女性・女系天皇待望論は皇統断絶が狙い

 皇族数確保のための皇室典範改正が、中道改革連合が歩み寄ったことで、今国会での改正がほぼ確実になった。

旧皇族の宮家との養子縁組を認め、女性皇族の宮家を創設しても配偶者や子供は皇族にしないという案でほぼ決まりそうだ。

もっとも、立憲など一部の野党は女性皇族の家族を皇族にしろとごね、「適時適切」に検討するという付帯条項を付けるよう求めているが、そんな条項は将来に禍根を残すだけだからはね付けるべきだ。女性皇族の家族の問題は過去の議論であり、為にする以外の何ものでもない。

典範改正が大詰めを迎える時期を狙ったように、愛子天皇待望論が急激に活発化した。漫画屋の小林よしのり(以下敬称略)や所功、島田裕巳、高森明勅、河西秀哉といった女性・女系天皇を支持する学者・文化人が、愛子天皇誕生を求めて盛んに声を挙げた。

そして、皇族数の確保策が衆議院の協議会で大詰めになったのに呼応するように、ネットで真偽不明の投稿が相次いだ。「○○情報取締まり」などと称する秋篠宮家を中傷するイメージ画面が目につくように大きく表示された。すべて理由も説明もないイメージ刷り込みによるプロパガンダ投稿ばかりだ。

さらに、Facebookで男系男子を積極的に主張している作家や学者のタイムラインに、男系支持を否定する投稿が相次いでいる。投稿者はいずれも友達が50人前後にすぎず、最近になってFacebookに参加した人たちらしい。

男系男子の主張を否定しようと目論む何者かが、仲間を新たにFacebookに参加させ、盛んに書き込ませていると推測される。反男系を目的とした完全なプロパガンダである。

皇室典範改正で愛子天皇誕生の可能性が完全に消えるため(いまでも可能性はないが)、一部の勢力は商売が上がるとばかり愛子天皇待望論と秋篠宮後嗣殿下への中傷を偏執的に繰り返した。

中道から立候補して落選した枝野元立憲代表は、宮家と旧皇族の養子縁組について、“天皇制を壊す”と主張するが、女系天皇の方が遥かに皇統を断絶させるということが理解できていない。いや、皇統を断絶させるため、意図的に元皇族の復帰を拒もうとしているとしか思えない。

女系派にとって愛子天皇の可能性が消えるのは、これまでの主張が制度的に否定されて死活問題になる。海外の反日勢力にとっては、女系天皇誕生で日本国民の団結力が弱まり、反日活動が容易になる。だから、愛子天皇を待望する。

いずれも手段を選ばず、目の色を変えて皇室非難を繰り返している。彼らの主張は根拠のないものばかりである。

もっとも、彼らの反皇室活動は、良識的な国民に何の影響も与えておらず、いまのさまざまな皇室非難は、敗北を認める断末魔の悲鳴に聞こえる。

以下、女性・女系天皇論の欺瞞性や為にする批判を明確にしていこう。

 世論調査で国民の多くが愛子天皇を望んでいるというが、本当にそうなのか?

 マスコミは調査結果の発表だけで、質問の内容や方法を明らかにしていない。

すでに悠仁親王殿下まで順番が決まっているのには触れないで、女性天皇に賛成かと、まるで愛子天皇に賛成かと誘導するような設問になっているのではないか。

さらに設問に、愛子天皇の後継者は女系になり、神武天皇以来の男系から外れる、という指摘がなされているのかどうかも定かではない。

愛子内親王殿下が国民に人気があるからといって、国民投票で天皇を選ぶ様なことをしていいのか。人気投票なら佳子内親王殿下と比べなければならない。それではまるで芸能人の人気比べである。

 国民人気で天皇を選んだら、代替わりのたびに人気投票が必要になるが、人気が無くなれば退位となるのか、まったく触れていない。

 天皇と芸能人とでは、世界や次元が異なり比較できるはずもない。

 ちなみに、愛子殿下が小学生のとき、登校拒否だとか、雅子皇太子妃(当時)が隠れて修学旅行に同行したなどと週刊誌が激しく叩いた。

 それが打って変わって今では愛子天皇誕生を待望するとは、裏に何かあるとしか考えようがない。

皇族数を増加させるのが皇室典範の目的だが、愛子天皇誕生で皇族が増えるだろうか。

女性皇族はほとんどが晩婚だし未婚である。女性天皇が結婚、出産しなければ皇統は絶え、子供が男性でも天皇になれば女系へ移行し、長い皇統の歴史は断絶する。

さらに、皇婿になる“勇気”ある一般男性が現れるかどうかもわからない。

たとえ、女性天皇、愛子天皇が誕生したとしても、皇族数が増えるとは断定できない。

 第一、皇位継承2位の悠仁親王殿下が存在されているのに、皇位継承者として認められていない愛子天皇を待望するのは、父系・男系を断絶させるのが狙いとしか思えない。

女系派は天皇が男系男子できたのは大陸王朝の男尊女卑をまねたからで、皇室典範に明記されたのは明治からという。

本当にそうなのか。法典は長い習慣という伝統があってこそ初めて文字化される。英国など文字化された法典がなく、慣習法が憲法の代わりになっている。長く続いた伝統や習慣が大切なのだ。

では、日本で男系が続いたのは、大陸王朝の男尊女卑に倣ったからかといったら、無知な主張であり、歴史的事実をねじ曲げている。

大陸王朝が男子優先で推移したのは、唐の時代に皇后だった則天武后が皇帝になり、唐を滅ぼし、新唐を設立したことに懲りたからにほかならない。

女性が権力を握るとろくなことがないと実感したのだろう。それ以来、男性皇帝が続いた。

日本でも同様なことが起きている。有名な道鏡事件だ。

聖武天皇の息女だった称徳天皇は、宇佐八幡宮の神託をでっち上げ、道鏡に皇位を譲ろうとした。幸い、和気清麻呂の機転で皇位が簒奪されることはなかったが、間一髪という皇統の危機だった。

和気清麻呂は道鏡の不興を買い、和気汚麿(きたなまろ)と名前を変えさせられ追放された。道鏡に抗するのは命懸けだったのである。

これが原因して女性天皇が忌避され、江戸時代になるまで女性天皇の即位はなかった。

大陸も日本も、女性が皇帝や天皇になったばかりに国を危うくしたのは、厳然たる歴史的事実である。

ちなみに、126代にもわたる天皇の歴史で、女性天皇はたった8人10代だから10%にも満たない。つまり女性天皇は例外そのもので、女系天皇は皆無である。

明治の皇室典範が天皇は男系男子としたのは、126代にわたる伝統を、例外を除いて文字化しただけである。

大日本帝国憲法や皇室典範の成立に大きな役割を果たした井上毅(こわし)は、欧州各国の憲法を調べ上げ、さらに日本の歴史や慣習を徹底的に研究した上で、憲法と皇室典範を作り上げた。

