永遠なる魂 第五章 余命二年 1

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 ある日、船田という大手企業に勤める四十二歳の男性が、知人の紹介状を持って浅井を訪ねてきた。暗い顔色の船田は目が真っ赤に充血し、聞き取りにくい小さな声で、ため息をつくように説明した。九歳になる長女が、大学付属病院で骨髄性白血病と診断され、ベッドがあくのを待っているというのである。

 浅井は同じ病で亡くなった小林の息子のことが念頭にあり、つい強い口調になった。

「お嬢さんを難病治療のモルモットにされたくなければ、絶対に入院させてはなりません」

 浅井は小林の息子の例を話し、GE-一三二でかならず治るからと、治療にあたっての心構えを詳しく話した。

 細面で黒縁の眼鏡をかけた船田は、浅井の説明を聞いてしばらく沈黙していたが、姿勢を正して頭を下げた。

「実は、医師からは一年の命と宣告されています。どうせ一年の寿命なら、病院でモルモット代わりにされるより、GE-一三二に賭けてみたいと思います。どうか、助けてやってください」

 浅井は、病院のカルテを手に入れ、すぐゲルマニウム・クリニックで医師と相談するよう勧めた。

 有機ゲルマニウムを求める人の数が増えるにつれ、医学知識の乏しい浅井では対応できなくなり、友人の医者に頼んで診療所を開設してもらった。成城駅から近いビルの一室で、有機ゲルマニウムによる治療を始めたのである。

 船田は言うとおりに翌日クリニックを訪ね、GE-一三二を娘に服用させ、ベッドがあいたから入院するようにという病院の連絡を断った。

 船田が浅井を訪ねて来てから半年ほど後だった。

「ありがとうございました。娘が助かりました」

 血色のいい顔色をした船田が、顔を輝かせて浅井の家へ飛び込んできた。

「快復なさったのですね」

「そんな言葉では言い尽くせません。GE-一三二を飲みはじめてから病症が日ごとに良くなり、今は小学校へ登校できるまで元気になりました。娘はGE-一三二を肌身離さず、少しでも体調が悪くなると、すぐに服用しています」

「それは良かった。決してGE-一三二を欠かさないように」

 船田は何度も頭を下げて喜んでいた。

 船田の娘の治療はうまくいったが、両親がGE-一三二を信じ、病院に入院させなかったのが良かったといえる。だが、浅井は決して現代治療を否定する気持ちはない。場合によっては手術で不要なものを取り去らなければならないことがあり、それには外科手術は不可欠だからである。

 その典型例が、脳腫瘍の野村の娘だった。死んだ癌の腐敗物を除去しなければならないと、何度説得しても野村は応じなかったが、ついに娘の体力が尽き、梅雨の終わりに亡くなったのである。

 連絡を受けた浅井は品川の野村の自宅へ通夜に訪れた。さぞかし悲しんでいるだろうと予想していたが、案に相違して両親は温和な表情をしていた。

 悔やみを言い、焼香して柩に収められた娘に別れを告げた。花に囲まれた娘の顔は、まだ血の気があるように色づき、とても死者の顔色ではなかった。脳腫瘍という難病に苦しんだ痕跡はなく、眠れる森の美女のように、やすらかな寝姿だった。

「苦しまれた様子がなく、なによりです」

 両親に頭を下げ帰ろうとした浅井に、母親がうなずきかすかに微笑みを浮かべた。母親の顔に悲しみは残っていたが、うちひしがれた様子はなく、穏やかな表情をしている。浅井は母親に目で問いかけた。

「だれも気づかないうちに、安らかに亡くなりました。娘は死んだのではない、神様に手を引かれて天国へ召されていったのだと思うと、見えない目が開いたように、世界が明るくなりました」

「天国ではきっと、穏やかに過ごされているでしょう」

「納棺する時も体の硬直はありませんでした。まだ体に温もりがあり、亡骸を柩に入れるのをためらいました。でも、これですべての苦しみから解放されたのだから、喜んでやらなければならないのかもしれません」

