永遠なる魂 第五章 余命2年 2

              2

 浅井がさまざまな難病患者と接触している一方で、ゲルマニウム臨床研究会に参加する医師たちから、多数の臨床例が報告されていた。積極的にGE-一三二を治療に用いる医師たちは、あまりにも顕著な効き目に呆然とし、かつ深い感銘を受けたようである。

 調府市の病院では、田代医学博士がGE-一三二を治療に用いていた。田代博士自身、六十歳直前で全身倦怠感、無気力、頭重、前立腺疼痛が自覚症状としてあり、GE-一三二の効果を自らの体で効果を確かめている。

 博士は一グラム入り五百ミリリットルの水溶液を、一日に二十ミリリットル、朝夕二回に分けて服用した。その結果は、服用一~二日で倦怠感、頭重感が消失し、気力の充実を感じるようになった。前立腺疼痛もしばらくして消失、血色がよくなり手足の冷感もなくなったという。

 これに意を強くして患者の治療に使用したところ、癌手術後患者の再発防止、動脈硬化症、脳卒中、心臓病(特に狭心症)、更年期障害、都市ガスその他の薬物急性中毒症、副腎皮質ホルモン常用の慢性リウマチ、パーキンソン病鬱病、老人性精神病、てんかんレイノー氏病などのすべてに著しい効果があるか、あるいは効果を認めたのである。

 また、乳児のための社会福祉法人の付属診療所でも、岡本医師がGE-一三二を使った臨床例を報告している。四十二歳の主婦の子宮筋腫はGE-一三二を一日四百ミリ投与し、三カ月で筋腫が消失し、手術不要になった。二十五年来の六十三歳の男性糖尿病患者は、肝硬変と食道静脈瘤を併発していたが、GE-一三二投与後六カ月で、すべて改善され治癒状態となった。四十一歳になる看護婦は喘息、高血圧、頭痛、便秘、肝・腎障害などがあったが、六カ月間のGE-一三二投与ですべての症状が軽快した。

 浅井は常々、酸素欠乏が万病のもと、と主張している。野口英世博士も万病一元論を説き、酸素不足がすべての難病の原因と喝破している。

 GE-一三二は一般に言う薬品ではなく、人体に必要な酸素を隅々まで供給し、自然治癒力を高めて不治といわれる病を癒していく。だから、あらゆる病気に有効なのだが、対症療法しか念頭にない現代医学では、万病に効く薬などないと頭から否定される。人間の体を機械と考え、悪くなった部品を取り替えるような発想をしている限り、人類が難病から救われることはない。人類救済には、どうしてもGE-一三二が必要なのである。

 だが、万病に効くが故に、逆に薬としての有効性が認められず、いつまでも日陰の生活を余儀なくされている。現代医学は発想の転換をすべきなのだが、いくら声高に主張しても、領分を守ろうとする厚生省や医者に通用せず、それなら規制している法律に従って医薬品として認可を得るしかない、と浅井は気持ちを引き締める。

 幸いなことに、ゲルマニウム研究会では毒性試験が終わり、各種の臨床試験に入っていて、癌や高血圧、脳軟化症などの難病に顕著な効果があったという報告が相次いでいた。

 ゲルマニウム研究会は武藤の意もあって特に癌を対象にし、なぜGE-一三二が有効なのか、浅井としても理論的に解明する必要がある。

 浅井は救いを求めてくる人々に手を差し伸べながら、GE-一三二が癌に及ぼす効果の研究を進めた。その結果、ゲルマニウム半導体という性質が、癌を死滅させる原理がわかったのである。もっとも、さらに研究が進んでゲルマニウムが具体的に癌を絶滅させていく複雑な過程が明確になっていくのだが、この時浅井が発見した癌撲滅のメカニズムは、鋭い考察と観察に支えられ、永遠の真理とでもいうものだった。

 近代物理学の開祖アインシュタインは、物質はエネルギーを持ち、エネルギーは質量を持っていると、特殊相対性理論で述べている。そしてエネルギーは微粒子からでき、凝集したところが物質であると論じている。

 同様に考えれば、人体もエネルギーを持つ微粒子が凝集して成り立っていることになる。そして、微粒子の集まりの人体各部分は、エネルギーの凝集体としての機能を果たしているのだが、それぞれ独自のエネルギー、言い換えれば電位を持っている。その電位が狂うと病気が発生するのは近代医学で実証されている。

