永遠なる魂 第4章 奇跡の水 3

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 小松や丹野の協力で、絶望の淵から蘇り心機一転しての再出発にあたり、浅井は有機ゲルマニウムの製品名をアサイゲルマニウムと名付けた。自分の名前をつけたかったわけではないが、有機ゲルマニウムは浅井の人生そのもので、柿本たち所員にとっても浅井と同じ思いだった。もっとも、他人に渡すのに自分の名前がついているのは面はゆく、製品名はアサイゲルマニウムの分子構造からGE-一三二と決めた。

 浅井は自らの体を有機ゲルマニウムで治癒させ、効力に自信を持っていたから、親しい友人などが病気と聞くと水溶液を届けずにはいられなかった。

 渡された友人たちの反応はさまざまで、また浅井の大風呂敷が始まったと見向きもしない相手もいた。医薬品として認められていないものを、すべての難病に効くと主張するのだから、大言壮語と受け取る人間も出てくる。

 まかり間違えば、浅井の行動は詐欺師とみられかねなかったが、石炭研究で実績があったから、耳を貸す仲間もいた。

 水戸高時代の同級生で、難病に苦しんでいた根元や八雲は信じてくれた。二人とも有機ゲルマニウムで重かった症状が改善したのである。二人とは水戸高の同級生がつくるリードル会というクラス会で再会してから親交を深めていた。

 根元は東京市役所勤めから始まり、当時は慶応大学通信という通信教育の会社を設立し、常務に就いていた。若い頃から病弱だったが、有機ゲルマニウムで健康を取り戻し、浅井の信者の一人でもあった。浅井は研究所の資金に困ると根元に借金を頼んだが、求められるのは返済ではなく、有機ゲルマニウムの製品で、どれだけ助けられたかわからない。

 だが、いくら難病が治っても、薬事法で認められなければ普及することはできない。

「そんなことをやっていても、仕方ないだろう」

 有機ゲルマニウムで高血圧と眼底血圧の異常が回復した八雲が、浅井の研究所を訪ねてきたのは四十六年の初めだった。八雲はすっかり動脈硬化が改善され、肉付きのいい頬の血色が良かった。

「ほかに方策がないからな」

 八雲の言う通りだったが、細々と研究を続ける浅井たちに余力があるはずもなく、不貞腐れたように答えるしかなかった。

薬事法の認可を取りたいというお前の夢はどうするんだ」

「おいおい進めるしかない」

「紹介したい人がいる。時間を作ってくれ」

「どんな人?」

東京電力病院の大川副院長だ。もう話はつけてある」

 八雲は東電の副社長で、急な話に戸惑ったが、二月半ばに浅井は東京・信濃町の東電病院で大川を紹介された。

「薬として認められるよう手続きを踏まなければなりません」

 薬臭い副院長室のソファで向かい合った大川は、髪の半ばが白い生真面目な医師で、浅井の説明を聞いて尽力を約束した。八雲が長年苦しんだ難病から立ち直った姿を見ているだけに、有機ゲルマニウムに強い関心を抱いているようだった。

 大川はまず一般薬理実験が必要と、東京実験医学研究所社長の伊藤医学博士を紹介した。

「ほかならぬ大川先生のご紹介ですから、まかせていただけば満足できる結果を出せると思います」

 伊藤は六十代半ばで、小柄で痩せていたが、大きな目は野心的な光をたたえ、自信に満ちていた。

 浅井ゲルマニウム研究所はさっそく七月、東京実験医学研究所と委託研究契約を結び、GE-一三二の毒性、催奇性(生まれる動物に奇形が生じるかどうか)、血圧と動脈硬化に及ぼす影響、老化防止対策などの一般薬理の研究に入った。

 動物実験は急性、亜急性、慢性、催奇形性の面で徹底的に検証されたが、結果はまったくの無毒、無害とわかった。

 というより、動物に幾ら与えても致死量が出てこないうえ、与えるのが多ければ多いほど元気になってしまうのである。薬事法では、動物が半分死ぬのを致死量の判定基準にしているが、有機ゲルマニウムは致死量の表示ができないのである。

 つまり医薬品ではないということになる。

 だが、浅井がいくら薬ではないと主張しても、化学製品はすべて医薬品とみなされ、薬事審議会の同意を得て厚生省から製造認可を取らなければ、販売したら薬事法違反に問われる。