 母親はハンカチで目をそっと拭いたが、泣き崩れようとはしなかった。

 少女は亡くなる五日前、口から悪臭のある膿血のようなものを大量に吐いたという。死んだ癌の腐敗物が行き場を失い、嘔吐という形で噴出したに違いなく、浅井の判断に誤りはなかっただけに、手術さえしていればと、唇をきつく噛みしめた。だが、少女は精いっぱい生き、寿命が尽きて天に召されていったと考えれば、それだけでも治療のかいがあったといえ、安らかに永眠できるよう祈るだけだった。

 浅井が直接接触した以外にも、ゲルマニウム・クリニックでは多くの難病に驚異的な治療効果を上げていた。

 ゲルマニウム研究会が発足した時、GE-一三二で治療していた医師たちのために、臨床研究会という別組織を立ち上げていた。治験薬を公然と一般の治療に使うわけにいかないから、厚生省の指導で作ったもので、ゲルマニウム・クリニックは代表的な存在だった。

 浅井は時間があるとクリニック院長の牧口が記した診療メモに目を通すのだが、どれを読んでもGE-一三二の威力を再認識せざるを得ない。

 例えば、四十二歳のベーチェット病患者は、視力が衰え歩行困難になって入院加療したが、病状は悪化する一方で、妻と友人に付き添われてクリニックを訪れた。

 医師はGE-一三二を一日当たり一・五グラム服用を指示し、二十日後には別人のように元気になって自分で製品を取りにきた。ベーチェット病は著効と良好の三件が治療例として残っている。

 また、寝た切りの七十歳になる女性の脳軟化症患者は、水溶液で一日三百ミリグラム投与したところ、七日目に病床で食事が可能になり、二カ月後には自宅で歩けるまで快復した。

 一酸化炭素中毒、肝機能障害、高血圧、前立腺肥大、子宮筋腫など、血液が大量に集まる器官の障害には、GE-一三二が特に効くことがクリニックの診療メモから明らかになっている。

 なぜかといえば、浅井はGE-一三二の服用で血液中の酸素が増えることが最大の原因だと考えている。脳や肺、心臓や肝臓、子宮などの臓器は、正常に働くために大量の酸素を必要とするが、酸素が欠乏するとさまざまな症状を表す。そこへGE-一三二で酸素が豊富になった血液が集まるのだから、症状が改善されるのは当然なのである。

 それを証明する幾つかのエピソードがある。ある日、研究所へ出勤しようと準備していると、以前から近所付き合いがある浅井と同年輩の老人の息子が飛び込んできた。

「大変です。親父が倒れてしまいました。どうしたらいいんでしょうか」

 息子は顔面蒼白で目が吊り上がり、唇をわなわな震わせた。

「慌てないで、どういう状況か説明してください」

脳卒中で倒れ意識不明なんです。近所の先生に往診に来てもらったんですが、酸素吸入すらできない状態で、お手上げです」

「これを飲ませなさい。口から入らなければ、医者に言って鼻から管を使って注入するんです」

 浅井はGE-一三二の水溶液を息子に渡した。息子は取って返し、医者に頼んで言われた通りにしたが、老人は意識を失ったままだった。

 浅井は老人の症状が心配だったが、研究所で人に会う約束があって見守ることができず、容体が変わったらすぐ連絡するよう言い残して出勤した。

 その数時間後である。息子から電話がかかってきた。

「先生! 驚いたことに親父が意識を取り戻し、止めても話をするんです」

「それは良かった。水溶液を継続して飲ませてあげてください。ただ、安静にさせてくださいよ」

 息子に注意を与え、帰宅したら見舞おうと考えていたが、来客や打ち合わせが重なり、帰ったのは深夜になってしまった。そんな時間に病人のいる家を訪ねるのは非常識だから、翌朝出掛ける前にのぞいて見ることにした。

