中韓ODAの闇 3(了)

「優遇しすぎの対中ODA」

 外務省によって公表されている2015年度までの対中ODAは円借款3兆3164億8600万円、無償資金協力1575億700万円、技術協力1839憶6万円の巨額になっている。

 反中感情の強い人は無償資金協力がケシカランなどと批判するが、全体からみれば大した金額ではない。一番の問題は3兆円を超える円借款である。

 対中ODAの特徴は、中共の5か年計画に従って円借款を供与してきたことである。最初の第1次円借款は1979年12月に大平首相が表明、1979年度から83年度までの5年で、総額3309億円、金利3%で10年据え置き、30年償還というものだった。主に、石炭の輸送路整備が中心で、鉄道、港湾、ダムなど6案件が対象だった。

 第2次円借款は1984年に中曽根首相が表明、1984年度から89年度の6年間で、16案件5400億円、金利は2.5―3.5%で、やはり10年据え置き、30年償還となっている。

 第3次円借款は1988年に竹下首相が表明、1990年度から95年度までの6年間で40案件総額8100億円、金利2.5%で10年据え置き、30年償還だった。

 1989年には天安門事件が発生しているにもかかわらず、翌年から8100億円という巨額の円借款が行われた。わが国政府は大弾圧を厳しく非難して円借款を中止すべきだったのに、先進国の対中制裁をいち早く解除してしまった。媚中外交そのものである。

 第4次借款は村山首相が1994年12月に表明、1996年度から2000年度までの5年間で68案件9700億円、金利1.8-2.3%。10年据え置きの30年償還である。

 第5次円借款は時の小泉総理が消極的だったこともあり、総額4409憶900万円と大幅に減少した。中共は当時の温家宝首相が反発したが、沿岸部のインフラ整備はほぼ完成していたこともあり、最後の円借款となった。靖国神社参拝を激しく攻撃されては、小泉総理としては支援する気など起きるはずもなかっただろう。

 この時、以前は5か年計画分を規定路線として計上していたが、単年度査定に変えたことも円借款減少の要因になっている。

 対中円借款の終了に反対する声も日本国内にあった。中共円借款を確実に返済しており、元利が確実に戻ってくる優良融資だとか、中共に対する数少ない外交カードだというものである。

 中共が経済発展して以降、円借款外交カードなどになり得ないし、優良債権という主張も的外れもいいところである。

 例えば1兆円の円借款金利3%、10年据え置きで30年償還としよう。1979年当時、銀行が企業に貸し付ける長期プライムレート(最優遇貸出金利)は8.1%、80年3月1日には8.8%となり、さらに4月1日には9.5%と上昇している。

 世の中は高金利時代だった。企業は長期資金を借りるのに、おそらく9%を超える金利を支払っていたのではないか。

 また国の借金である10年物長期国債の利率は、1979年には9.15%、80年は8.86%、81年は8.12%となっており、対中円借款の利率よりはるかに高い。自国が高金利で資金調達し、はるかに低い金利円借款するとは本末転倒である。

 日本国内の高金利に対し、対中円借款は最貧国へのODAだとしてもわずか3%で、長プラとの金利差は6%もある。

 1兆円を1年借りた金利相当分は、企業では9%で900億円、中共は3%300億円ですみ、その差はなんと600億円になる。

 返済を10年据え置き、企業が金利9%で融資を受ければ、9000億円の金利を支払わなければならない。これに対し中共は、10年分の金利3000億円で済む。企業融資だとすれば金利差分の6000億円もの金額が、中共に贈与されたことになる。

 また、企業融資との金利差が6%を考えよう。30年償還は複雑な複利計算になるが、金利差分だけで借款額1兆円を大きく上回る。

 この計算を対中円借款3兆3000億円(丸めた数字)に当てはめると、10年据え置き分だけで、企業融資の9%と円借款3%の金利差6%分の1兆9800億円が贈与されたことになる。

 さらに30年の長期返済で、企業融資と円借款金利差分に当たる円借款3兆3000億円と同額の負担金利が贈与れたとみなすと、合計で実に5兆2800億円もの巨額が贈与された計算となる。

 もっとも金利は上下しているし、近年は低下傾向にあるから、計算通りの数字にはならないだろうが、それでも数兆円を上回る金額が、わが国から中共に流れ込んだことになる。

円借款の踏み倒し」

 韓国には1965年に戦後処理として支払ったもの以外として、ODAによる円借款が6455億円あり、中共には3兆6500億円の円借款を行った。

 これらは順調に返済されているのだろうか。

 まず韓国の6455億円だが、ほぼ償還された。今後は韓国に經濟危機が訪れ、支援を懇請されても、対日姿勢が尋常ではない韓国には、借款はもちろん、金融危機のセーフガードであるスワップ協定なども締結すべきではない。静かに外交を細めていくのが利口である。