 しかし薬品として認められなくても、有機ゲルマニウムが難病に効くのは否定できず、噂を聞きつけてやってくる人たちには実費で分けていた。

「どうも、ロットごとに特性に違いがあるようです。合成過程に問題があるのではないでしょうか」

 東京実験医学研究所の伊藤からクレームがついたのは、昭和四十九年の半ばだった。浅井や柿本はGE-一三二の製造にあたり、斎戒沐浴して精神を集中していたから、そんなことはないはずだったが、実験に携わっている伊藤の言葉だけに、反論できなかった。

 伊藤は実験データを示すとき、眉間に深い皺を寄せて口をへの字に結んでいた。

「どうすればよろしいですか」

 浅井ゲルマニウム研究所の粗末な応接ソファで向かい合った伊藤に、浅井は戸惑いを覚えながら尋ねた。

「特性を安定したものにすることが、実験を続けるにあたって必要です。やはり薬剤合成の権威の方にお願いし、合成方法を改善すべきではないでしょうか」

 伊藤は慶和大学医学部の豊田教授と組み、GE-一三二の薬理実験を進めていたから、言葉には重みがあった。

「心当たりの方がおられるのですか」

 薬剤合成の権威者といっても、浅井には見当もつかず、伊藤に人選をゆだねるしかなかった。

「豊田先生の友人で、科学技術庁の研究所で主任研究官をされている池田さんという方がいます。池田さんに相談されたらいかがでしょうか」

 伊藤の勧めで、浅井ゲルマニウム研究所に池田を招いた。

「まず、製造法を詳しくお話しください」

 背が高く小太りで押し出しのいい池田は、いかにも優秀な研究者という雰囲気だった。浅井と柿本は、聞かれるまま池田に製造法を説明した。池田の質問は的を得ていて、これならGE-一三二の特性を安定させられそうだった。

 東京実験医学研究所の一般薬理試験は順調に進み、GE-一三二に慢性毒性や催奇性はなく、血圧降下作用と老化防止に効果があると結論し、詳細なレポートを浅井に提出した。

 権威ある研究所でGE-一三二の効用が認められたのである。

 地道な研究は進み、医学誌や新聞に寄稿した論文を読んだり、GE-一三二の効果を伝え聞いて、良心的な医師からの問い合わせが相次ぎはじめた。GE-一三二の噂を人づてに聞き研究所を訪ねてくる人は多くなるばかりで、一刻も早く薬事法での新薬承認を行わなければならないと浅井は気持ちが焦った。

 だが浅井研究所は少人数で資金力がなく、新薬承認の申請手続きを進めるには無力だった。

 不思議なことに、困った時にはかならず救いの手が差し伸べられるもので、ある日のこと、浅井と同年輩の紳士が研究所を訪ねてきた。痩せて髪が白く、知的な目をした訪問者は、財団法人佐々村研究所の武藤と名乗った。佐々村研究所はわが国の癌研究のメッカとして知られる研究財団で、浅井もその名前を知っていた。

「東電病院の大川先生にご紹介されました。GE-一三二の薬理効果を解明したいと考えています。ついては、ご協力をお願いしたいのです」

 寝耳に水とはこのことで、武藤がどこまでGE-一三二の効果について知ったうえで提案しているのかと、浅井は相手の顔をまじまじと見てしまった。

「唐突な依頼でご不審に思われるかもしれませんが、私どもの研究所では、大川さんにGE-一三二を教えられ、以前から注目していました。先生の論文にはすべて目を通しましたし、GE-一三二を服用して快復した患者さんの調査も行いました。驚異的な効果があるGE-一三二を、大会社が研究していないからといって放置していては、医者としての良心が許しません」

「薬理効果とおっしゃいましたが、対象の病症はなににされるつもりですか」

「癌を考えています」

「論文をお読みになったのならおわかりでしょうが、GE-一三二は特定の病気を対症療法で治すものではありません。それでも薬理効果を確かめることができるのですか」

「GE-一三二はある種の癌を治癒したという実績があります。ひとまず癌から始めて、薬効を広げていったらどうかと考えています。実験は対症療法的にはなりますが」

「佐々村研究所で実験をされるということに?」

「私どもだけでは力不足ですので、協力してくれる医療機関を募りたいと考えています。それでご協力をお願いしたいのは、治験薬として製品を供給していただきたいということです」