日本の古代からの歴史や世界の憲法、王室のあり方を調べ尽くした上での起草であり、男女同権や女性優遇などという、ごく最近の薄っぺらな思想や心情を基にしたのではない。

女系派は明治の皇室典範制定時に女性・女系天皇の是非について議論があったから、否定していたわけではないなどと、言わずもがなの主張をする。

議論の俎上に乗ったからといって認めたわけではない。議論の材料として扱われただけなのを無視してはならない。典範を創設する時、考えられるさまざまな材料を集め、検討するに決まっている。8方10代の女性天皇が存在したのだから、明治の担当者たちが真摯に議論するのは当然である。

それが女性・女系天皇を認めたことにはならないし、認めていたとするのは我田引水もいいところである。

さて、愛子殿下が優秀だから天皇に相応しいと主張する学者たちがいるが、愛子殿下と佳子殿下、さらに悠仁殿下を比べた上で言っているのか?

そもそも皇族を比べること自体が不敬だが、愛子殿下は成長して立派な大人、悠仁殿下は成人したばかりである。比べることそのものが的外れである。

歴史上で天皇に匹敵する功績を上げた神功皇后や、正当な皇統後継者が現れるまで、摂政として政治を動かした飯豊青女王(いいとよのあおのひめみこ)は天皇にならなかった。

神功皇后は妊娠していたからと反論するかもしれないが、応神天皇が誕生して成人するまで長い年月が経っているのだから、つなぎの天皇となって何らおかしくはない。それでも即位しなかった。

女系派は神功皇后が存在しない伝説上の人物だと言うかもしれないが、国の正史・日本書紀に記録されている存在を無視するなら、その理由を学問的、歴史的にまず明確に示さなければならない。

お二人とも即位しなかったのは、女性天皇は異例だということを正確に認識していたからだろう。

長子継承という主張もあった。だが、皇統の歴史で長子以外が天皇になった例は驚くほど多いし、兄弟継承が主流だった時代もある。

だから、今上陛下の次は秋篠宮殿下が継承する順番は歴史的な事実に適っている。

こう見てくると、愛子天皇待望論や秋篠宮殿下への中傷は、皇統を断絶させようとする陰険な狙いがあるとしか思えない。

さて、皇室典範改正は元皇族と現宮家との養子縁組を認め、女性宮家を創設し、皇婿や子供は皇族としないことで決着がつきそうだ。

 元皇族の養子縁組を否定する女系派などは、皇族から一般人になって80年だし、現在、元皇族で続いている伏見宮家は天皇と血統が別れてから長い期間が経っていると反対する。

 にもかかわらず、女性皇族と結婚した一般人を、野田元総理のように「皇族とすべき」と主張するのは、明らかな論理矛盾である。

 元皇族でさえ天皇と血統が遠いというなら、まったくの一般人は、遠いどころか繋がってさえいない。

 血統を無視し、関係のない男系の血統を皇統に紛れ込ませようというのが、皇婿を皇族にという主張に他ならない。皇統を断絶させるのが狙い以外の何者でもない。

こうした危険があるから、女性宮家を創設するより、降嫁した後の元女性皇族に、元・宮様や准宮様のような敬称を贈り、皇族の公務を代替してもらうのが望ましいのではないだろうか。

 黒田清子さんは伊勢神宮の祭主を務められ、立派に元内親王としての役割を果たされている。お相手に問題がなければ、元・宮様、准宮様として特別な手当を付け、皇族の仕事を続けていただく方が、女性宮家を創設するより理に適っている。

 臣籍降下した女性皇族に結婚後も公務を続けていただくには、特別立法すれば済む話である。

 ただ、内親王殿下たちがいざ結婚となった時、皇室に残るか臣籍降下するかは、ご自身の意向にお任せすべきだろう。

さて、なぜ男系男子でなければならないのかを考えてみよう。

 女性は皇室に入れても、男性は入ることができなかったという歴史的事実がある。一般女性は皇后になれても、一般男性は天皇にはもちろん、皇族にすらなれない。

 政治権力を握った権力者、例えば藤原一族の当主でも、皇族となることはできなかった。 だから娘や孫を天皇に嫁がせ、外戚として権力を握ろうとした。

もし、権力者が絶対の権威を持つ天皇になれれば、我こそはと激しい権力闘争が起きるのは目に見えている。古代は皇族同士さえ激しい権力闘争を行った。

一般人の権力者の勢力争いとなったら、血で血を洗う争闘になるのは避けられない。それは戦国時代などの武士の闘争をみれば明らかである。

 そのため、一般男性が皇族になれない仕組みを考え継続した。

皇室での権力争いを避けると同時に、国を知ろしめすという高貴な役割から、権力者を排除してきたのである。

天皇は初代神武天皇以来、長い年月をかけて国家国民の平安を祈ってきた。祈りは遺伝子に働きかけかけ、平和を祈念する遺伝子を活性化させる。

遺伝子研究の世界的権威、故・村上和雄氏は祈りが遺伝子を変化させるといろいろな場面で強調している。

村上氏は吉本興業と提携した臨床試験で、笑いがガン抑制遺伝子を活発化させ、ガンを縮小させることを実証した。祈りの力は、遺伝子を改変させる威力を持っている。

男系天皇が何世紀にもわたって続いたことから、祈りの力がY染色体遺伝子の平和遺伝子を目覚めさせ、それが代々、伝わってきて、今の祭祀王としての天皇を作り上げたのだろう。

初代の神武天皇時代から「国、民安かれ」と祈り続けてきた真摯な祈りは、Y染色体遺伝子に働いて平和を願う遺伝子を目覚めさせ、それが代々、受け継がれ、平和を希求する天皇(すめらみこと)という皇統をつくったのではないか。

それとも、平和を希求する遺伝子はY染色体にしか存在しないのかもしれない。

科学的な実証は不可能だが、祈りはY染色体遺伝子の平和を求める部分を覚醒させ、祈りの天皇が出来上がったと考えられる。

古代から続いた皇統が、なぜ男系男子でなければならないかを、最新の遺伝子工学が解明したといえる。

天皇行としての通常の修行や、国家祭祀の執行には絶大な気力・体力、集中力が必要である。年に一度は新嘗祭のような寒い夜を徹しての祭祀がある。

日々の行もただ慎むというだけでなく、歴代の神祇官だった白川家に伝わる修行法を執行し、国家国民や自らの罪汚れを祓い清めるための禊ぎ祓いと多種多様だ。禊ぎ祓いと一口に言うが、寒中の禊ぎは生易しいものではない。

体力のない女性、妊娠している女性では行や祭祀を執行できない。できたとしても体を壊しかねない。だから女性は、後継者が幼いなどの特別な事情があるときだけ繋ぎ役とて即位し、後継者が成長するのを待った。

