永遠なる魂 第一章 命の水 4

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 気がつくと浅井はベッドに寝かされ、エリカが目に涙をいっぱいに溜め見つめていた。

「良かった。気がついたのね」

「ああ」

 気力はまったく失せていて、浅井は小声で答えることしかできない。

「柿本さんから聞いたわ。でも、気を落とさないで」

 エリカの目から涙が溢れ、頬から顎を伝って胸に落ちた。浅井の病がぶり返すのではないかと心配しているのに違いなく、大丈夫だと答えてやりたいが、意に反して喉から声を絞り出すことすらできず、目でうなずいただけだった。

 現物出資した調布市の研究所は売却されてしまい、せっせと製造して東京健康社へ運び込んだ有機ゲルマニウムの原料費は、前畑から支払いがないとなると浅井が被らざるを得ず、浅井は身ぐるみ剥がれたも同然だった。

 易者の予言、昨夜掛け軸が激しい音をたてて落ちたこと、それらが頭の中を何度もくるくると巡るだけで、全身に力は入らず、ベッドから起き上がることすらできない。エリカは病気がぶり返したと心配し、有機ゲルマニウムで治った記憶があるから盛んに飲めと勧めるが、そんな気力さえ湧いてこない。

 天は努力するものを救うはずではなかったのか。

 神や仏さえ恨みたくなったが、こんな苦境に陥れば、天はかならず助けてくれると、浅井は信じた。これまで何度も絶体絶命に追い込まれてきたが、その度にいつも協力者が現れた。今度もきっとそうなる。

 浅井は以前から愛誦する座右の言葉があった。挫けそうになると自分に言い聞かせるように口ずさんだ。

 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる

 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる

 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

 浅井は三日三晩ベッドで寝た切りになり、このまま死んでしまうかもしれないがそれでもいい、とさえ思った。だが、難病に苦しむ人々を、生命の元素、有機ゲルマニウムで救う使命が自分にはあるのだと、腹の奥底から熱いたぎりが噴き出し、座右の言葉を繰り返し愛誦し、気力を奮い立たせた。

 四日目にやっと起きられるようになり、使命を果たさなければならないと奮起したが、財産はすべて前畑に奪われ、研究や製造を再開しようにも身動きが取れない。浅井にあるのは有機ゲルマニウムの知識だけという有り様だった。

 それでも浅井は絶望せず、開ける道はかならずあると信じて疑わなかった。もっとも世事に疎い浅井は、無から有を生じさせる知恵はなく、どう再起するか思い悩むだけで、時間だけが無駄に過ぎていった。

 そんな時、石炭綜合研究所の所員だった小松泰司が訪ねてきた。小松は研究所時代に経理を担当していた。有能な実務家である。

「柿本君から詳しい話を聞きました。私でできることならなんでもしますから、研究を再開してください」

 見れば小松は血色が良く、研究所時代に起こした超音波事業のタンケン株式会社が順調で、貯金がそれなりに出来たから使ってほしいというのである。

 懐かしさと思わぬ申し出に、浅井は自然と頭が下がった。鬼や悪魔だけかと世を恨んでいたが、やはり善意の神はいる。小松の好意に報いるためにも、有機ゲルマニウムを世に普及しなければならないと、浅井は改めて自分を叱咤激励した。

 再出発するにしても、まず有機ゲルマニウムを製造しなければ始まらない。浅井は気を取り直し、自宅からほど近い小工場群で使っていない物置を見つけ、わずかな家賃で借りることに成功した。

 小松は海軍時代の友人で、貿易会社を経営する丹野を紹介してくれた。丹野は俳優の丹野哲男の実兄で、体調を崩していたのを有機ゲルマニウムで快癒していたから、協力的だった。一億円を出してくれ、製造に必要な設備一式を買い、再出発の準備を整えてくれた。

 物置の土間にコンクリートを打ち、有機ゲルマニウム合成用の電気炉を取り付け、実験台も据えつけた。必要な金はすべて丹野が拠出してくれた資金で賄え、有機ゲルマニウムの製造を再開できたのである。

 浅井とずっと行動をともにしてきた柿本が、ここでも血の滲むような努力をして、月産五キログラムの生産体制に入った。

 浅井が有機ゲルマニウムの製造を再開すると、人づてにさまざまな人たちが訪ねてきた。もちろん難病患者や身内に病人を抱え、藁をもつかむ気持ちで来訪した人たちである。

 医薬品として有機ゲルマニウムを渡せば薬事法違反となるため、訪ねてきた人には新たに作ったゲルマニウム愛好会の会員になってもらい、研究費として実費を受け取ることにした。会員組織は前畑が口にしていたことで、それがこんなところで役立つとはと、浅井は苦笑を抑えられなかった。