 これは各細胞の電位を正常に戻してやれば、病気が治癒するということにほかならない。ゲルマニウム半導体という性質から、人体に入れば電位を正常に戻す働きがある。

 癌細胞は、他の正常な細胞より電位が高く、激しく変動している。癌細胞は猛烈に増殖するからエネルギーが高く、電位も高いのである。

 半導体ゲルマニウムは、ポジティブホールで電子を吸収し、癌細胞と接触して電子を奪い、電位を下げると考えられる。この場合の電子は水素イオンで、電位を下げて癌細胞の活動を停止させてしまうのである。

 電位が下がった癌細胞は増殖できず、増殖しなければ転移することもない。これが、ゲルマニウムが癌に有効な理由だと、浅井は考えている。

 半導体の性質にはさまざまなものがあるが、その中で体内にゲルマニウムが豊富にあると、放射線障害を防ぐことができるという現象がある。

 放射線治療はガンマー線を照射するが、言い換えれば電子を癌細胞にぶつけて壊すのである。だが、癌細胞を殺すのはいいが、同時に血液の赤血球や白血球まで破壊してしまい、生命までを脅かすことになる。

 だが、生化学的研究が進み、ゲルマニウムが血球にぴったりくっつき、ぶつかってきた電子を原子の軌道で回し、血球に当たらないよう守る働きをしているのが判明した。

 つまり、放射線治療を行う時、前もってGE-一三二を服用しておけば、副作用の心配がないということになる。

 末期癌の痛みがなくなるのも、半導体としての性質による。痛みの原因が発生すると、神経細胞を伝って電子が移動し、脳に伝達されて痛みを感じる。

 ところが、ゲルマニウム神経細胞中を移動する電子の動きを攪乱し、移動を停止させてしまうのである。電子が脳に到着しなければ痛みを感ずることはない。

 さらに半導体同士は、電子特性から共存できないという性質を持っている。人間の血液や細胞は半導体の性質を保有しているから、体内に入ったゲルマニウムを反発して追い出し、蓄積することがない。つまり、水銀やカドミウムのように、人体に蓄積して深刻な病気を引き起こすことはあり得ないのである。

 血液の酸素を増やし、病気の原因となる異常電位を正常に戻し、しかも副作用がないGE-一三二は、人類救済の究極の元素だと浅井は信じている。

 GE-一三二は生命の元素とでもいうべき存在で、ゲルマニウム研究会の発足で医学的な解明が行われるようになったから、やがて医学界で認められ正式な治療に使われるに違いなく、浅井は一生をゲルマニウムの研究に捧げてきて良かったと実感する。

 医薬品の数は何万種類にも及ぶが、半導体を原料に使った薬は一つもない。いずれ半導体薬品がこれからの医学界に革命的な変革をもたらすのは容易に想像でき、そのためにもGE-一三二を世の中に広めなければならないと浅井は決心するのだった。

 浅井が不思議でならないのは、GE-一三二の効き目は子供に顕著ということである。さらに大人でも、信心を持つ人や素直な人ほど効果を表す。ある種の職業人のように、ものごとを疑ってかかる人々には、ほとんどと言っていいほど効かない。

 なぜかと言えば、ゲルマニウムは薬理効果だけではない何か、精神的な何かを内包しているのではないかと推察できる。子供は物事を信じやすく素直だし、信仰のある人々はありがたいと感謝する心を持っている。そこに効き目の差が表れてくるのではないか。

 アレキシス・カレル博士はルルドの泉の奇跡を考察し、科学の境界を超える現象を声高に論じている。いわく、われわれはこの物理的な世界を超えて、どこか他の所に及ぶ広がりを有することを知っている、と。

 大自然の中にあって、ゲルマニウムは神が人類に恵み与えてくれた生命の元素である。

 浅井はそう確信せざるを得ない。

 これを世に知らしめるにはどうすればいいのか? 一つはゲルマニウム研究会のような研究グループで地道な臨床試験を続け、医薬品として厚生省に認めさせることだが、それには長い時間と巨額の費用がかかる。それを待つ間に、浅井にはできることがあるはずである。

 そう考えた時、ルルドの泉と山吹のお水が、それぞれ信仰は違うが、奇跡の水として信者にうやまわれ、多くの奇跡を現実に現していることがヒントになり、一つのアイデアが浮かんだ。特定の宗教人を対象にするのではなく、GE-一三二が難病に奇跡的効果を持つことを、一般の人々にわかりやすく訴えればいいのである。