 そして翌日の朝、出勤の準備をしていた浅井に、息子が礼を言いにきた。重病人を抱えた家族とはとても見えない晴れやかな顔つきから察し、父親は回復に向かっているらしかった。

「おかげさまで大事には至りませんでした。ただ、言うことを聞かないので困ってしまいます」

「病人の我が儘が出ましたか」

「それならともかく、寝床から起きて一人で便所に行ってしまうんですよ」

「安静が必要なのに」

「さっき往診に先生が来てくれたんですが、親父が歩いているところを見て、お化けだ、と叫んでいました。親父はどうなったんでしょうか」

 息子は呆れ返った顔で浅井に返答を求めたが、苦笑いするしかなかった。

 まるで笑い話だが、浅井はかねがね脳卒中脳軟化症で倒れたら、六時間以内にGE-一三二を飲ませるか、口から入らなければ鼻から管で入れろ、と話している。

 同様に、一酸化炭素中毒にもGE-一三二は驚異的な力を発揮する。火事の消火中に一酸化炭素中毒になり、瀕死の状態になった二人の消防士が、鼻からGE-一三二を注入して命を取り止めたこともある。

 これも血液と結びついた一酸化炭素ゲルマニウムが結合し、血液内の酸素が元に戻ったからにほかならない。

 GE-一三二はまるで命の特効薬のようだが、残念ながら飲めばだれでも治るというわけではない。特に物事を信用しようとしない人や、金銭や物質への執着心の強い人には効き目が弱い。自らの体が病を治すという事実を信用しなければ、肉体の免疫力が上がらないし、執着心が強いとストレスがたまり、血液が酸性に傾くからだと浅井は考えている。

 その典型的な例が、浅井を訪ねてきた三人の中年婦人だった。五十歳前後の婦人の病気治療が目的で、二人は付き添いだった。病気の婦人はゲルマニウム・クリニックで診察を受け、GE-一三二の服用方法を教えられたが、どうしても浅井に会って効果を確認したかったという。

「ちょっとお待ちください」

 浅井は三人を応接室へ招き入れ、書斎からクリニックに電話して症状を聞いた。

「肝臓癌が腹膜に転移し、腹水もたまっています。病院が匙を投げたということです」

 診察した医師の説明では、ほとんど絶望的な状態だった。

 だが、GE-一三二は奇蹟的な効果がある。これまでも医者に見放された何人もの末期患者を救ってきた。GE-一三二を信じ、体を酸性に傾けないよう精進すれば、完治しないまでも病気の進行は抑えられる。

「治すのはあなた自身だと、しっかり認識してください。GE-一三二は血液の酸素を増やし、あなたのお手伝いをしますが、本人が治すのだという気力を持たなければ効き目がありません。それから、精神を安定させ、くよくよ考えたりしないでください。ストレスが血液を酸性にし、GE-一三二の効果が表れません」

 浅井の説明に、婦人の顔にかすかな希望の輝きが表れたようだった。婦人は有名な作曲家の未亡人で、病院は考えうるすべての治療をしたのだろうが、難病中の難病である肝臓癌で、腹膜にまで転移していては、手の尽くしようがなかったに違いない。

 婦人が訪ねてきてから六日たち、付き添っていた人から浅井に電話があった。

「GE-一三二を飲みはじめてから腹水が取れ、体が非常に楽になったので、お医者様と相談して自宅療養することになりました」

「それは良かった。GE-一三二を欠かさず服用するようお伝えください」

「それで、あの 。先生に是非お会いしたいと病人が言っております。大変申し訳ありませんが、お暇な時にご足労願えませんでしょうか」

「さっそくうかがいましょう」

 浅井は心地よく承諾した。GE-一三二に最後の望みをかけて訪ねてきた人には、求められればかならず見舞うことにしている。見舞って元気づければ免疫力が高まり、難病と闘う気力体力が湧いてくるからである。

