永遠なる魂 第六章 あすに向かって 1

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 あすはいよいよ念願の日。目が冴えてなかなか眠られない。奇しくも、GE-一三二が完成して十年目である。

 外は強い風が吹き、激しく雨が降っている。天気が少しでも回復してくれればいいがと祈るような気持ちだ。

 ここまで来るのにずいぶん長い時間がかかった。資金に余裕があったことはなく、廃人同然の重い病に倒れ、やっと元気になったら今度は騙されて身ぐるみ剥がれ、いつ挫折してもおかしくない苦境に何度も陥った。だが不思議なことに、その度ごとにどこからか救いの手が差し伸べられ、石炭の研究から始まったGE-一三二の薬理効果の研究を、やっと軌道に乗せることができた。

 晴れの日を迎えられるのは浅井一人だけの力ではなく、満足な報酬を得られずとて、ずっと苦労をともにしてきた及川や柿本たちの努力が大いに役立っている。だがそれ以上に、目に見えない何かの力が働いているように感じられてならない。そうでなければ、浅井をここまでゲルマニウムの研究に没頭させた理由がわからない。

 きっと生命の元素であるゲルマニウムで、人類を救えという大いなる意志が、浅井たちを研究に駆り立て、見守ってくれたのに違いない。

 雨足が少し弱くなってきたようである。寒い中を出席する参会者のために、是非ともやんでほしい。そう祈りながら、浅井の思考は過去のさまざまな出来事へと向かっていく。ドイツでの生活、ソ連軍に捕らえられた時のこと、よく生きて日本へ戻れたものだ。

 家族や義母の救出にしても、ただ単に幸運だっただけでなく、見えない意志が浅井を助けてくれたのではないか。

 敗戦した祖国復興のためにと始めた石炭の研究も、決して恵まれていたわけではない。常時、資金繰りに苦しみ、所員たちに辛い思いばかりさせた。だがそのおかげで、ゲルマニウムという元素に出会え、癌や心臓病などの難病から人類を救う手だてが見つかったのだ。

 GE-一三二を合成してからの道のりも、決して楽ではなかった。どんなに苦しくても研究を放り出そうと頭の隅でさえ考えたことはないが、もう終わりかと観念することはたびたびだった。自殺さえ考えたことがある。

 それに所員ともども耐え、あすという日を迎えられるのは感激にたえない。GE-一三二の新しい一歩が始まるのだ。

 だが、気を抜くのはまだまだ早過ぎる。GE-一三二がいかに偉大なものかを、広く人類に知らしめなければならない。日本の片隅に埋もれていたのでは、人類を難病から救う大願は果たせない。

 ゲルマニウム研究会で本格的な臨床試験が始まったとはいっても、厚生省が簡単に薬事法の認可を下ろすと考えるほど甘くはない。癌の新薬の開発は十年、かかる費用は二十億円とも三十億円とも言われているが、それを企業ではなく一個人がやろうというのだから容易ではない。

 GE-一三二の効果があまりにも凄まじいので、自社の薬品が売れないからと製薬会社から圧力がかかったり、心ない医者が誹謗中傷を繰り返している。わずかでも気を抜けば、どんな罠にはめられるかわからない。

 GE-一三二が真価を発揮するのは、これからの努力にかかっている。患者が安く使えるようにならなければ、本当の意味で難病患者を救済するということにならない。

 考えているうちに、いつしか雨はやんだようだ。これで出席者に不愉快な思いをさせなくてすむ。

 念願が叶うまで大勢の人に世話になった。佐藤大使、管社長、斉藤代議士、みんなゲルマニウムの神秘を認め、力の限り応援してくれた。

 佐藤大使や管社長がいなけば石炭綜合研究所を維持することはできなかっただろうし、斉藤代議士がゲルマニウムに興味を示さなかったら、今日のGE-一三二はなかったかもしれない。私利私欲のない、国を心底から憂える人たちばかりで、浅井は多くのものを学んだ。

