ薬として認められない。そういう厚生省のかたくなな姿勢が、多くの患者を苦しめている。
薬品会社にしても、癌をたたくだけのために多くの抗ガン剤を開発し、患者の全身状態が弱っていくのを無視している。体力が落ちれば免疫力が低下し、癌の進行を促進するのがなぜわからないのかと腹立たしくてならない。
これから通夜に出掛ける小林の息子もそうである。医者にモルモット扱いされ、たった五歳で短い命を失った。
小林が訪ねてきたのは一カ月ほど前の深夜だった。小林は、玄関に迎えた浅井の顔を見るなり、長身の痩せた体を二つに折って哀願した。
「息子をなんとか助けてください」
小林の目は血管が今にも破れるのではないかと思えるほど赤く浮き上がり、その下には真っ黒な隈が痣のようにこびりつき、頬はげっそりそげ落ちていた。
「寒いですからお上がりください」
応接室へ招き入れソファで向かい合った浅井に、小林は涙を頬に滴らせ唇を震わせた。言葉を口にしようと努力しているが、感情が高ぶって声にならないようで、浅井は小林を落ち着かせようと静かな声で問いかけた。
「息子さんがどうかされたのですか」
「可哀そうで見ていられないのです」
「症状を詳しく説明してください」
「五歳になる二男です。骨髄性白血病で国立病院に入院しています
が、医者に絶望的だと言われ 」
小林は言葉をとぎらせ、血の気の薄い唇をきつく結んですすり上げた。
「治療はなさっているのですね」
「それがひどいのです。いろいろな薬を注射したり投薬するので、息子の顔は火脹れになり、全身に湿疹ができてしまいました。痒がって手でかきむしり、皮膚が破れて出血し、脇腹には穴があいて膿が流れ出しています」
小林は滴る涙を拭おうともせず、一言ずつ言葉を絞り出した。むごいとしか言いようのない悲惨さで、浅井は思わず身震いした。
「決して諦めてはいけません」
浅井は有機ゲルマニウムの効用について説明した。小林はそれにかすかに希望を見い出したのか、暗い目に一点の光を浮かべ、有機ゲルマニウムの水溶液を持って帰っていった。
五日後に小林は夫婦で浅井の自宅を訪ねてきた。
「症状が目をみはるほど良くなり、子供は命のお水といってしきりにほしがります」
小林の顔にかすかに明るさが出ていたが、目の光は暗かった。
「心配なことがあるのですか」
浅井は不審に思って問いただした。
「投薬が多くて困っています。先生のご指示通り、飲ませないようこっそり持ち帰っていますが、注射だけはどうすることもできません」
「退院しない限り、注射を拒否することはできませんね」
「どうしたらいいでしょうか」
「有機ゲルマニウムをたっぷり息子さんに飲ませるしかありません。抗ガン剤を投与されていると効き目は薄れますが、大量に飲めば効果があります」
入院患者は医者の指示に従うしかなく、浅井はそう伝えることしかできなかった。
「医者が退院を許可してくれればいいんですが」
小林は浅井と会っていくらか安堵したようで、来たときに比べると顔色が良くなっていた。
それからしばらくして小林から浅井に電話がかかってきた。
「おかげさまで息子の状態が日ごとに良くなったので、三日間の退院許可が出ました。短期間でも親子水入らずの生活ができるとは夢のようです」
「それは良かった。しっかり有機ゲルマニウムを飲ませてあげてください」
退院している間は投薬や注射から逃れられ、有機ゲルマニウムだけを服用できる。ある意味では、現代医療から逃げ出すチャンスだった。
「息子は命のお水と、喜んで先生のゲルマニウムを飲んでいます。そのおかげで食欲が旺盛になり、これが本当に重病患者なのかと驚くばかりです」
小林の電話の声は弾んでいた。諦めかけていた二男が、生き延びられそうな希望が見えてきて、喜んでいるさまが電話からでも察しられ、浅井は頬をほころばせた。
だがそれから一週間後に、小林は意気消沈して電話をかけてきた。
「息子が再入院しました」
「退院は三日ということでしたね。それを今まで?」