祈りの遺伝子が活性化していない人間は、どんな権力者であっても天皇とはなり得ない。

遺伝子を活性化させる最大の天皇祭祀は、践祚して最初の新嘗祭、すなわち大嘗祭である。

大嘗祭に陪席した多くの人たちが、祭祀後の天皇は一段と神々しさが増すと証言している。

大嘗祭という天皇祭祀、神道祭祀が、国、民安かれと皇族として祈ってきた遺伝子を、さらに深く強く活性化させ、「知ろしめし聞こしめす」天皇を生み出すのだろう。

民族学者の折口信夫は、践祚した天皇が大嘗祭で歴代の天皇霊と一体になり、天皇が完成されると述べている。天皇霊と践祚天皇が一体化するとは、平和を祈る潜在遺伝子が完全に目覚め、余人では務められない「すめらみこと」になることである。

折口の言葉を借りるなら、歴代の天皇霊と一体化した天皇こそ、万世一系の天皇であり、国の御柱としての天皇となる。

将来の正当な皇統継承者が、若い世代では秋篠宮家の悠仁親王殿下しかおられないというのは確かに不安である。

悠仁殿下が結婚せず、しても男性子孫に恵まれなかったら、皇統の危機になる。それは愛子天皇が誕生したとしても同じで、GHQの皇統断絶、日本弱体化の罠にまんまとはまることになる。

だから、遅くても「悠仁天皇」時代に、皇統継承者の数を確保しておかなければならない。「悠仁天皇」に複数の男子が生まれればいいが、その時になってみなければ分からないから、今のうちに解決策を見いだしておくべきである。

議論を前に戻すが、皇婿を皇族にした場合、皇室で生きてきたわけではないから、祈りの遺伝子が活性化しているとは言えない。祈りによって遺伝子が改変するには長い年月が必要で、婚姻によって皇族になったからといってすぐに活性化するものではない。

では、旧皇族はどうかといえば、GHQによって強制的に臣籍降下させられるまで、皇族としての務めを果たしていたのだから、潜在力は十分にある。それに、臣籍降下した後も皇室との付き合いは継続しているし、家庭の祭祀も滞りなく行われている。

万万が一、何世代か後に践祚する機会があったとしても、折口流にいえば、天皇霊と一体化する資格と能力は十分にある。

養子縁組に批判的な勢力は、旧皇族の中から養子に入ってもいいと手を上げる人がいるだろうかと疑問視する。

旧皇族ですらそうなら、女性皇族と結婚してもいいと手を挙げる男性はもっと少ないのではないか。

小室真子さんの結婚時、小室圭氏の身上調べにマスコミは奔走した。女性皇族との結婚は尋常ではない注目を浴び、プライベートなどなくなる。さらに、女性宮家に入るとなったら、口さがない人間は現代の道鏡と非難する恐れもある。

一般人がそれに耐えられるだろうか?

さて、宮内庁はまだ旧皇族と接触していないとしているが、養子縁組が具体的な話題になった段階で、それなりの行動を起こしていなければ官僚は務まらない。

さらに、旧皇族の人々が連絡しあって、本人の意向を確かめて候補者を絞っていることだろう。

女系派が言うほど、養子縁組のハードルは高くない。高さから言ったら、皇婿の方が遥か上方にあるのではないか。

男系男子が養子縁組しても、側室がないといずれ男系の皇統は断絶する、と女系派はおかしな主張をするが、側室制度があった時代、生まれた子供の生存率が低く、側室がいなければ血統をつなげなかったのを無視している。

いまは医学が発達して子供が夭折する心配が少なくなった。皇統を維持するのに側室制度は不要である。

だから、数家族が養子縁組し、すぐ皇族になるわけではないから帝王学を学び、次の世代から皇族としての役割を果たすのがいい。

養子縁組で宮家に入った当人は、皇族見習いとして准皇族の肩書で公務見習いをすれば、祈りの遺伝子を受け継いでいるのだから、次の世代からは立派な皇族になる。

さまざま述べてきたが、神道祭祀は恐るべき力を持っている。初代神武天皇は自ら祭主になり、天つ神に敵の平定を祈った。10代崇神天皇は疫病で国民が死に絶えようとしたとき、大伯母のヤマトトドヒモモソ姫が神がかりし、三輪山に祭られている大物主神の子孫に祭らせろと神託を下し、何とか危機を回避できた。

天皇は青人草=国民、神々と常に一体であり、そうなるための天皇祭祀を日々行われている。平和を希求する遺伝子を、Y染色体に持つ男系男子でなければ、皇統を永遠に存続させ国を繁栄させることができないと、日本国民は肝に命じるべきである。

中西旭氏の「神道の理論」(たちばな出版)を読む

 神道界の巨人・中西旭氏の「神道の理論」(たちばな出版)を再読した。戦後の神職のテキストとして採用された著作である。

 やはり難解だった。

 この本を理解しなければ神職になれないとしたら、私には務まりそうにない。

 中西氏は会計学の権威で、中央大学の名誉教授を務め、川面凡児が創設した禊流神道の稜威会(みいつかい)会長、神道国際学会会長を終生務めた。

 川面凡児は奈良朝以前の神道を標榜し、川や海での禊を復活させた。

 それまで、神職は禊と称し、風呂に入って体の汚れを落とし、神前に向かっていた。いまでもそうだが、私がある有名な神社に泊まって朝の神事を見学させて貰ったとき、風呂に入るよう促された。

 神宮奉賛会の会長だった今泉定助は、風呂で温まれば心身が弛緩し集中力が損なわれる。水で心身を引き締めなければ神の存在は感じられないと指摘。還暦で川面凡児の禊会に参加した。

 当時の還暦といえば、いまの80歳にも相当する老人で、神宮教教主とでもいう神宮奉賛会会長の重職にあったから、神道界に与えた影響は大きかった。

 禊は後の大政翼賛会に採用されたため、戦後、川面凡児は軍国主義者と汚名を着せられたが、見当違いも甚だしいとしかいいようがない。

 中西氏とはお目にかかったことはないが、私が通っていた筑波山古神道の道場「とほかみ社」と浅からぬ縁があった。

 昭和15年に神祇院が再興され、安井英二内務大臣が総裁を兼任した。だが、神祇院を復興させたはいいが、何をすべきか皆目見当がつかず、頼ったのが東京・麻布にあった梅田伊和麿翁が主催する祭政一致教学道場だった。

 道場を視察したのは安井大臣のほか副総裁の飯沼一省厚生大臣吉田茂(後の総理とは別人。戦後、神社庁第五代事務総長)、内務省顧問・考証官の宮地直一博士(全国の社格を決める立場で、権威は絶大だった)、神祇伯15代の白川資長(白川家最後の当主)、神道家の住田平彦(当時の神道修行法研究の第一人者)らだった。