「すると、病院がGE-一三二を臨床で使うということになるのですか」

「そうしなければ臨床試験と認められませんから。実はGE-一三二に興味を持つ医学者たちに、すでに呼びかけを始めています。ご了解いただけませんでしょうか」

 思ってもみない話の展開で、浅井は言葉がなかった。畑中や李博士の件で人に任せることに懲りてはいたが、武藤は大川の紹介だけに、信じて良さそうだった。

「願ってもないことです。私は有機ゲルマニウムをずっと研究してきて、生命の元素とでも言える物質と考えています。難病に苦しむ人々を救うために、GE-一三二を是非とも世に知らしめたいという念願を持っています。お申し出の件、喜んでご協力させていただきます」

薬事法による医薬品認可を取る目的で、臨床試験を行います。認可が下りるまでは、未承認治験薬としての扱いになります。従って実費程度しかお支払いできませんが、ご了解いただけますか」

「GE-一三二で儲けようとは考えていません。研究所を維持できるだけの収入があれば十分です」

「さっそく正式な呼びかけを始めます。先生のほうでも、実験に参加されたいという方々を募っていただければと思います」

 武藤は研究者らしく真摯な態度で、話していて間違いなく信頼できる人物だと浅井は確信した。

 その日から浅井と武藤は連絡を取り合い、全国の大学や医療機関、研究機関に呼びかけ、一カ月ばかりで五十機関、百二十人以上もの参加が決まった。参加する研究者は第一線で活躍している精鋭ばかり、組織の規模や充実した内容は、一つの医薬品のために作られた研究会としては、わが国の医薬品開発史上で過去に類のないものになった。それだけ癌の治療に一線の医者たちが悩んでいることの証左でもあった。

 研究会はゲルマニウム研究会と名付けられ、世話人には武藤と帝京大学医学部の古山教授が就任した。治験薬としての対価が支払われるから、浅井ゲルマニウム研究所は研究資金に困ることもなくなり、独自の研究を進められるようになったのが、浅井は嬉しかった。

 ゲルマニウム研究会で有効性が確かめられれば、薬事法に基づいた医薬品として人類救済に役立つ。行動をともにしてくれた柿本ら所員の苦労にも報いることができる。ここまで頑張って良かった、と浅井は感極まる思いで鼻の奥が熱くなった。

 ゲルマニウム研究会が最初に着手したのは、GE-一三二の毒性試験だった。医薬品は人の生命にかかわるから安全性の確保が不可欠で、毒性はないとすでに確かめていたが、ゲルマニウム研究会で確認されれば文句の出ようがなくなる。

 毒性試験には急性、亜急性、慢性の区別があり、さらに特殊毒性として催奇形性(発癌性)、繁殖に及ぼす影響がある。主に毒性試験に取り組んだのは北里大学薬学部で、ほかにも医科大学の医学部、研究施設などが参加した。

 毒性試験はラット、マウス、ビーグル犬で行われ、GE-一三二はまったく毒性がないことが確認された。さらに試験に使った動物の死体を解剖して調べる病理検査や、GE-一三二が体内でどのような化学変化を起こすかを検討する生化学検査でも、異常はまったくなかった。

 催奇形性や繁殖に関する試験でも毒性は認められず、GE-一三二は安全性が極めて高い有機化合物であることが確認された。

 GE-一三二に毒性がないのは、浅井は自らの体で確かめ、東洋実験医学研究所でも確認していたが、一線の医師たちが構成するゲルマニウム研究会で再確認されたとなると重みが違ってくる。

 毒性試験に続き一般薬理作用の検査も行われた。体に吸収された薬品は、体内、特に肝臓で化学変化、いわゆる代謝が活発に行われる。人間の体にとって異物である薬を、無毒化して体外へ排泄する働きだが、代謝によってできた物質が有害物として人体に害をなすことがある。また、排泄されず肝臓や腎臓などに蓄積され、人体に有害な作用を起こすこともある。医薬品の副作用だが、一般薬理試験の結果、GE-一三二は吸収、排泄とも速やかで、体内に残留することはまったくないという結果が出た。

 GE-一三二は投与すると速やかに各臓器に平均的に分布し、薬としての役割を果たしたあとは、三時間で九〇パーセントが尿中に排泄され、十二時間後にはほとんど残留が認められない。GE-一三二は、体内に蓄積して副作用を起こす心配はまったくないのだった。