 その人々にこそ、あすという日に出席してもらいたかった。だが、佐藤大使をはじめみんな鬼籍に入られた。きっと天上からあすの晴れの日を見守ってくれるだろう。

 物思いに耽っているうちに、浅井はいつしか眠りに誘い込まれたが、うつらうつらしたと思ったら雀の鳴く声で目が覚めた。雨は上がったようである。

 わずかな睡眠しか取れなかったが、頭は冴え気力も体力も充実している。雨戸を開けた。厳冬の寒気は肌を刺すほど冷たいが、空は青く晴れ渡っていた。きのうの荒天が嘘のようである。浅井の願いを天が聞き入れてくれたのに違いない。

 昭和五十二年二月十一日建国記念日、狛江市和泉に新築した浅井ゲルマニウム研究所の開所式には、ゲルマニウム研究会や臨床研究会の主だったメンバー、GE-一三二で命を救われた大勢の人たち、映画をともに制作した松緑神道大和山の信者たち、地元狛江市の市長や議員が駆けつけた。

 GE-一三二を信じ、難病を自らの力で克服した患者たちの出席が、浅井は何より嬉しかった。

 新しい研究所は鉄筋の白い四階建てで、最上階には世界最大規模のゲルマニウム有機合成設備が設置してあり、世界最高水準であることは疑いない。

 開所式は午前十時からで、浅井は早めに研究所へ到着した。完成したばかりの建物を見上げた浅井は、何度も苦境に陥ったのが悪い夢だったとしか感じられない。バラック住まいだった研究所生活から、やっと自前の立派なビルを持てたとは、感無量である。

「おめでとうございます」

 研究所のドアを潜った浅井に、柿本が駆け寄ってきた。開所式まで二時間あるが、それまでじっとしていられず、浅井同様に早く出てきたのに違いなかった。柿本は石炭綜合研究所時代から浅井と行動をともにし、苦しい時も決して離れていこうとはしなかった。彼がいなかったら、今日の浅井ゲルマニウム研究所はなかったに違いない。

「やっとここまでこぎ着けたな。これからがゲルマニウムの正念場だ」

「これだけの設備で研究を進めれば、GE-一三二はきっと新薬として認められます」

 柿本は水に溶ける有機ゲルマニウム開発の功労者で、研究を一緒に始めた当時は黒い髪がふさふさしていたが、今は真っ白になっている。そういう浅井も豊かだった髪は白く薄くなっている。石炭綜合研究所からともに始めた研究生活の長さを物語っているようだった。

「大企業ならともかく、一個人が薬事法の壁を崩すのは容易ではない。お互い、気を引き締めよう」

「全力を尽くします」

 頬を紅潮させた柿本が握手を求めてきた。

 話しているうちに、開所式の時間が来た。会場は一階のロビー兼展示室で、出席者が入り切らず外に溢れていた。これだけ大勢の人たちが、浅井ゲルマニウム研究所の開所式に駆けつけてくれたのを目の前にし、浅井は鼻の奥が熱くなった。

「みなさまようこそおいでくださいました。建国記念日のきょう、落成祝賀会を催すことができましたのは、何かゲルマニウムと私、そして祖国日本と、三つの因子がそれぞれ因縁をもって結びついているような気がします。それにきのうの悪天候が、今朝は文字通り、さわやかな日本晴れとなり、われわれの門出を祝福してくれています」

 派手なことは好きではないが、きょうは特別だった。浅井は挨拶しながら、過去の苦しかったことや辛かったことが走馬灯のように頭に蘇り、そしてすべてが幻だったように消え去っていくのを感じた。

「私は来年古希の年を迎えんとしておりますが、夢にまでみた、正真正銘の私自身の研究所を持つにいたったこの喜びは、あまりにも大きく、とても表現できません。率直に申し上げて昨夜は眠れませんでした。私はこの喜びを、年齢を忘れていっそう人類のために尽くす原動力として、がんばってゆきたいと思います」

 聞き入る出席者全員が目を輝かし、浅井ゲルマニウム研究所の新たな出発を心から喜んでいるようだった。この人たちの期待にこたえるためにも、GE-一三二を世に普及しなければならない。浅井は闘志が沸き上がるのを覚えた。