 そこで伊和麿翁の祭祀、修行法などを視察し、近衛文麿の意向で白川家の施設と梅田道場で政府要人らの指導を行うことになった。

 この道場には植芝盛平合気道開祖などさまざまな人が訪れていて、台湾総督府国民精神研修所指導官だった中西旭氏は、本国へ出張のたびに台湾の学生を何人か伴って修行に訪れた。

 中西氏は道場の道彦=指導者を務め、当時の心霊研究家だった小田秀人も道彦として名前を連ねている。

 こんな理由から、当時の梅田道場のことが書いてあるかと中西氏の本を読んだのだが、途中で放り出したくなったほど難しかった。

 神道の考えや、修行から受ける感覚などを、古今東西の先哲、聖人の著書や言葉を縦横に引用して説明するのだから、浅学の私などには手に負えない。

 中西氏は世界の成り立ちは対立ではなく、産霊(ムスビ)によっていると指摘する。

 産霊とは蒸す、息子、娘のむす、万物を結びつけて生成、発展させるの結びである。

 いうならば宇宙の生成、成長、発展の根本である。産霊の力がなければ世界は存在しない。

 産霊に従うことが「神ながら」であり、産霊の力の根源は魂である。だから人は禊で罪穢れを祓い、魂を清浄無垢にして、神祭に臨まなければならない。それが神ながら生活だとする。

 禊祓いや神祭の前の鎮魂は生易しいものではなく、実行しなければ神々と通じることはできない。

 人の親、さらにその親と辿っていくと遠い祖先、すなわち祖神(オヤガミ)にいきつく。祖神を拝み感謝することが神祭に他ならないとする。

 新興宗教などは教祖に神が降臨したことで始まることが多いが、「高貴の神名を名乗り出る者は、必ずしもかゝる正神には非ず否その殆どが邪霊とさるべきであろう」と指弾。

「常識的にも、大神が俗生活の情実の些事等に干渉する筈が無い」と喝破している。

 中西氏はいわゆる神懸かりについて、高級な神々ではなく邪霊が憑いていることがほとんどだと断定している。

 もっとも、魑魅魍魎等で邪霊でも人間の世界とは次元が違うから、予言や透視力を発揮し、人々を惑わせる。だが、そんな神がかりは、高級神霊の前では霊力を失い、こそこそと逃げてしまうという。

 神々への祈願にしても、個人の願いを祖神が一人ずつ聞き入れるわけもないから、神前では願うのではなく報恩を感謝することが大切だとしている。

 さまざまな新興宗教は現世利益をうたうが、それがいかに報恩感謝から離れ、世迷いごとにすぎないことがよく分かる。

 さて、明治維新で「惟神之大道」が宣布され、行政組織の太政官の上に神祇官が再興されて神道は国教化された。いわゆる国家神道である。

 だが、それは形式的なもので、神道は規制好きな官僚たちによって「政治的に利用」されたと中西氏は批判する。

 例えば、明治3年に唯一の官立「大学校」が、「皇学」を中心に「洋学」「漢学」を両翼として開設されたが、1年もたたないうちに閉鎖命令を受けた。

 最高位の大博士だった平田鉄胤等が排除され、最大の私学だった「平田塾」は突然の閉鎖命令で解散させられた。

 神祇官で要職にあった白川資訓(代々の神祇伯)と平田延胤(平田派の総帥)が罷免され、神道学者や神職が次々と放逐されていった。

 そして全国の官国弊社の社職は「官吏待遇」とされ、当局の辞令一本で任免されるようになった。官僚が神社の人事権を握ったのである。

 神社で伝統的な祭祀を行う社家とは別に、事務官僚や軍人などが宮司に任命された。

 明治22年には神社は宗教でないと公示し、神事も全国画一に統一する内務省告示が出された。

 神前で2拝2柏手1拝するのもこのときに決められた。もっとも出雲大社のように独自の参拝方法として2拝4柏手を貫いた神社もある。

 神社数は19万3千余社から11万社ちかくに整理された。

 規制を好む官僚のいかにもやりそうなことである。

 中西氏は当時の政治と神道に関わる状況を、次のように嘆いている。

 

「神武創業の始に基づき諸事一新」の維新制度の立案者たる玉松操(大国隆正門下)も、それと前後して侍講より隠退し、「孺子(岩倉具視を指す)に全く騙された」と慨嘆して突如死亡した。否暗殺されたと云われる。

 

 玉松操は戊辰戦争の際、錦旗を考案して官軍に勝利をもたらした功労者である。

 文明開化による西洋礼賛で、神道勢力を邪魔者と考えた政官界は、維新に功のあった社家や国学者を政府から放逐、次々と捕縛、投獄したと中西氏は指摘する。

 このあたりは秘本といわれた常世長胤の「神祇官沿革物語」と「神教組織物語」に詳しいという。

 ネットで両本の断片だけ入手したことがあるが、いずれも漢文の白文で、私には手におえなかった。

 神道家の弾圧は、長らく朝廷の神祇官を務めた白川伯王家やその弟子らにも及んだ。

 白川資国は神祇官大副を罷免され、伯家神道白川神道)の塾頭だった高浜清七郎は暗殺の危険から逃げるよう促され、逃亡せざるを得なかった。

 明治15年に「自今神官ハ教導職ノ兼補ヲ廃」すると決定、神社神道と宗教的な普及・指導を分けた。神道から宗教性を除けば祭祀は形骸化する。

 この神社神道がいわゆる国家神道で、政治家や官僚が自分たちの都合でいいように運営、昭和にいたって国家の進路を誤った。

 昭和15年に国民の要請もあって設立された神祇院は、内務省下の外局となり、官僚の行政対象になった。

 神道はますます規制が強まり、官僚神道になったと中西氏は慨嘆する。

 明治の神職と教導職の分離で神社から宗教性が抜け落ちたため、神道13派など新宗教が続出した。

 そして、大東亜戦争の敗戦で宗教活動が自由になり、さらに雨後の筍のように多くの宗教団体が発生。難病治療、その他さまざまな奇瑞など、現世利益を求める新宗教が勢力を拡大した。

 この原因は官僚神道への反発もあるが、「神道家の教化力に欠如する所がある」と中西氏は指摘。さらに神道界が「伝統的な祭祀の神事は、すべて秘伝」として、すぐれた神道家を「蔑視」したためと指弾している。

 例えば本田親徳(ちかあつ)、友清歓真(よしざね)などの優れた神道人は当局が採用することなく、神道学会からも「無視乃至黙殺された」と当時の状況を嘆息している。

 本田親徳の弟子の長沢雄楯(かつとし)から指導を受けたのが大本教教祖の出口王仁三郎で、大本教の信者たちから生長の家世界救世教などの新興宗教が発生した。

 本田親徳と並ぶ双璧ともいう神道家が川面凡児で鎮魂の本田、禊の川面と、神道界に二つの巨峰を築いた。

 本田の鎮魂はいわゆる神がかり法で、かならず実力のある審判者(さには)