 浅井は新しい人に有機ゲルマニウムを渡す時、かならず二つのことを話すことにしていた。まず、有機ゲルマニウムは従来の薬品と違い、体内の酸素を豊富にして自己治癒力で病気を治すものである。だから、絶対的に信頼し、自己治癒力を衰えさせないためにも、酸性体質にならないよう食事に十分な気を払うことという注意である。

 二つ目は、浅井が二十数年もの間、ゲルマニウムに執念を抱いてきたのは、有機ゲルマニウムで難病に苦しむ人を救うという、天から授けられた人類救済のビジョンがあったからである。だから、病人は祈りを込めて有機ゲルマニウムだけを服用し、ほかの薬は一切使わないでほしい、という内容だった。

 なぜかといえば、薬品一般は対症療法として使われるが、有機ゲルマニウムは病気の体質を酸素を豊富にして改善し、自己治癒力で癒すものだから、薬品と同時に服用するとせっかくの効果が薄れてしまうからである。

 訪ねて来る人は日を追って多くなり、会員の人数は膨れ上がっていった。薬事法でいう不特定多数に売っているのではないと主張しても、色眼鏡で見ればそうは受け取れないようで、さまざまに中傷され、警察や厚生省の目を気をつけなければならない状況になっていった。どうすれば危険な状況を打開できるか頭を悩ませていた時、浅井の名前で申請していた特許が成立した。昭和四十六年三月のことである。

 成立した特許の命題は、「生体内の異常細胞電位を変化させ、その機能を停止させる作用を持った化合物の製造法」というもので、腹水癌細胞に有機ゲルマニウムを作用させてできた変性像の顕微鏡写真を添付してある。この写真を詳細に見ると、癌細胞が爆発したように粉々になり、細胞膜の周囲にぼんやりした発光現象が見える。これが将来、重要な現象であることがわかっていくが、この時の浅井はそこまで考えが思い至らなかった。

 特許成立を機会にゲルマニウムの研究は大いに進んだ。自らの体験で有機ゲルマニウムが病気に有効なことはわかっていたし、古い文献にも体内の赤血球を増加させると記されていたが、具体的なメカニズムとなると、異常細胞の電位変化ということしかわからなかった。だが研究の結果、有機ゲルマニウムは体内の酸素を著しく増加させるという、浅井の推測を事実として確認した。

 人間は生きていくために食物を摂り、食物は体内で燃焼してエネルギーを作り、最後は炭酸ガスと水素になる。炭酸ガスは呼気で肺から排出され、水素は酸素と結合して水になって体外へ出るというのは、生理学の基本である。

 この水素は陽イオンで、生体にはまったく不要なダストのようなものだから取り除かなければならないが、そのためには大量の酸素が必要となる。だが、浅井の有機ゲルマニウムは強い水素結合力があり、

服用すると酸素の代わりに水素と結びつき、二十 三十時間で生体内からすべて尿となって排出される。つまり水素を排出するための酸素の使用を抑え、結果的に体内の酸素量を増やすのである。

 酸素の増大という仮説を裏付けるように、有機ゲルマニウムを飲んで十分もすると身体中が温かくなる。

 だか、それを誤解する人もいた。ある日、五十歳ほどの品のいい婦人が二人の女性に付き添われて自宅を訪ねてきた。良く見ると、映画ファンにはお馴染みの栗栖という女優で、映画界を引退したあとは日本舞踊の師匠として活躍している人だった。