 浅井は原宿の神宮通りに面した高級マンションの三階へ婦人を見舞った。部屋は厚い絨毯が敷かれ、婦人は広い寝室のベッドで寝ていた。

「ご気分がいいようですね。ですがこれからが肝心です。食事に注意し、心を平穏に保つよう努力し、早く病気を治してください」

「おかげさまで、ずいぶん楽になりました。先生、わたしはどうしても死にたくありません」

 婦人は濡れた目ですがるように浅井を見上げた。その瞳には必死の思いが込められているようだった。死にたくないのはだれでも同じだが、婦人には何か事情があるように思えた。

「病気と闘うという意識をしっかり持てば、きっと快復します」

「皆が亡くなった夫の遺産を狙っているんです。わたしは今までだれにも取られまいと戦ってきました。わたしが死んだら、今までの苦労が水の泡になります。どうかわたしをもうしばらく生かしてください。お願いします」

 潤んだ目で訴える婦人に、浅井はそうだったのかと納得した。亡夫の遺産がどれだけ巨額なのか知らないが、財産への執着心と、他人に取られるのではないかという疑心暗鬼がストレスを高め、癌に罹かったのだと推察した。最初にくよくよしてはならないと注意したのに、これでは病気を治す根本的な条件が失われていた。

「GE-一三二を信じることです。病気を治すにはそれしかありません」

「お医者様が毎日往診してくださって、抗癌剤を注射してもらっています。お注射とゲルマニウムを飲んでいれば、かならず治りますわね」

 婦人は胸にたまっていた思いを言うだけ言い、疲れたらしく目を閉じた。

 浅井は婦人のやつれた顔を見下ろし、小さくため息をついた。あれだけGE-一三二だけで治療しろと口を酸っぱくして言ったのに、抗癌剤を併用しているとは思いもしなかった。出来る限りの治療を受けたいという気持ちはわかるが、浅井は失望せざるを得なかった。

 それから二十日ほどたって、婦人からお会いしたいと電話がかかってきた。指示通りの服用をしていないからといって拒むつもりはなく、浅井は再び婦人の病床を見舞った。

 病臥している婦人の顔を見て、浅井は目をみはった。顔は血色が良く、苦しみのかけらさえ見当たらず、唇には微かに笑みが浮かんでいるようだった。

「先生。亡くなった主人が天国から、早くおいでと呼んでいます。わたしも早く主人のところへ行きたくなりました。そしてこの歌を聴かせてあげたいのです」

 ステレオから静かなメロディーと歌が聴こえていた。

「先生。大変お世話になりました。ご恩は決して忘れません。お別れに、わたしが吹き込んだこのレコードを差し上げます。しばらく一緒に聴いてください」

 婦人の目は穏やかに澄み、財産への執着や現世のしがらみを洗い落としていた。

 浅井は右手を婦人の額に当てた。これでいいのだ。静かに眠ってください。心の中で呟き、浅井は部屋を後にした。

 婦人が亡くなったのは、その夜だった。葬式に出席した浅井は遺族から、眠るような安らかな昇天で、翌日の昼すぎまで体温があり、体は硬直がなかったと聞かされた。両手を合わせて胸に置いた姿は、あまりにも美しく、遺族たちは思わず合唱したという。

 四十九日の法要が終わって訪ねてきた遺族は、荼毘に付した後、骨は桜貝のようにきれいで、原形のまま残っていて、とても骨上げする気になれなかったと話していた。

 癌で亡くなった人たちは、死に際の苦悶の表情が顔に残り、荼毘に付した骨も、癌に侵された跡が歴然とある。死に神と闘い抜き、苦しみ悶えて生命尽きるのだから、骨に痕跡が残るのは当然だろうが、婦人にそんな跡がなかったのは幸いだった。

 婦人がもっと早く執着心を捨て、我欲のない生活をしていれば、あるいは快復したかもしれないと残念でならないが、これもこの世の縁のなせる業と考えるしかない。