を立てなければならないとする。

 川面のが復活させた禊は、現在の神道界に受け継がれている。

 中西氏は禊や鎮魂(みたましずめ)や振魂(みたまふり)を通じて「人をしてまことの人(霊ト)たらしめ」、「学問、道徳、芸術等々の一切文化も弥々精錬せしめられてやまざる」と断じている。

 川面神道では、人間に霊=魂が宿ったのが人=霊止(ひと)とし、修業が不可欠としている。

 中西氏は2005年、数え101歳で帰幽。筑波山「とほかみ社」の梅田美保師にお別れの会開催の連絡があったが、数え99歳になる美保氏は膝が悪くて行くことができず、弟子が代理出席した。

 出席した弟子氏は、2000人の参加者の前でいきなり挨拶を求められ、何の用意もしていなかったので頭が真っ白になったと述懐していた。

 中西氏の「神道の理論」は古本屋でしか手に入れられないが、神道がいかに奥深いものか、一読をお勧めする。(了)

 

 

書評「天照大神の研究」(田中治吾平著 霞ヶ関書房)

 最近、若いころに読んだ古神道に関する書物を読み返している。

 その一つが田中治吾平の「天照大神の研究」(霞ヶ関書房)で、同書は明治34年に書物化された博士論文を、昭和48年に霞ヶ関書房が再販した。

 いやはや、なかなかに難解な本である。

 治吾平は神道学者であると同時に、神道修行の実践者で、東洋大学神道学を教えた。学者と実践者の両立が他の神道学者と異なっている。

 治吾平の神観は、人々が生きていくために必要な食物の神、すなわち最初の神を気(ケ)神と規定している。

 ケは大和言葉で御食(ミケ)、すなわち食物のことで、豊受(トヨウケ)大神のケ、保食(ウケモチ)大神のケである。

 信仰の対象が、食物からそれをつくる土地=土地神に移り、さらに進化して国土神に成長していく。

 それがモノとモノを結びつけてモノを生産する産霊神に発展、さらに日の光の恵みを受け日神と同一化した。朝廷が日神を信仰していたので、天皇家先祖の天照大神と一体化し、ここに最高の統一神が誕生した。

 というのが治吾平の神観である。

 こう書くと単純な構図に思えるが、ケ神、土地神などすべての神々について、記紀古語拾遺などの”神典”から具体的な神名を引いて解説しているから複雑極まりない。知識の浅い私などには難解としか思えない。

 古事記の最初に出てくる天御中主神や、日本書紀の最初の国常立神を最高統一神とする一部の学者などとは大きく一線を画している。

 治吾平は天御中主神について、北極星を世界の中心と考える大陸思想で創られたもので、観念上の神と喝破している。

 最高神天照大神天御中主神かという神学論争が昔からあり、特に伊勢神道度会神道)が天御中主神最高神と主張した。

 外宮が常に内宮の下位に位置づけられることに反発した外宮神職の度会一族らが、神道五部書などを創作して内宮に対抗、独自の神道観を広めたのである。

 中世には内宮と外宮の神官が武力紛争を起こしているほど対立は激しかった。

 内宮には天照大神の他に、天岩屋戸から大神の手を取って外へ招きだした天手力男神と、天孫降臨する瓊瓊杵尊の母神・萬幡豊秋津師姫の二神が相殿神として祭られている。

 一方の外宮には相殿神三神と記録にあるだけで、具体的な名前は残されていない。

 そこで度会氏らは、相殿神記紀に最初に顕れる天御中主神、国常立神であると見なし、天御中主神と国常立神は同神で、最高神であると主張した。

 内宮への対抗心からの神観だが、後の世の神学論争に大きな影響を与えた。

 実は神学論争は神道界に変化が起きるたびに繰り返されてきた。

 明治政府が神道から宗教性を無くそうと明治5年、神社と布教が中心の教導職とを分けた際、大教院に祭る最高神天照大神にするか、天御中主神、高産霊、神産霊の造化3神にするかで大論争が起きた。

 この時、宗教性を取り除いた神社神道が、官僚が作った官僚神道で、神社神道を国家の宗祀とし、後に国家神道と言われるものになった。

 その後、昭和15年に神祇官が再興された際、天照大神天御中主神のどちらが高位かで論争が起きた。

 治吾平はこうした論争に、天御中主神北極星信仰という大陸思想の影響で生まれた神で、比較的新しい神だと断じた。

 その証拠に、古くから大勢の信仰を集める神社で、天御中主神主祭神とする伝統ある神社はないとする。

 たとえば、天御中主神を祭る北星神社や妙見神社などは、比較的近世に創建され、しかも地域的な小さな社ばかりだと指摘する。

 日本の最高神は皇室の祖先である天照大神で、八百万の神を統一する存在だと明確に断定している。

 実に妥当な結論である。

 

[治吾平の魂鎮め行法]

 多くの古神道の修行法は、朝廷の神祇官だった白川伯王家から漏れ伝わった伯家(はっけ)神道の系統、江戸末期の熊本藩士分だった本田親徳(ちかあつ)が完成させた鎮魂帰神の系統、奈良朝以前の修行法と銘打った川面凡児の禊の系統と、大きく分ければ3系統になる。

 治吾平の行法はどこにも属さないが、強いていえば1対1の行ということで、本田親徳の系統に似ている。

 本田の鎮魂帰神法は、神主と審神者(さには)が向かい合い、審神者が石笛を吹きながら神主を神がかりに誘導するもので、形は違うが明治以降の新興宗教の多くが取り入れている。

 大本教出口王仁三郎が、本田の弟子だった長沢雄楯(かつたて)に指導された鎮魂行を教団の修行法に取り入れ、信者に施して一世を風靡した。大本教から生長の家世界救世教、真光教団、神道天皇居など多くの新興宗教が派生した。

 鎮魂法の基本は外部の神霊が神主に懸かるいわゆる憑依で、本田親徳自身は自己の霊を外部のモノに取り付ける法も鎮魂と称している。

 治吾平の鎮魂法は宗教学者の津城寛文氏の「鎮魂行法論」(春秋社)から抜粋すると、命人(みことびと)と称する神主役と柱人(はしらびと)という審神者役の二人からなり、命人は神前で四拍手し瞑想する。

 四拍手するのは、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)の四魂を調整するためという。

 柱人は口笛を吹き神歌を唱え、「魂鎮め法」を行う。神歌は天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が天照大神を岩屋戸から導き出そうとして歌ったという「アチメオオオ・・・」に近いもので、さらに「ふるべの歌」「鎮魂祝詞」などを唱える。