 浅井は松緑神道大和山の信者たちと相談し、十六ミリ映画を作ることを思い立った。カラー・トーキーは三十分の長さで、「生命の水」と題し、素晴らしい出来になった。

 山吹のお水を調べ、十六ミリ映画を作ったことで、大和山の田沢康三郎教主とは極めて親しくなった。宗教家は概してGE-一三二の神秘性に惹かれるようで、真如会の紀野一義主幹とも懇意になった。紀野は家族の慢性リウマチやアトピー性皮膚炎をGE-一三二で治してから浅井の熱烈な支持者になった。

「オーラの人」

 紀野は浅井をそう評していたが、宗教者の多くが浅井から強烈なオーラを感じているようだった。

  もっとGE-一三二を多くの人に知ってもらいたい。浅井はそんな思いに突き動かされ、さまざまなつてを頼り、ゲルマニウムの本を出してくれる出版社を探し、引き受けてくれるところが見つかった。昭和四十九年の秋も深まった頃である。

 浅井は以前からゲルマニウムについて、物語風の小説を書いてみたいという気持ちがあった。ただ、ずいぶん以前に、東京・渋谷の寿司屋で一緒に飲んでいた詩人の三好達治氏に漏らしたとき、「バイブルとか論語とかは、小説ではありませんよ」と厳しくたしなめられていたから、随筆にすることにした。

 だが、原稿を書くという仕事は思いのほか難しく、慣れないせいもあって激しく疲労した。もっとも、毎日明け方近くまで机に向かっているのだから、疲れないほうがおかしいのかもしれない。

 七月に入った蒸し暑い明け方。原稿を八カ月も書き続け、やっと完成間近になり、あと少しとばかりに午前四時までかかって三十枚の原稿を書き終えた。執筆の間中、浅井は疲れを紛らわそうとひっきりなしに煙草を吸うから、机の上の灰皿は吸殻で山盛りになっている。健康によくないとは思いながら、つい手が出てしまう。

 いつもの日課で、書き終わった浅井は、重曹を水に溶かしてうがいした。

 おや?

 喉の奥で何か引っ掛かるものがある。高い声を出しにくい。だが気にもせず、浅井はGE-一三二の水溶液をたっぷり飲んでベッドにもぐり込んだ。猛烈な眠気にあっという間もなく睡眠に引きずり込まれた。

 翌朝、声がひどくしゃがれている。風邪でも引いたかと軽く考えていたが、しゃがれ声は一向に治らず、普段話す時も絞り出すような声しか出せなくなってしまった。

「酷い声をしているわね。風邪かしら」

 エリカが眉をひそめたが、浅井はGE-一三二の服用で人一倍元気なのを知っているから、医者へ行けとも言わなかった。

「執筆の疲労がたまっているんだろう。軽井沢へ逃げ出せば、疲れも声も治るさ」

 浅井は夏が苦手で、毎年、梅雨が開けると軽井沢の山荘に避難し、ピアノ曲を聴いたり思索に耽るのをならわしにしていた。だが、この年は執筆で東京を脱出するわけにはいかず、原稿を出版社に渡すまではと頑張っていた。原稿が完成したのは七月半ばすぎで、これでやっと蒸し暑さから逃れられると軽井沢へ出掛けた。

 八カ月以上も原稿執筆で睡眠を削り、寝るのは毎日明け方だったから、心身ともに疲労は限界に達していた。九月初旬にはフランスのエクス・アン・プロバンス市で、第一回の世界自然療法学会が開

かれる。浅井は「ゲルマニウムの医療効果 とくにガンに対して」という題で講演することになっているから、それまでに疲れを癒し喉を治さなければならない。

 だが、軽井沢へ引き込んでもしゃがれ声は治らず、薬局で喉の薬を買って飲み、GE-一三二を併用していたが、良くなる兆しはなかった。それでも疲労感はずいぶん軽くなり、近所を歩き回っても疲れることはなかった。

 山荘ではあまり人と会うことはないが、八月に入ってすぐ、小諸市から柳井が一年間の実験結果を持ってやってきた。柳井は小諸市の郊外で薬湯を経営していて、二年前にGE-一三二の噂を聞きつけて訪ねてきた。その時、ルルドの泉では重病人が奇跡の水が入った水槽に体ごと漬かるのを思い出した。日本でも、傷ついた武士が湯治した温泉は、いずれもゲルマニウムを含有していることがわかっている。