「息子が病院へ戻るのを嫌がるので、一日延ばしにしていたのですが 。今朝ほど病院から電話がありまして、きょう中に戻らなければ、万一のことが起こっても入院を拒否するというのです」
「そんな馬鹿な。それで、再入院させたのですか」
「そうまで言われては、病院の指示に従うしかありません。息子を説得して病院へ戻しましたが、なにやら胸に空洞ができたような気
がして 」
小林の話を聞いた浅井は首をひねった。言うことを聞かなければ入院を拒否するとは、まるで脅迫ではないか。
浅井は友人の医師に電話し、病院がどうしてそこまで入院にこだわるのか尋ねた。
「簡単なことですよ。厚生省から指定された難病は研究費が交付され、医者は患者に一切の負担をかけず、費用に関係なくさまざまな処置ができるんです。治療に成功すれば功績が高く評価され、失敗しても当たり前だから批判されない。難病治療は新薬などの実験室と化しているのです」
聞いた浅井は呆れるしかなかった。人命を救うためでなく、自分の研究成果のために治療を施すようなことがあっていいのか。それも患者に激しい苦痛を与える治療を 。
小林の子供が再入院で不幸なことにならなければいいがと、浅井は祈った。
だがその祈りは虚しく、再入院して六日後の今朝、息子が亡くなったと小林から連絡があった。病院へ戻らなければ、あるいは子供の命は救われたかもしれず、浅井は激しく歯ぎしりした。
小林の自宅は千葉県松戸市で、息子の通夜は葬儀会館の葬祭場で行われていた。うなだれて弔問客に応対している小林の前で浅井は頭を下げた。
「私の力が至りませんで、残念です」
「そんなことはありません。わずか一週間ですが、親子水入らずで暮らせました。夢のように楽しいひとときで、先生には感謝のしようがありません」
「入院してから具合が悪くなったのですか」
「ご迷惑でなければ、聞いてください」
小林が泣きはらした目を浅井に向けた。
「話してください」
「息子は、命のお水と言って、先生のゲルマニウムを喜んで飲んでいました。どんどん元気になり、これなら治るのではと期待したの
ですが 。それが、再入院して抗ガン剤の注射を打つようになってから、容体が急変し、息子はそれに耐えようと、懸命に命のお水を飲みました。それなのに 」
子供の様子を話し終えた小林は、口を閉ざして両手をきつく握りしめた。
「それでも、せめてもの救いだったのは、死顔は微笑みをたたえ、苦しんだ様子が一切なかったことです。お棺に入れるまで体温が残っていて、まるで眠っているようでした」
嗚咽をこらえ懸命に話す小林に目頭が熱くなり、浅井は顔をそらして祭壇に目を向けた。写真の幼い顔が笑っていた。
焼香し、柩に収められた息子の顔を拝んだ。まだ頬に血の気があるように見え、安らかな寝顔だった。
有機ゲルマニウムを服用していれば、たとえ亡くなっても末期癌特有の苦しみはなく、眠るように安らかな死を迎える例が多い。小林の息子も苦しむことなく、穏やかに昇天したに違いない。それがせめてもの慰めだった。
「いい表情をされています。天国ではきっと元気な生活を送られるに違いありません」
「先生にお目に掛かれて、息子もきっと本望だと思います」
小林は真っ赤な目で息子の亡骸を見つめ、浅井に向き直って深々と頭を下げた。
「ご迷惑でしょうが、息子の供養のために、これをお読みになっていただけませんか」
帰りがけに、若いころ看護婦をしていたという母親が、一冊のノートを浅井に手渡した。入院中の子供の様子や治療状況を日記に書いたものだった。
帰宅した浅井は書斎でノートを開いた。小林の息子は入院中にさまざまな薬を注射され、飲まされていたことが、克明に記されていた。病院は新薬の効果を試そうと、幼い子供をモルモット代わりに扱ったのだった。
母親は薬の知識があるだけに、息子がどういう状態で死んでいったか正確に把握しているようで、その心境はいかばかりかと察し、浅井は胸が震えるのを抑えられなかった。