 中共円借款も滞ることなく返済されており、最近は年間1000億円ほどが償還されている。2015年度で借款残高は9210億円となっているから、全額が償還されるのは時間の問題だろう。

 だが、″中国″には円借款を踏み倒した前科があるから、油断は禁物だ。

 国家間の条約や契約は、政権が代わっても継続されるのは、国際法に照らしても当然である。韓国のように「不可逆かつ最終的」に合意したことを反故にするような態度は、明らかに国際法違反である。

 さて、辛亥革命によって清から中華民国へと政権が変わり、段祺瑞が総理時代の1917年(大正6年)、寺内正毅首相の側近だった西原亀三が中心になって対中円借款を行った。

 西原借款といわれるもので、日本興業銀行朝鮮銀行(のちの日本債券信用銀行=現あおぞら銀行)、台湾銀行が資金拠出し、1917年から18年にかけ、総計1億4500万円を供与した。

ほかにも政治借款といわれるものがあり、総額は3億円、現在価格にすると3兆円もの巨額になる。

 ところが中華民国は、1923年の関東大震災から支払い遅延を起こし、1933年に発生した三陸地震の4か月後に返済をストップした。日本の国難に乗じて頬被りしようとする卑劣さである。

 1933年7月30日付の大阪朝日新聞は「3億の対支債券 実力で回収を決意」という見出しで、「対支借款はいわゆる西原借款などの政治借款と称されるものを合算すれば今や元利合計10億円にも達しているが、この政治借款について南京政府は全然責任なきが如く態度を執っており」と報じている。

 この当時、日本の軍部は担保の差し押さえ、最悪の場合は実力行使を検討していたが、満州事変、上海事変支那事変へと戦局が拡大する過程でうやむやにされた。踏み倒されたのである。

 経済がグローバル化した現在、借金を踏み倒せば貿易を直撃するから簡単にできるものではないが、中共共産主義体制が崩壊し、旧ソ連のように分裂国家が成立したら、「北京政府」がどう出るかは予測もつかない。返済繰り延べ要求をし、それに応じている間に、支払い遅延を起こし、なし崩しにしようとするかもしれない。

 中華民国が踏み倒す直接のきっかになったのは、当時の総理・段祺瑞が失脚したからである。国家主席の任期を廃止した中共で、国内不満から習近平が失脚し、国家分裂につながるようなことがあれば、支那大陸の政府は間違いなく踏み倒そうとするだろう。

「近代都市・北京は円借款が造った」

 中共の首都・北京市は地下鉄が縦横に走り、道路網も整備された近代都市である。

 北京市の地下鉄建設計画が具体化したのは1988年、日本の円借款25億1000万円が供与されたことに始まる。翌年89年には14億9000万円が供与され、第1期工事が終了した。

 第2期建設計画は91年に32億8100万円の円借款がなされたことで開始された。翌92年には62億3500万円、93年は38億1900万円、94年には23億4300万円が供与された。

 北京市の地下鉄には円借款が196億7800万円も投じられており、地下鉄建設すべての費用を賄ったわけではないが、大きな支援になったのは疑いない。

 鉄道建設にも巨額の円借款が投じられている。中共幹部が夏に集まり秘密会議を開催する北戴河は、河北省の渤海湾に面する秦皇島市にある。北京から東へ280キロ、温暖な気候のリゾート地で、石炭の積出港としても知られている。

 円借款によって北京と秦皇島間の鉄道拡充計画が始まったのは1980年、25億円が最初に供与され、同じ年に112億円、81年に92億円、82年に309億円、83年に332億円が投下された。

 北京―秦皇島の鉄道拡充計画に総計870億円の円借款が供与されたのである。

 また、2000年には北京都市鉄道建設事業に141億1100万円、01年に88億6300万円の計229億7600万円を円借款した。

 鉄道拡充に並行して秦皇島港の拡充計画が始まった。1980年には49億1500万円と137億7000万円、81年には91億円、84年に46億3100万円、85年に37億2300万円、86年に70億1100万円、87年に34億5100万円、88年に31億8400万円、合計497億8500万円が円借款で賄われた。

