中韓ODAの闇 2

「膨大な中共へのODA」

 中共が濡れ手に粟で手にした日本の在中資産は2386億円強、現在価格40兆円もの巨額なものだった。このうち、満州があった東北地方には1465億円もの在満資産があり、満州国を独立国家として育てようと、日本がいかに多額の投資をしたかがうかがわれる。 欧米の植民地のように搾取するのではなく、資本投下で満州国の発展を支援したのは明らかである。

 中共が手にした日本の在中資産や、戦後処理として行われたODAが、中共国民に知らせられることはまったくなかった。 それを裏付けるように、中共で1億5000万人の読者を持つニュースアプリの今日頭条は「日本が中国に30年以上にわたって莫大な支援をしていたとは、まったく知らなかった」と驚きの記事を掲載した。

 記事は、日本が1979年から中共に対し「大規模な支援」を行ってきたことは中国人が知らないこと」と指摘。上海の浦東空港や北京の首都国際空港は、いずれも日本からの資金援助で建設され、蘭州や武漢西安などの空港も同様に日本からの援助を受けたと正確に伝えた。

 さらに、北京と河北省秦皇島市を結ぶ鉄道や、北京市にある中日友好病院、地下鉄1号線など、日本からの資金が一部でも投下されたプロジェクトは数多く存在すると強調した。 結びとして、中国は資金的に困ることはなくなったが、日本は今も技術や人材の点で中国への支援を継続しており、中国人民はこうした事業が存在することを客観的に知っておくべきであると伝えている。

 ずいぶんまともなメディアだが、報道の後、どうなったかは伝わってこない。中共のことだから、厳しい制裁を受けている可能性を否定できない。

「対中共ODAの始まり」

 対中ODAの供与を大平正芳総理(当時)が表明したのは、日中平和友好条約が締結された翌年、1979年だった。12月に訪中した大平総理は中共の改革・解放政策を積極的に支援すると表明した。

 この当時、欧米諸国とA.S.E.A.N.(東南アジア諸国連合)は共産国家・中共ODAの対象にすることに難色を示していた。にもかかわらず、大平総理が対中ODAに踏み切ったのだが、宏池会の政治家は、昔も今も中共に甘いらしい。

 日本は中共の要請に500億円の円借款と、無償資金協力による北京での病院建設を支援した。西側諸先進国の対中ODAの始まりである。  だが、中共ODAを戦後補償の代替と認識、平成12年5月に来日した唐家セン外相は、日本記者クラブでの講演で「中国に対するODAは、戦後賠償に代わる行為である」と決めつけた。ありがたみなど、かけらも感じていないのは明確である。

 円借款が供与されるまで、中共国内には高速道路はなかったが、借款によって道路が整備され、大きな経済成長をもたらすインフラとなった。

 79年に円借款が開始されてから、わが国は対中ODAを増やし続け、1982―86年の間、中共はわが国の第一位の援助国となった。

 だが、1989年6月4日の学生や市民を大弾圧した天安門事件で、第三次円借款凍結などの経済制裁を行い、平成元年度には大幅減少した。

 そのままODAを自粛していればよかったのだが、平成2年(1990年)11月にわが国政府は他国に先駆け第三次円借款の凍結を解除、対中包囲網の解消へとつながってしまった。海部内閣の軟弱外交である。

 平成7年には中共が数度の地下核実験を行い、わが国政府は無償資金協力を凍結したが、包括的核実験禁止条約に中共が調印したことから凍結を解除した。 まるで解除が前提の凍結である。

 こうした軟弱外交が、わがもの顔にふるまう中共を増長させ、その後も同じ轍を踏むことになる。 平成10年(1998年)江沢民中共の主席として初めて来日したとき、「歴史認識」で激しい日本批判を繰り返し、日本国民の怒りを買ったにもかかわらず、対中ODAは増加し続けた。

 その結果、平成12年(2000年)には供与額が2270億円を超え、過去最大となった。

 江沢民が訪日した当時と、最大の供与額を記録した時の総理は小渕恵三で旧田中派田中角栄媚中外交を受け継いでいる。田中派といい宏池会といい、親中派は対中軟弱外交に甘んじ過ぎている。

 平成12年5月には訪日した唐家セン外相に、河野洋平外相が13年度(2001年度)以降は円借款を見直すことを伝え、やっと無尽蔵に増え続ける対中支援のピリオドを打った。時の総理は森喜朗で、媚中派河野洋平も、対中ODA批判の国民の強い声には抗しきれなかった。

 対中経済協力計画の見直しもあって、平成13年度の対中円借款は前年度比25%減少、平成15年度(2003年度)には1080億円と、ピーク時の半分以下になった。 円借款の減少で、平成16年(2004年)には元利合計の償還額が初めて供与額を上回ることになった。

 さらにわが国の国家財政の悪化や反中感情の高まりもあって、平成18年(2006年)には新規の一般無償資金協力が、翌年の平成19年(2007年)には新規の円借款がいずれも停止された。

 それでも継続する事業への円借款が続き、終了したのは平成29年(2017年)とごく最近のことである。

 対中円借款は367件の事業に3兆3650億円が実施され、中共各地の空港や港湾、高速道路、鉄道、ダム、都市の上下水道などなど、幅広いインフラ整備に利用された。

 円借款がなければ、中共の改革・開放路線や近代化は成功せず、対外拡張野心も起きなかっただろう。中共が関係する国際紛争を、日本が間接的に支援してきたのも同然である。

 ちなみに中共は、日本のODAを受け入れながら、東南アジアやアフリカの発展途上諸国に多額の援助を行っている。 1998年から2003年までの6年間で、中共は271憶元、邦貨換算4150億円もの多額な対外援助を行っている。日本が中共の5か年計画に対応して供与している円借款に匹敵する金額である。

 日本からのODAによる資金が、回り回って世界にばらまかれ、中共シンパを作る皮肉な結果となっている。 こうしたさまざまな問題から対中ODAは一部を除いて終了したが、問題だらけの支援だった。

 というのは、まず中共の国民は日本が多額の資金援助をしてきた事実を知らされていない。知ろうにも知る機会がないのである。

 インフラ整備を共産党政権の成果とし、さらに親日感情を国民が持たないようにする姑息な政策を取っているからである。

 それを象徴するように、平成16年11月に公表された「第1回参議院政府開発援助調査―派遣報告書―」によると、「有償案件として実施された北京首都空港整備事業についての感謝プレートは、一般国民が立ち寄ることのないルームに向かうエスカレーターの頭上に掲示されている。中国の一般国民は、我が国からの229.8億円に上る資金援助を知る由もないであろう」と、怒りを込めて指摘している。

 万事が万事この調子で、中共は口先ではわが国に対し感謝の念を伝えることがあるが、自国民には隠し続けてきた。これではどれだけ日本が経済援助をしても親日感情が芽生えるはずもなく、少し扇動すれば反日感情が沸騰して大規模な暴動につながるわけである。

 さらに円借款を受けた事業の運営のいい加減さもある。北京首都空港の株式が日本に何の相談もなく外資に売却されたり、北京の日中交流センターの施設内で風俗店が営業するなどの不祥事もある。 資金援助した施設で何が行われているか不透明といわざるを得ない。