 そこで、浅井は柳井にGE-一三二の粉末を渡し、ゲルマニウム風呂の実験を勧め、昨年の夏に報告を受けたのだが、残念ながら失敗だった。

「どうもいけません」

 一年間の実験結果を持ってやってきた柳井は、浅井と顔を合わせるなり、唇をきつく結んで首を振った。

「効かないのですか?」

「そうではないのですが、湯の汚れと臭気が酷いのです」

 柳井は、GE-一三二をわずか三百ppm(一万分の三)溶かした浴槽に、十五分から二十分間入浴する実験をした。だが、驚いたことに入浴者の全身からわけのわからない汚物がしみだし、湯が汚れて臭気を発する。さらに黴の一種であるフザリウム・ペニシリウムという藻のようなものが繁殖し、濾過装置が詰まってしまうというのである。

「あの汚れ方では衛生上好ましくありませんし、だからといって高いゲルマニウムを溶かした湯を、頻繁に取り替えるわけにもいきません。お手上げです」

 ゲルマニウム風呂の効果は間違いないと浅井は確信していたが、衛生上好ましくないとあれば断念せざるを得ず、計画は暗礁に乗り上げてしまった。

 そこで浅井が思いついたのが、青竹踏みが病気を治したり、漢方では手のひらで体の悪い場所を判断していることだった。足や手には各種のツボが集中し、東洋医学では治療するのに手と足を温めろと指導している。

「全身でなく、手と足だけで試したらどうでしょうか」

「そんなことができますか」

「例えば、樋のようなものにゲルマニウムを溶かした湯を満たし、足と手だけを浸すとか」

「いけるかもしれませんね」

 相談した結果、浅井と柳井は手首と足首だけをゲルマニウム湯に浸す装置を考え出した。ゲルマニウムを溶かした湯をボイラーで四十二度に保ち、ポンプでステンレス製の上下二段の樋に循環させ、入浴者は座ったまま手と足を浸すという方法である。これなら汚れや黴の繁殖は少なく、濾過装置は順調に動くはずである。

 浅井は自分でも試してみたが、手首と足首をゲルマニウム湯に入れているだけで、驚くほど大量の汗が出る。全身から噴き出す汗を、ほかの人が拭き取らなければならないほどで、新陳代謝が活発になっていることを物語るものだった。

 この装置を作って一年がたち、その結果を柳井が報告に来たのだった。

「大変な評判ですよ。腰痛や肩凝り、神経痛などの慢性病が次々と治っています」

 柳井は浅井と対面するなり、挨拶もそこそこに白い顎髭を伸ばした顔を綻ばせた。

「それは素晴らしい」

「膝や腰が痛いといって真っ直ぐ歩けなかった人たちが、二、三回入るだけで痛みが消え、すんなり歩けるようになるんです。奇跡の温泉と喜ばれています」

 柳井が入浴者を観察したレポートでは、入って二、三分すると身体中から大粒の汗が噴き出し、入浴後は体の内部から熱が湧き上がってくるようで、いつまでも消えない。大量の発汗にもかかわらず、入浴した全員がまったく疲労を感じない。長年の神経痛が軽くなり、数年来の便秘が解消し、冷え性が治るなどの効果が続出しているというのである。

 動物実験では、GE-一三二は皮膚から良く吸収されることがわかっている。ゲルマニウム湯に入った人たちは手足の皮膚からGE-一三二が吸収され、服用したと同じ効果を表しているのに違いなかった。

「大勢の人たちが利用できるよう、工夫してみませんか」

「病人に喜ばれるのは間違いありませんから、是非、やりたいと考えています」

「クール・バードという名前ではどうでしょう」

 ドイツ語でクールというのは治療で、バードは入浴のことである。

「いい名称です」

 浅井の提案に柳井はすぐ賛成し、ゲルマニウム湯を推進することにした。

 柳井との話は尽きなかったが、声の調子が悪く、長く話していると疲れてくる。柳井は浅井の声をしきりに心配したが、久しぶりに長く話したせいだろうと軽く受け取っていた。

 変だな? と思ったのは、八月の半ばだった。耳の聞こえが悪くなったと気にかかりはじめた時、大量の耳だれが出たのである。耳の聞こえは一段と悪くなったが、体調はすこぶる良く、食欲はあるし、夜もぐっすり眠られるので、そのうち治るだろうとほうっておいた。