「手先と足先が痛んでどうしようもありません。あちこちの医者にかかったのですが、難治性の病気だといわれ、いくら薬をもらっても治りません」

「医者は病名を教えてくれましたか」

レイノー病だそうです」

 病名を聞いて浅井はなるほどと思った。レイノー病は現代医学ではお手上げで、病気が進行すれば手足が壊疽を起こし、切断しなければならなくなる。

「たしかに難病ですが、心配はありません。ゲルマニウムを信じ、かならず治ると念じてください」

 浅井はレイノー病について説明し、顔をしかめて聞いている栗栖に有機ゲルマニウムの水溶液をウイスキーグラスに注いで手渡した。栗栖は恐る恐る水溶液を飲み干した。

 ゲルマニウムの説明を続けていた浅井を、いきなり栗栖がきつい目で睨み付けた。

「先生。私にお酒を飲ませましたね」

「どういうことですか。私はゲルマニウムの水溶液を差し上げただけですが」

「絶対にお酒です。その証拠に、身体中がぽかぽかと温かくなって、お酒が回ってきた時と同じです」

「それはゲルマニウムが効いてきた証拠です」

「あっ! 手がこんな色になりました」

 来た時は血の気がなかった手の白い指が、ピンク色に染まっていた。まるで別人の手のようである。

「痛みも軽くなっています」

 栗栖は自分の手を見つめ、目に涙を浮かべた。来た時は足を引きずるようにしていたが、帰りはしっかりした足取りをしていた。

 まさか酒と勘違いされるとは思わなかったが、わずかな時間でこれほど効果があるとは驚きだった。

  以前も画家や彫刻家、音楽家などの芸術家が有機ゲルマニウムを服用し、当人よりも浅井の方が驚くばかりの効果を上げていた。栗栖との出会いで、有機ゲルマニウムは心が純粋な人には、想像をはるかに上回る効果を発揮すると浅井は確信した。

 有機ゲルマニウムを飲めば血液の粘りが低くなって血色が良くなり、さらにあくびは出なくなるし、一酸化炭素の中毒が立ちどころに治るという結果が出ている。

 酸素は人類が生きていくのに不可欠なもので、欠乏すれば万病が起きるというのが浅井の考えである。

 同じ意味のことが、癌の世界的研究者として有名なドイツのワールブルグ博士の論文に載っている。人体の細胞は好気的生活を行っているから、酸素が欠乏すると、生き延びようと生体内の細胞が変化し、解糖作用をはじめて嫌気的生活に転じる。この細胞の核が癌細胞の核と一致するというのである。

 さらに、ストレス学説のセリエ教授は、生体臓器に流入する血液の量を血管を軽く縛って減らすと、その臓器に病変が起きることを明らかにした。血液の量を減らせば酸素を運ぶヘモグロビンの供給が減少し、酸素欠乏につながるためである。

 酸素不足がすべての病気の元凶といえるが、体内の酸素が不足する最大の原因は酸性体質である。血液中に水素陽イオン、いわゆるプロトンが多いと、血液は酸性に傾く。この水素イオンは酸素イオンと結合して水酸基を作るが、そうなると体内の酸素が消費され、酸素欠乏を起こすのである。

 ストレスも酸素不足の大きな原因になる。セリエ学説では、人間でも動物でも、精神的ストレスで主に副腎から分泌されるホルモンがアンバランスとなり、血液を酸性にし、酸素欠乏につながると言っている。

 血液を酸性にする食事や精神的ストレスが酸素欠乏を引き起し、それが難病の原因になっていく、と浅井は断定せざるを得ない。

 東洋医学では、健康を維持するには陰陽のバランスの取れた食事をするよう指導している。偏った食事を続けると体質が酸性になり、さまざまな病気が起こると指摘しているが、分子生物学の発展で水素イオンがその元凶とわかったわけである。

 酸素欠乏が原因で起こる難病に、有機ゲルマニウムが絶大な力を発揮することがわかったが、一般に普及させるには薬事法の認可を得なければならない。折しも、昭和三十七年にはサリドマイド含有睡眠薬で奇形児が生まれ、四十年のアンプル入り風邪薬による死亡事件、四十五年のキノホルムによるスモン事件など、薬害事件が相次いでいた。このため、厚生省は医薬品製造承認等に関する基本方針を打ち立て、薬務局長名で通達していた。

 一、医療用医薬品はその他(家庭薬)と区別して取り扱うこと。

 一、製造承認申請書類に添付する資料の規定を明確にし、特に安全性と有効性に関し               ては十分な資料の提出を求め、使用上の注意に関する案文も提出すること。

 一、新薬品は発売後二年間の副作用報告期間を義務づける。

 一、製造が承認され、薬価基準に収載されたものは、その後三カ月以内に供給を開始            し、一年以上供給を続ける義務がある。

 薬害事件が深刻化したゆえの通達だが、有機ゲルマニウムの製造承認を受けるには、この基準をクリアしなければならない。

 もちろん、浅井一人の力でできるはずはないが、有機ゲルマニウムの効力は良心的な医師にも認められ始めていた。浅井はあらゆる人脈を使い、有機ゲルマニウムの製造承認を得るための努力を開始するが、それが厚生省や薬品会社という権力、学者のエゴとの戦いの除幕になろうとは、人を疑うことを知らない浅井には、予想すらできなかった。