「私は、この研究所を根城として余生を、人類の幸福のために、燃やしつくしてしまう決心であります。どうか今後ともご声援とご援助をひとえにお願い致します」

 われんばかりの拍手はいつまでも鳴りやまなかった。出席者全員が、GE-一三二に大きな期待をかけているのは明らかで、この人々の願いを原動力に、普及に邁進しなければならないと浅井は思う。

 開所式のあと、近くのホテルで祝賀パーティーが開かれた。立食パーティーだったが、酒も料理もうまく、人生最良の日とはこういうことを言うのだろうと、浅井は喜びにひたった。

 浅井の歌好きを知っている何人かに、喜びを歌えと求められ、場違いと思いながらマイクを握った。

 いのち短し 恋せよ乙女

 紅き唇 あせぬ間に

 熱き血潮の 冷えぬ間に

 明日の月日は ないものを

 人に求められると好んで歌う唄で、以前はテノールの美声だったが、喉頭癌の手術で蛮声になってしまったのが残念だった。だが、熱き血潮は何事をなすにも必要で、浅井は一人ひとりの胸に訴えかけるように歌った。

 武藤を代表世話人にしたゲルマニウム研究会は、着実な成果を上げていた。だが、GE-一三二があまりにもさまざまな病気に効果があるため、治療効果を一つの病気に絞り切れないのが悩みだった。

 薬事法では特定の疾患に対して新薬の効果を評価するから、すべての難病に効くとなると、評価の下しようがないのである。そして学者は、他人が手をつけていないことを研究しないと評価されないから、勢い対象が拡散し、研究しっぱなしになってしまう。

 昭和五十年四月に第六十四回日本病理学会で発表された実験はその典型である。

 実験内容は 生後二年のICRマウスで、アミロイド症の自然発生が十四例中十二例、腎、消化器、肝、脾、心、副腎などの諸臓器に広範に認められた。慢性炎との関係は認められない。同系マウスに生後五週目からGE-一三二を二十二カ月間胃内強制投与を行った実験群では、体重キログラム当たり三十ミリグラム投与群で六例中三例にアミロイド症の発生が認められたが、同三百ミリグラム投与群ではそれぞれ十二例、十四例にその発生を認めなかった、というものである。

 この発表は学会で記録され保存されるだろうが、一般大衆には何らの恩恵ももたらさない。ただ実験したということに終わってしまう。

 だが、この実験結果を良く分析すると、大変な内容を含んでいることがわかる。医学大辞典によると、アミロイド症とは別名類デンプン症といい、類デンプン変性が生体内で起こって発症する病気である。簡単にいうと、老化現象である。

 GE-一三二がアミロイド症を完全に抑制するということは、すなわち老化現象を抑えらるということにほかならない。GE-一三二は、いわば不老長寿の薬なのである。

 これだけの実験成果があるにもかかわらず、老化抑制にGE-一三二を使用しようという姿勢にならないのが不思議である。

 学会ではこのほかにも、高血圧症、糖尿病に関する効果についても発表されているが、いずれも記録として残っているだけで、実際の治療に役立てようとはしていない。

 それが硬直した学会の現状である。

 医療とは、病に苦しむ人々を救うものである。だが、医学会は新事実だけを求め、患者を救おうと努力しているとはとても思えない。

 研究と称してGE-一三二を弄んでいるだけである。そんな姿勢に、浅井は怒りを禁じ得ない。

 だから、ゲルマニウム研究会の会合も三回出ただけで出席をやめてしまった。

 GE-一三二が薬事法で認可されることを願ってはいるが、医薬品として扱うのに浅井は内心忸怩たるものがある。浅井の理想は、薬というより自然治癒力を高めるGE-一三二を中心に、人類救済のための医療体系を作り上げることである。それが出来たとき、人類は難病から解放されると夢想する。

 だが、現実は浅井の理想とはほど遠く、治療にGE-一三二を自由に使うことすらできない。難病患者に効果があるとわかっていながら、担当医がかたくなに投与を拒否し、苦しみながら亡くなる大勢の患者がいる。末期とわかっていながら、新薬として認められていないからという理由だけで、尽くすべき手を尽くさない医者は、犯罪者と罵ってもいいほどである。