 さらに秦皇島港の石炭バース第4期建設計画として1993年に39億4400万円、94年に71億7800万円の計111億2200万円を支援している。

 北京市民の生活に密接な上下水道の整備も円借款で行われた。1988年に上水道整備計画で106億1400万円、下水処理場建設計画に26億4000万円、89年に上水道整備で48億6600万円、96年に浄水場建設に146億8000万円が円借款で投じられた。

 また、都市間の長距離電話網にも円借款が使われている。1993年に北京・瀋陽・ハルピンの電話網に31億4500万円と40億5500面円が投じられた

 参議院の調査団が問題にした北京首都空港の整備では、1993年に81億600万円、95年に134億2500万円、96年に84億5900万円の合計299億9000万円を支援した。北京首都空港は日本が丸抱えで建設したようなものである。

 ちなみに、上海浦東国際空港は1997年に400億円の円借款をして建設された。

 こうして見てくると、北京の主だったインフラのほとんどに円借款が投入されていることがわかる。円借款がなかったら、今日の大都市・北京は存在しないといっても過言ではない。

 最初のころの円借款は鉄道、港湾、発電所など大型インフラ整備が中心だった。

港湾では秦皇島港だけでなく、石臼所港、連雲港拡充、青島港拡充などに円借款が行われた。

 鉄道は兗州―石臼所間鉄道建設、衡陽―広州間鉄道拡充、鄭州―宝鶏間鉄道電化、大同―秦皇島間鉄道建設、神木―遡県鉄道建設、衡水―商丘鉄道建設などなど、数えるときりがないほどである。

 国民生活に不可欠な電力確保のための発電所は、天生橋水力発電、五強渓ダム建設、観音閣多目的ダム建設、北京十三陵揚水発電所建設、上海宝山発電所、湖北火力発電所、江西九江火力発電所三河火力発電所、山西河津火力発電所、韓城第二火力発電所、山西王曲火力発電所、などなど、100億円から300億円が各発電所に投じられ、円借款で建設された。中共の電力は日本の援助がなければ供給できなかったのが実情だ。

 国民生活に密接なものとして北京だけでなく、各都市の上下水道や都市ガス整備が行われた。

 インフラが整備されるに伴い、文化大革命などで傷んだ農業を支援するため渭河内蒙古雲南、鹿、九江などの化学肥料工場を建設、食糧増産を支援した。

 中共の空港建設に円借款が使われ始めたのは1990年の武漢天河空港の建設からである。これには62億7200万円の円借款が行われた。

 93年に北京首都空港の建設計画が持ち上り、続いてウルムチ空港拡張、蘭州中川空港拡張、上海浦東国際空港の建設へと進んでいく。ご丁寧なことに、民間航空管制システムの近代化に177億4600万円もが注ぎ込まれている。

 こう見てくると、北京市の近代化、鉄道網や港湾、空港、ダム、火力発電所、道路、電話通信網、各都市の上下水道、都市ガス整備、食糧増産のための化学肥料工場など、中共国民の生活を豊かにするインフラの大半に円借款が利用されていることがわかる。

 呆れた支援には、国家経済情報システムに115億5200万円や輸出基地開発計画に700億円なども円借款で整備されている。

 観光で有名な海南島に234億円、青島に602億円を円借款、開発・インフラ整備は、日本の丸抱えで行ったようなものである。

 中共の近代化、経済発展に日本がいかに貢献してきたか、これらの事実だけでも明らかである。国家の基盤を円借款で建設してきたと言っても過言ではないだだろう。

「無償で病院など建設」

 無償資金協力は発展途上国の要望で国民生活に密接な関係のある事業に対し、返却なしの資金援助をするものである。対象国からの要望を審議し、日本からの資金援助を受けて、対象国自らが整備する方式である。

 中共への最初の無償資金極力は中日友好病院の建設で、4度にわたり164億3000万円の供与がなされた。緊急入院した市民が回復し、日本からの支援で造られた病院だと知り、感謝する声もあるが、名前の示す通り中日友好病院だから、中共政府が隠すこともできなかったのだろう。

 無償資金協力も最初は大型物件のハコ物が主体で、中国肉類食品総合センター(27億円)、北京郵電訓練センター(22億円)などのほか、鉱産物検査研究センター、国家標準物資研究センター、肢体障碍者リハビリテーション研究センター、日中青年九尾流センター、北京淡水魚要職センター、上海医療器械検査センター、ホータン市児童福祉教育センター、日中友好環境センター、敦煌石窟文化財保存研究・展示センターなどの拠点が次々と造られた。