 毒性試験で安全性が確認され、薬理効果での動物試験へと進んだ。そして動物試験では、GE-一三二は正常な動物には特定の薬理効果を示さなかったが、病変を持った動物に対しては治癒促進をすることがわかったのである。GE-一三二は自然治癒力を高める、という浅井の以前からの考えを改めて確認するものだった。

 こうしてゲルマニウム研究会で研究が進み、浅井も日々充実して研究に勤しんでいる時、たまたまニューズ・ウイークを読んでいてある記事が目に止まった。物事との出会いは不思議な縁としか言いようがないものである。

 その記事は、英国人の三歳になる少女が腎臓癌に罹かり手術したが、癌は頭蓋骨に転移し、抗ガン剤治療を行ったが体は痩せ衰え、副作用で毛髪が抜け落ち、皮膚はまっ黄色に変色した。癌はさらに進行して全身を侵し、医者はさじを投げたという悲劇的な内容から始まっていた。

 途方にくれた両親は藁をもつかむ思いで、意識がほとんどない少女を寝椅子車に乗せ、奇跡の泉として名高い南フランスのルルドへつれていき、そこで聖泉とされる水に体を浸し、泉の水を飲ませた。

 しかし少しも良くなる兆しはなく、諦めた両親は死なせるなら自宅でと、イギリスのグラスゴーへ少女を連れ帰った。帰宅しても少女に変化はなく、ベッドで寝た切りだったが、三日目の朝、彼女は突然起き上がってベッドに座り、オレンジを食べたいと口を開いたというのである。

 少女はオレンジをうまそうに食べ、その日から食欲が増し、数日して腫瘍は消え去ってしまい、元気な同年令の少女と変わらぬ健康な体になったと、ニューズ・ウイークは彼女の写真まで掲載していた。

 この出来事はスコットランドの医学界で話題になり、ルルドの奇跡の泉として評判になっていた。

 記事を読んだ浅井は、遠藤周作の名著、「聖書のなかの女性たち」に書かれていた、「ルルドの聖母の泉」を思い出した。著作の「人間この未知なるもの」が世界的ベストセラーになった、ノーベル生理・医学賞受賞者の医学博士、アレキシス・カレルのことを書いた作品である。そこではルルドの泉に懐疑的だったカレル博士が、列車の中で知り合った重病人に寄り添って実際に現地へ行き、奇跡を目の当たりに見たことが記されている。

 医者から見放された病人たちが、最後の拠り所としてフランスとスペインの国境、ピレネー山脈にあるルルドの聖なる泉を求め、今でも年間三百万人から四百万人もの難病患者が訪れていると言われている。

 カレルの「人間この未知なるもの」と遠藤周作の「聖書のなかの女性たち」は、以前に読んで感動した作品だが、忙しさにかまけて内容は記憶の奥に埋もれていた。それがニューズ・ウイークの記事で触発され、鮮明に思い出されたのである。

「久しぶりに里帰りしてみないか」

 エリカがぱっと顔を輝かせた。親子そろって日本へ来てから、エリカは一度もドイツの地を踏んでおらず、望郷の念はさぞかし強いものがあったに違いない。

「嬉しいけど、なにかほかに狙いがあるのね」

 エリカが微笑んで浅井の目をのぞき込んできた。

「その通りだ。帰りにフランスのルルドへ寄ってきてほしい」

「奇跡の泉のこと?」

「知っているのか」

「欧州では、キリスト教信者の中で有名な話だもの」

「泉の水を持ってきてほしいんだ」

 エリカは喜んで故国ドイツへ向かった。ドイツから南フランスのルルドを回り、日本へ戻ってくるのは二週間後。浅井はエリカが戻ってくるのが待ち遠しくて仕方なかった。

 ルルドの泉には奇跡確認証明所があり、ルルド国際医学会が厳密な検証を行って難病が治癒していると断定、ローマ法王も奇跡と認めたほどである。その泉の水に何が含まれているのか?