 とここまで書いてきたが、行法は実に複雑で、詳しく知りたい方は治吾平自身の書物や津城氏の「鎮魂行法論」を参照してほしい。

 普通、罪や穢れは外部から人に憑くというものだが、治吾平の「魂鎮め法」は他の行法とかなり異なっている。

 禊を主な修行に取り入れている古神道の多くは、合掌した手が震えたり、勝手に動く「霊動」は危険とするが、治吾平の修行法は意図的に「霊動」を起こす。

 罪や穢れは自らの魂にこびりついていて、鎮魂によりそれが浮きだしてくるのが霊動だから、それを祓うというのである。

 柱人に邪悪を祓う力のあるならいいが、なまじの柱人では命人に危険が生じかねない。

 三島由紀夫の「英霊の声」では、5.15や2.26事件、さらには大東亜戦争で戦死した多くの兵士の霊が神主に取りつき、「だれともつかぬ顔」となって神主は帰幽する。

 英霊の声は神道天皇居を設立した友清歓真(ともきよよしざね)の「霊学筌蹄」(れいがくせんてい)を参考にしており、長沢雄楯の鎮魂法の流れを汲んでいる。

 俗に言う「神がかり」や「憑依」は、英霊の声の鎮魂法とほぼ同じで、治吾平の「魂鎮め法」も1対1という形式は同じである。

 魂鎮め法では、祭神の決め方で精神病者が出たという。おそらく命人に憑依が起きたのだろう。

 治吾平の魂鎮め法は、命人が意識して霊動を起こすが、力のある審神者が導かないと、英霊の声のようになり危険である。

 神宮奉賛会の会長だった今泉定助が創設した、日本大学神道研究を行う今泉研究会では、夏に滝行を指導しているが、組んだ手は丹田のまえに置き、決して胸より上には上げないよう戒めている。

 手を心臓より上にすると、ナニモノかに引っ張られるように身体を持っていかれるからだという。

 昭和15年に再興された神祇院で、政府高官に神道教授を行っていた祭政一致教学道場の直接の流れを汲む「とほかみ社」(筑波山中腹にあったが解散)の先達によると、神がかり行の実践には、神主と審神者だけでなく、二人を8人が囲んで結界を張らないと危険だと指摘している。

 鎮魂行法はさまざまな流派があり、その多くが神がかりであり神霊の憑依である。

 多くの新興宗教が神がかりを教団の売り物にしているが、神道国際学会の会長を務めた御稜威会の故中西旭氏は「高貴の神名を名乗り出る者は、必ずしもかゝる正神には非ず、否その殆どが邪霊とさるべきであらう」(神道の理論、たちばな出版)と警告している。

 さまざまな教団が顕れては消える現代、騙されることのないよう警戒が必要である。

まやかしの女系天皇論⑤ 最終回

〇日中とも女帝が国を危うくした

 男尊女卑というのに、則天武后が皇帝になれたのがまず不思議だ。則天武后は大陸王朝で唯一の女帝で、ほかにはいない。後になぜ女帝が現れなかったのか。

 それは則天武后が武周朝を立て、唐を一時的に滅ぼしたからである。

 唐にとっては逆賊であり、女帝への拒否感が醸成されるのは当然である。以後、王朝を転覆されては堪らないと、女帝の登場はなくなった。

 日本ではどうか。則天武后後の男尊女卑で女性天皇は否定されたというが、称徳天皇(考兼天皇重祚)は則天武后より後の女性天皇である。時代関係が逆になっているのに気づかないのだろうか。

 称徳天皇後、江戸時代まで女性天皇は登場しないが、別に男尊女卑だったわけではない。女性天皇は皇統を断絶させかねないと恐れたからだ。

 称徳天皇道鏡天皇就任への野心を了解していたといわれている。和気清麻呂は「日嗣は帝の氏を継ぐ人間がなるべし」との神託を受け、そのまま上奏する勇気ある行動で道鏡の野心を阻止した。そして、清麻呂は穢麻呂と名前を変えられて左遷された。

 称徳天皇時代に皇統断絶の危機があったのだから、以後、女性天皇が忌避されたのは当然である。男尊女卑でもなんでもない。

 述べてきたように、女系容認派の主張はあまりにも無理筋ばかりで、何らかの意図があって女系・女性天皇を誕生させようとしているとしか考えられない。

 さらに愛子天皇待望論を打ち出すことで、天皇家秋篠宮家を反目させ、皇室に内紛を起こそうと画策しているのではないかと思わざるを得ない。

 同様に国民の意識を分断させ、社会を混乱させようと狙っているのではないか。

 共産党共同通信、野田元総理、女系女性天皇賛成の各種週刊誌、いずれも男女同権という薄っぺらな人権論を振りかさし、日本の国体・国柄を破壊しようと狙っている。

 行き着くところは、男系否定、すなわち天皇否定そのものである。天皇天皇でなくなったら、日本という物理的な国家はあっても、2700年という長い伝統と歴史は断絶する。

 意図的に男系断絶を狙う勢力はともかく、女系派は都合のいい材料しか目に入らず、自論を否定する資料は頭に入らないようだ。自説に叶う資料だけをつまみ食いして論理構成し、反するものには見向きもしない。 

 学問はさまざまな資料を俯瞰し、学説を構成していくものである。つまみ食いに徹するとなると、まるでカルトである。教祖の教え以外を否定し、批判する人間には攻撃的に対する。

 女系派のいい分、行動などは、これまで見てきたことで明らかである。これからは、女系派は女系カルトと呼ぶことにしよう。

 天皇は日本の祭祀王、大神主である。常に国民の安全と繁栄を祈っている。 

 それが単なる国王となったら伝統も歴史もなくなり、神々と民草がともに幸きはう日本ではなくなってしまう。

 女系天皇論は一部の学者の特異な意見、女系カルトの歪んだ主張だから、後顧の憂いがないよう葬りさるべきである。(了)

 

 

まやかしの女系天皇論④

世論調査女性天皇の支持が8割?