 GE-一三二が効果を表せば表すほど、製薬会社や一部の医者は浅井に敵愾心を燃やすようで、研究所の新築と時を同じくして圧力が強まりはじめたのは、決して偶然ではなかっただろう。GE-一三二が普及しては困る製薬会社や無能な医師たちが、装いを新たにした研究所に驚異を感じたのは容易に想像できることである。

 同時に、GE-一三二のすさまじいまでの効果に、邪な野望を抱く研究者も出てきた。

「とんでもない特許が出ています」

 東洋大学の教授をしていた及川が、柿本を伴い血相を変えて浅井の部屋へ駆け込んできたのは、研究所が完成した二年後の秋だった。普段は研究者らしい物静かな及川が、目をつり上げ顔を紅潮させていた。

「血相を変えてどうした」

 所長室のソファに二人を座らせ、落ち着かせた。

「実験研究所の伊藤にやられました」

 及川が震える手で特許出願公報のコピーを浅井に差し出した。GE-一三二と同じ物質だが、化学式が若干異なった製造特許で、申請者は伊藤と豊田、池田の連名だった。

「なんでこんなものが」

「盗むつもりに違いありません」

「だが、GE-一三二は特許が成立している」

「化学式と製法を変え、こちらの特許に引っ掛からないようにしてあります。伊藤たちは海外でも特許を申請しています」

「馬鹿な」

 浅井は頭がかっと熱くなった。東京実験医学研究所は、GE-一三二の毒性など一般薬理実験で満足できる結果を出し、詳細な報告を出していた。それだけに、社長の伊藤を信頼していたのだが、陰でこんなことをしているとは思いもしなかった。

「GE-一三二の特性にむらがあるからと、製造法を詳しく説明させられました。最初から盗むつもりだったのです」

 柿本が細い顔をこわばらせ、唇を震わせた。

「ほうってはおけん。どうする」

「特許を取り下げさせなければなりません」

「弁護士と相談しよう。それにしてもひどいな」

 浅井は何度もだまされ、人の欲望の醜さが身にしみていたが、研究成果をこっそり横取りしようと考える科学者がいるとは、想像すらできなかった。行き詰まった時に差し伸べられる善意の手に、人間は悪人ばかりではないと感謝したものだが、これでは人など信じられなくなる。

 浅井はすぐさま研究所の顧問弁護士に相談し、十二月二十三日付で伊藤に「催告書」を送り、特許出願を取り下げるよう求めた。伊藤から返答があったのは翌年の六月で、申請した特許は浅井に占有権を設定するという覚書を差し出してきた。特許の権利は一切譲るというもので、浅井は伊藤と和解契約を結んだ。

 これで一件落着と思っていたのだが、翌年の九月に伊藤は、日本癌学会で、体内で抗腫瘍効果を活性化させる半導体化合物の発表を行った。半導体化合物の名称はバイオゲルマン 七だったが、GE-一三二の化学式をわずかに変えたものにすぎなかった。

 最初の特許出願の件があったから、浅井は伊藤たちの動きに注意していたが、学会発表で彼らが諦めていないことを知り、調べたら特許を出願しているのがわかった。特許申請したのは和解の三カ月前で、覚書を差し出したのは浅井たちの目をくらまそうとする悪質極まる行為だった。

 GE-一三二の絶大な効果を知った伊藤たちは、開発の功績をわが物にしようと狙っているのに違いなかった。そこまで人間は醜いものかと浅井は嘆息したが、放置しておくわけにはいかない。

 浅井は即座に警告書を送った。そして翌月、伊藤たちは和解を申し入れてきた。

 これで一段落と思ったのも束の間、伊藤は大手製薬会社と連名で、五十五年二月二十五日に「有機ゲルマニウム化合物を含有する免疫賦活剤」の特許を出願しているのをつかんだ。これも化学式がわずかに違っていたが、GE-一三二にほかならなかった。

 仏の顔も三度までとは言うが、伊藤たちのGE-一三二への執着心は尋常でなく、浅井は催告書や警告書などの手段を取らず、東京地裁に「不正競争行為禁止等請求事件」として、八月に伊藤と豊田、池田の三人を提訴した。

 今度ばかりは伊藤たちも和解しようとはせず、GE-一三二の開発権を裁判で主張した。長い裁判の始まりだった。