 浅井は八月いっぱいを軽井沢で過ごし、九月八日にエリカとともに羽田から日航機でフランスへ向けて旅立った。

 エクス・アン・プロバンス市は、南フランスのマルセーユの六十キロ北にある。市内は古い城郭に囲まれ、石作りの兵舎や多くの教会が建ち、古代ローマの面影をそのまま現代に残していた。通行人さえいなければ、二千年前のローマ帝国そのものである。

 浅井たちが泊まったのは、昔の僧院を改造した落ち着いた雰囲気のホテルだった。

 世界自然療法学会は近代医学に飽き足らない有志たちが呼びかけて開かれたもので、ドイツ、フランス、英国、アメリカなど各国から二百人が集まった。学会は古い教会の内部を改造した会議場で開かれ、英語、フランス語、ドイツ語の同時通訳付きだった。

 会議は近代医学に疑問を持つ学者たちの集まりだったから、鍼治療やマッサージ治療、薬草、食事療法など、東洋医学的な発表が中心だった。

 さらに、芳香療法、虹彩療法、イオン療法、ホメオパシー、ビタミン療法などを提唱する講師も多かった。興味深かったのは、瞳の周りにある虹彩を拡大鏡で撮影し、その模様で人間の健康状態を判断するという虹彩診断だった。

 起源はギリシャ時代にさかのぼり、ジプシーが継承して占いに使っていて、ドイツで体系化して病気治療に利用されるようになった。全身が虹彩につながっていて、どんな病気も虹彩に異常を示すから、疾患の場所を特定して治療に役立てられるというのである。

 手や足にはさまざまなつぼがあり、それを観察して病気の箇所を判断したり、鍼や指圧では治療に使い、クールバードもその原理を利用している。だから、目は口ほどにものを言いではないが、虹彩が全身状態を投影しているというのはうなずけることだった。

 浅井が講演したのは二日目で、喉の調子はすこぶる悪く、用意してきた「生命の水」の映画を三十分上映し、二十分の講演で勘弁してもらった。

「酸性体質にならないよう注意し、ゲルマニウムを信頼し他の近代医薬に頼らないこと、そして精神状態を安定に保てば、ゲルマニウムは劇的な効果を表します」

 講演は拍手の渦に巻き込まれた。持ち時間は一時間で、十分間の質疑応答が予定されていたが、聴衆の関心は驚くばかりで、時間内にはとても終わらず、浅井は講演後に大勢の質問者に取り巻かれ、身動きすらできない状態になってしまったのである。

 日本では医学関係者に噛んで含めるように説明しても、ほとんどの人間がそっぽを向く。それなのに、会議参加者の関心の高さには驚くばかりで、会議開催中に浅井が会場に現れると、大勢の人々が集まってきて矢継ぎ早の質問を浴びせてくる。地元の新聞にも取り上げられ、学会はゲルマニウムの声で埋め尽くされてしまった。

 浅井は日本で冷遇されているだけに、どうしてこんな騒ぎになるのかわからなかったが、それが理解できたのは、数人の学者から意見を聞いた後だった。

 近代医学の有害性や無力さに反発し、薬草だとか鍼だとか、食事療法と騒いでも、病気の治療には限界があり、特に難病の場合はお手上げというのが実態である。虹彩診断にしても、体の悪いところを発見できるが、では治療するとなると、実際には食事療法しかない。

 だが、漢方薬や鍼治療などとGE-一三二を併用すれば、相乗効果で驚異的な効果が表れるに違いない。GE-一三二は、難病治療という厚い壁を破ったのだと、参加者のほとんどが絶賛した。

 日本は明治時代に西洋医学を導入し、江戸時代まで続いた漢方医学を否定した。それ以後、西洋医学は最高の治療方法だと絶対視してきた歴史がある。

 確かに西洋医学の対症療法で、天然痘結核などの死病が克服され、多くの患者を救った。

 だが、全身状態の悪化、つまり細胞の酸素不足から生ずる癌や心臓病、糖尿病や高血圧には無力なことがわかっていない。酸素欠乏による代謝病を、対症療法的に克服しようとするのがそもそも間違いなのである。

 日本では近代医学が絶対視されているが、それを発展させた大本の国では限界を悟り、新たな治療法を求めているのではないか。浅井は会議場での聴衆の興奮を眺めて驚くと同時に実感した。

 GE-一三二はかならずや人類を救済する。そういう思いを強くし、会議を終えた浅井は、三女と長男のいるドイツへ向かった。