 共同通信世論調査で、女性天皇を支持すると答えた割合が8割だったそうだ。この場合の女性天皇は愛子天皇を指しているのだろう。

 他社の世論調査と結果がかけ離れているから、どういう質問をしたのかと不思議だ。調査結果を頭から信じるわけにはいかない。

 というのは、共同通信は設立当時から問題がある通信社だったからだ。

 戦前、共同通信時事通信電通と同じ一つの会社で、同盟通信という国策会社だった。それが戦後、占領軍によって三つの会社に分割された。

 マスコミへの配信は共同、企業や官公庁へは時事、広告宣伝は電通と役割分担をさせられた。同盟通信は国策によって作られた情報機関だったから、目の敵にされたのである。

 分割後、共同の新聞社向け配信がセンセーショナルすぎるとさまざまな批判が巻き起こり、時事に新聞へのニュース配信が求められた。

 手元に、時事通信社五十年史がある。それによると、当時の時事通信の長谷川才次社長が共同通信の松方三郎理事長代理と会談、記事配信の棲み分けの紳士協定の解消で合意した。

 その席上、松方は「共同では共産党の勢力が強く・・・、ニュース配信が止まれば新聞社が困るので、時事が進出する方がいい」と話したことが明記されている。

 発足当時から共同通信共産党が食い込み、偏向報道を行ってものらしい。

 そういう前提を元に現在の天皇報道を考えると、愛子天皇期待論素直に信じるわけにはいかない。そこには隠された意図があるとしか思えない。

 日本共産党は過去のテーゼで「天皇制廃止」を打ち出し、今も否定していない。

 男系を否定し女系に移れば、天皇家の男子の血筋が絶える。皇統が断絶するのである。だから、共産党は女系女性天皇の誕生を狙う。

 愛子内親王は男系女子だが、適齢期になれば結婚相手を探すことになる。それが元皇族なら問題ではないが、一般人と結婚、男子が誕生すれば、その子に天皇家の男系の血筋は伝わらず、女系となる。前に述べたように、女系天皇は存在しないから、非男系と言うべきだろう。

 その子が天皇になれば、神武天皇以来の男系の血筋が絶え、男系の皇統は断絶する。

 そうなると、天皇の権威を失墜させるため、皇統は断絶したと大衆煽動で攻撃の標的にし、大衆革命、市民革命がやりやすくなる。

 革命までいかなくても、女性宮家の創設は内親王方に深刻な事態をもたらしかねない。

 お相手が一般人としたら、当然だが仕事を持っている。お相手は宮家から職場に通うのだろうか。それとも退職して宮家で皇族の真似事 をするのだろうか。

 立憲民主党の一部議員が、宮家と結婚した一般人を皇族にしろと強硬に主張し(国民民主は准皇族を主張)、有識者会議のヒアリングが紛糾したとも伝えられでいるが、いきなり一般人が皇族になったらどうなるか。

 宮中祭祀、公務など戸惑うだけではすまない。精神的混乱を招くだろう。

 それ以前に、宮家に婿入りするお相手が現れるかも不明だ。皇室へ入る不安、仕事を辞めて宮家の人間として生活するのは、サザエさんではないがマスオさん状態になる。

 仕事を持っていれば名字はどうするのか、婿入りしたら名字はなくなるから、会社勤めできるのか、などなど日常生活に問題が起きかねない。  

 それらを受け入れて宮家に入る人が見つかるかどうか疑問だ。

 大恋愛をして、身も心も内親王に捧げたいという男性ならともかく、そこまで熱烈な献身ができる人は多くないだろう。それも、結婚に当たっては出自や人品人柄など、内親王にふさわしいかどうか、徹底した調査・検討がなされるだろう。

 小室氏と真子さんの二の舞を踏むことは、宮内庁も宮家も望まないだろうから、候補者の資格を持つ男性は、非常に少ないと言わざるを得ない。勇気を持って女性宮家に入ろうと考える適例男性がどれだけいるのか疑問しかない。。 

 お相手が見つかってめでたく結婚にいたっても、子供ができるとはかぎらない。子供ができない可能性は、男性皇族だけではない。内親王だって同じである。

 内親王のお相手が見つからず、独身を強いられるかもしれない。そうなったら、人権蹂躙、人権侵害である。

 お相手が現れず、未婚を強いられたら、そこで血筋は断絶する。それこそ、彼らが好きな基本的人権はどうなるのか。。

 なぜ一般人を皇族にしなければならないのか、女系派からは明確な説明がない。男女同権だとか基本的人権だとかは、リベラル陣営が好きな耳当たりのいい言葉でしかない。説得力は皆無である。

 一般人は皇統の血筋とは間違いなく遠く離れている。一般人と元皇族を比べれば、今は一般人でも、元皇族の方が天皇家の血筋に近いのは否定しようがない。

 女系派は天皇に近い血筋の女性が男系男子と結婚し、双系として皇統を維持したと主張している。血筋を重視するのに、内親王のお相手についてはそれを無視するとはどういうことか。

 婚姻で一般人が皇族になるより、臣籍降下した12宮家が皇籍に復帰する方が、血筋という点では天皇に近いのは言うまでもない。

 女系派は12宮家が皇籍を離脱したのは、宮家側が申し入れたからだから、いまさら復帰はあり得ないというかもしれない。

 だが、占領されている状態では占領軍の言いなりになるしかない。日本国憲法もそうだこが、日本側が発案したという体裁をとり、実際には裏で強制したことは明確である。

 みてきたように、女系派の主張は支離滅裂、ご都合主義、歴史の歪曲、皇統断絶を狙ったとしかいいようがない。

 そもそも、天皇を人気投票の対象にすべきでないのは、日本国民なら誰でも分かっているのではないか。

 愛子内親王に8割の賛成があるからといって、天皇になる条件とはならない。象徴を人気投票で決めることなどできようはずがない。

 さらにいえば、能力とか学力とかで決めるものでもない。

 そんなことは、記事を執筆した共同通信の記者も分かっているはずである。記者がまともな判断力を持っているとしたらだが・・・。もっとも、記者はまともでも、社の方針が女系推進なら、抗うこともできないだろう。

 天皇という象徴を人気投票の対象にすることが,どういう意味を持っているのか、世論調査に答えた人は分かっているのだろうか。

 人気投票は象徴を、世俗の世界へ引きずり下ろすことにほかならない。天皇の存在を貶め、一般国民と同列に扱い、批判しやすくするという狙いが見え見えである。

 もっか、有識者会議の提言について、衆議院は各党の意見聴取を行っている。ここでの主張をみれば、各党が皇統について何を狙っているか明確である。

 共産党女性天皇に賛成なのは、皇統断絶を狙っているから当然だが、問題なのは立憲民主党で、女性宮家の創設を強く求め、野田元総理などが配偶者を皇族にしろと強硬に主張している。

 野田元総理ほどの政治家が、一般人を皇族にする意味を知らないわけがない。

 皇室が一般男性を皇族にしてこなかっのは、皇統に属する男系以外が天皇になれないようにするためである。もし臣下、つまり一般人が、天皇になる野心を持ち皇族になったら、皇族内で重大な事件が起きかねない。