 日中友好環境センターには101億9700万円が投じられ、中共の環境汚染対策を支援している。

 こうした拠点の建設とともに、さまざまな分野での機材整備も無償資金協力の対象として進められた。

 経済発展を推進するインフラ整備、国民生活に密接な関係のある環境対策などの拠点つくりや資材の整備と、日本の対中ODAは至れり尽くせりのきめ細かさで行われた。

 習近平中共政府は、それに感謝するどころか、国民には日本の援助を極力隠し、愛国心教育反日感情を煽り、さらには尖閣諸島や沖縄への領土的野心を高め、領海侵犯を繰り返している。

 韓国とともに付き合い方を真剣に検討すべき国である。

 中共の陰湿さを示す出来事に、戦争賠償の放棄をしているのにもかかわらず、商船三井の輸送船を差し押さえた事件があった。商船三井は40億円の供託金を払い、差し押さえを解除した。賠償請求の対象が日支事変の前の船舶賃貸契約だからというのだが、それなら日本も日支事変前に中華民国が踏み倒した3億円の円借款返済を求めるべきである。

 日本側が甘い顔をしていれば、どこまでも増長するのが中共である。

 また、国営新華社は賠償放棄について、「民間・個人の請求権は含まない」と報じた。民間に日本企業相手に提訴しろとそそのかしているのも同然である。

 それなら、日本国民が放棄したことになっている在中資産の返還を求めるべきだ。

 現在ポーランドになっている土地に住んでいた旧ドイツ国民は、ポーランド政府に資産の返却を求める裁判を起こし、資産返却が行われ始めた。

 日本人は満州国に住み、多額の資産を残し、着の身着のままで帰国した。ドイツとポーランドの例をみれば、国際常識的には国民が満州に残してきた資産の返還を要求していいということになる。

 韓国にも同じことが言えるが、自国は被害者だという「歴史認識」が、国際的にみていかに違うかを明確に認識させる必要がある。

 ちなみに、ナチスドイウに併合されたオーストリアの例をみよう。オーストリアは1938年にナチスドイツに併合された。そして、80万人の兵士を動員し、ドイツとして戦い約30万人が戦死した。

 戦後、米、英、仏、ソに領土を分割統治され、1955年に主権を回復し、永世中立国となった。

 連合国によって併合は無効と認定されたが、万人単位のユダヤ人虐殺の事実が発覚、ユダヤや国際社会から非難が巻き起こり、フラニッキー首相がイスラエルを訪問して謝罪した。

 ナチスドイツに併合された被害者から、一転して加害者に変わったのである。

 韓国の場合はどうか。朝鮮は1910年(明治43年)に大日本帝国が併合し、日本となった。そして、枢軸国・日本として大東亜戦争を戦った。

 朝鮮人の軍人・軍属は24万人を超え、靖国神社には2万1000柱の英霊が祀られている。

 韓国併合オーストリアのように無効を宣言されているわけではなく、敗戦時には日本そのものだった。

 国際的な見地から歴史を見つめれば、韓国はオーストリア同様に被害者ではなく、大東亜戦争の″加害者″ということになる。ならば″加害者″韓国は、日本に戦争責任を求めるどころか、インドネシアベトナムミャンマーなどに謝罪しなければならなくなる。

 日本の外交当局は、韓国と交渉する場で、当時は日本だった韓国の戦争責任を明確にするよう求めるべきである。

 韓国が国際問題で最も恐れているのはオーストリア問題であり、交渉を有利に進めるには、相手が嫌がる急所を巧みに突く必要がある。

 攻められるだけでなく、攻めることも外交だと、政府は自覚すべきである。

 さて、中共北朝鮮共産国家でありながら、韓国と同様に儒教を信じている。上限関係を明確にするにはもってこいの宗教だが、これらの国々が日本に難癖をつけてくるのは、儒教が恨み辛みという嫉妬の宗教だからでもある。繁栄する日本が、憎くてならないのだ

 孔子は聖人とされているが、どこへも士官できず、一生を浪人で終わった。周礼の権威と称しながら、実は詳しいことを知らず、したがって見る者が見て議論すれば、底の浅さが露呈してしまう。

 だから、どの国でも召し抱えようとしなかったのだが、孔子本人は大権威だと思い込んでいて、採用しない国々の王は無能だと蔑み、自分より無能と思われる者が召し抱えられると憎しみを燃やした。

 嫉妬と憎しみの宗教である儒教を信奉する国々と、罪穢れを祓って清らかに生きる日本の国柄が、かみ合うはずがないと肝に銘じるべきである。