 道鏡事件を思い起こせば、一般男性を皇族にする、あるいはしようとすることがいかに危険なことか明確ではないか。

 だから皇室は、一般男性が皇族になれないよう男系という条件をつけた。女性は男性皇族との結婚で皇族になり皇后にもなれるが、男性は皇族にすらなれない。

 これこそ、「女尊男卑」だと、女系派はなぜ批判しないのだろう。

 天皇は男系という伝統の重大さだかここにある。

 さて、女系派は男尊女卑の大陸王朝に倣って天皇は男系としたと主張しているが、本当にそうなのか? これも事実誤認ではないのか。

まやかしの女系天皇論③

皇室典範の規定は国柄の文字化

 大日本帝国憲法の制定に伴って皇室典範も制定された。開国し諸外国と対等に外交をするには、法制の整備という近代化が必要だったためだ。

 帝国憲法を創るにあたり、明治政府は先進各国に人を送って憲法の研究をさせ、行き着いたのは国の歴史・伝統に基づくという当たり前の結論たった。

 国柄の違う他国の憲法を真似したところでうまく運営できるわけがない。日本国憲法を考えれば明確である。

 帝国憲法の草案を創ったのは井上毅。井上は各国の憲法を入念に調べたうえで、わが国の歴史や伝統を徹底的に研究し、帝国憲法の制定に漕ぎ着けた

 第一章第一条 大日本帝国万世一系天皇これを統治す。 

 伝統と歴史の研究の結果が「万世一系」だった。そして、当初の草案では統治ではなく「治らす」(しらす)だった。大和言葉を使ったところに苦労が見えるが、憲法条文に馴染まないというので、同じ意味合いの統治に書き直しという。

 このように、国の伝統と歴史を踏まえたのが憲法典である。憲法とは国柄のことであり、文字にしたのが憲法典である。

 皇室典範も同じで、国柄として続いてきた天皇と皇室の在り方を文字化したものだ。

 つまり、皇室典範を制定するとき、無意識に続けてきた天皇は男系(男子)を原則とする事実を踏まえて典範が起草された。

 だから、制定までに男系とか女系という言葉などあるはずがなく、文字化する段階で天皇は男系男子と規定された。過去の国柄を法典としたのである。

 伝統と歴史に基づく法典創りという絶対姿勢を井上毅が貫くのは当然だった。

 さて、典範制定に当たり、女性・女系天皇が議論されたことをもって、男系でなければならないという意識は、当時なかったというのが女系派の言い分である。

 典範制定についてさまざまな案がだされるのは当然である。だからといって、女系を受け入れでいたことにはならない。議論がなされたからといって、女系容認という意識が定着していたわけもなく、典範の条文から外れるのは自然な流れだった。

 当時、女系容認という考えが定着していたのなら、井上がいくら反対しようとも、皇室典範に明記されていたはずだ

 いつの時代でも目新しいことを主張する学者諸氏がいる。それが学問だといえばそれまでだが、国家の根幹にかかわる問題で、強引に主張すべきではない。国家百年の大計を損なう。

 以上、見てきたように、女系派の主張は支離滅裂、自説に都合のいいことだけを取り上げるご都合主義そのもので、真摯な学問的姿勢はとてもいえない。

まやかしの女系天皇論②

女性天皇の子は女系?

 女系派は女系女性天皇が存在したと主張する。

 奈良時代の第43代元明天皇は、長女の元正天皇に譲位した。元正天皇の父親・草壁皇子天皇ではなかったから父系ではなく、女系だというのである。

 草壁皇子持統天皇の次に天皇に即位する予定だったが、病弱で薨去、古典では日並しの皇子と呼び天皇と同じ扱いをしている。にもかかわらず、天皇ではなかったから、その皇女は父系ではないとはまともな判断力を有しているとは思えない。

 古代、兄弟継承が続いたことがあった。この場合、女系派は兄弟継承の歴代天皇を男系女系どちらにかぞえるのだろうか。

 女系派は、女性天皇の子供は女系といっているのに等しい。 その証拠に、天智天皇天武天皇斉明天皇皇極天皇)の皇子であり、父親が舒明天皇だから、男女双系だというのである。

 ここまでご都合主義だと、あきれ果てるしかない。

 双系というのは、両親が天皇といっているにすぎない。男女がいなければ子供は生まれないし、母親が偶然、天皇になったからといって女系とするのはあまりも無理がある。

 ちなみに第23代顕宗天皇と第24代仁賢天皇は兄弟であり、父親は雄略天皇に殺され天皇にはなっていないし、母親は臣下の娘である。

 女系派によれば、これでは両天皇とも男系でも女系でもないことになる。女系派は両天皇天皇とは認めないのだろうか。

 女系派は「系」という言葉をどう解釈しているのだろう。男系、女系の「系」は系統の意味なのは明らかである。つまり男系は男性の系統=父系であり、女系は女性の系統=母系である。

 天皇の父親を次々と辿っていけば神武天皇に行き着く。では母親を辿ったらどうなるか。女系天皇をつくったという元明天皇の母親は蘇我一族で、早くも天皇の系譜から外れてしまう。

 これは何系なのかと問われ、まさか蘇我系と答えるわけにもいかないだろう。

 女系派の問題は、自説に都合のいい部分だけを取り上げて、女系女性天皇を容認していることである。つまみ食いをしてそれがあたかも真実のように主張する、これが学問といえるのか首を傾げるしかない。

 数学的帰納法という定理がある。数学は演繹的な学問で、定理を見いだしたら、それを個別に当てはめていく。

 数学的帰納法は逆で、たとえば1から無限大までを次々と足していくとことで、どの数字にも当てはまる公式を導き出す。すなわち演繹法として条件が同じなら応用できる。

1+2+3・・・+無限大=1/2×N(N+1)となりNはすべての数値に適する。

 数学的帰納法は無限の数を対象にして公式を導きだすから学問なのであって、行き着いた公式を演繹してもいい。

 だが、わずか元正天皇という1例(それも正しいとはいえない)を普遍化して、女系女性天皇がわが国の伝統に適していると結論するのは間違いである。帰納も演繹も理解できていないのだろう。

 高校にでも戻って論理学をやり直すべきではないか。

 個別案件を羅列して、歴史や伝統を勝手に解釈すれば国を誤る。

 女系派のやっていることは、日本語と某国の言葉が共通母語を持っていると主張する一部のトンデモ学者と同じだ。

 少年は英語でボーイで、日本語はぼうやだから、ほぼ同じである。だから共通母語を持っているとする笑い話の類である。

 女性天皇は中継ぎではなく立派な仕事をなし遂げているとは、日本語を正しく理解でているのかと疑わざるをえない。

 中継ぎといのは仕事=治世についてではなく、皇統に関してである。

 推古天皇斉明天皇が偉大な仕事をなし遂げたのは、聖徳太子中大兄皇子が執政として政務を取っていたからにほかならない。

 こうした事実を無視して、女性天皇が、偉大な仕事を果たしたと主張するのは、自己正当化を狙った、ためにする議論でしかない。言語学も一からやり直した方がよさそうだ。

 どれだけ偉大な仕事を果たそうと、皇統継承とは関わりがない。