 過去に何人もの科学者がルルドの水を分析したが、奇跡を起こすような物質は発見できなかった。だが、浅井にはある直観があった。それは、ルルドの泉が起こしている奇跡が、GE-一三二の効果と酷似していたからである。

 待ちに待ったエリカが帰ってきたのは予定通り二週間後で、九月に入っていた。

「聖地というからさぞかし清楚なところだと思っていたら、ごてごてした土産物店ばかりで、毒気に当てられたわ」

 羽田に迎えに出た浅井に、エリカは苦笑して魔法瓶に入れたルルドの泉の水を渡した。妻によれば、ルルドの泉の奇跡を求めて訪れる、数百万人の病人や家族を当てにし、参道は赤や黄色の原色で飾った土産物店が乱立しているというのだ。ただ、聖地に入ると雰囲気は一変し、清らかさに満ちていたという。

 浅井はエリカの土産話もそこそこに、魔法瓶に入った水を手にして研究所へ走った。柿本に手伝わせて水を原子吸光分析器にかけ、結果が出るのを胸を高鳴らせて待った。

「出ました!」

 柿本が興奮した声で叫び、描かれたグラフを指さした。

「やっぱりそうか」

「間違いありません。大変な量です」

 分析結果が記された曲線は見事なゲルマニウム線を描き、含有量もかなりの量と判明したのである。

 高麗人参に代表される薬草、そして奇跡の泉、いずれにも多量のゲルマニウムが含まれているのは偶然なのか? 過去の人々が求めた薬草や奇跡の泉の効果は、ゲルマニウムを含有しているからではないのか。

もしかすると 。

 日本にもルルドの泉と同じような奇跡の水があるかもしれない。飲んだり沐浴すれば、難病が治る霊験新たかな水。それは宗教と密接に関係しているに違いない。

 浅井は宗教界にはまったく無知で、奇跡を強調する宗教団体の本を片っ端から取り寄せて読んだ。そして、ルルドの泉と同じような効果を表すものに、青森県東津軽郡平内町外童子山にある、松緑神道大和山の「山吹のお水」が匹敵することを発見した。

 大和山発祥の地である神域の奥宮の沢に湧いている「山吹のご神水」は、教団創立当初から、飲用したり湿布すると、さまざまな難病から救われるという不思議な現象が次々と起こったという。信者たちは「奇跡の水」と崇め、参拝する度に最高の土産物として持ちかえるのを習わしにしている。さらにこの水は、殺菌や消毒をせずに何年放置しても、決して腐らないという特性を持っているというのだった。

 研究の忙しさにかまけたのと、調査に時間が掛かったため、山吹のお水のことを知ったのは、ルルドの水に大量のゲルマニウムが含まれていることを発見した翌年の、二月上旬の寒い最中だった。青森はさぞかし寒いに違いないと思ったが、ルルドの泉と同じ湧き水があると知ってしまってはいても立ってもおられず、浅井はさっそく外童子山を訪れた。

 思った通り外童子山は深い雪が積もり、肌を刺す寒気は痛くさえあった。宗教団体というから、さぞかし立派な建物があると想像していたが、山奥にある松緑神道大和山の本部は、木造りの礼拝堂と祈祷用の道場があるだけで、清々しい凛とした雰囲気に包まれていた。

 前もって連絡しておいたので、礼拝堂の受付で来意を告げるとすぐ中へ通された。

「山吹のお水を調べたいということでしたね」

 応対したのは神主姿の年配の男性で、浅井は改めて訪ねた理由を説明した。

 男性はしばらく浅井の顔を凝視していて、やがて感嘆したように頭を下げた。

「あなたと向かい合っていると、熱気が押し寄せてきます。オーラの人ですね。どんな協力も惜しみません」

 オーラと言われても浅井本人に実感はなかったが、信念に従って突き進む意欲が、相手に何らかの感銘を与えているのかもしれなかった。

 青年部長という体格のいい男性を紹介され、奥宮まで案内してくれることになった。

「大変に寒いところですから」

 青年が貸してくれた防寒服と防寒靴で身を固め、奥宮まで深い雪の五キロの道のりを歩いたが、寒さはさほど感じなかった。というより、これから出会う山吹の水に、浅井は意識を奪われていたと言ったほうが正確である。

 登るのが決して楽とはいえない雪深い山道を、足を取られながら歩き、小高いところにある大木に囲まれた小さな御堂に着いたとき、浅井は息が上がり汗をぐっしょりかいていた。青年は山歩きに慣れているのか、息にわずかな乱れもなかった。

「ここです」

 青年が指さした御堂の脇から水が湧き出し、かけいに流して飲みやすくしてあった。

 青年が柏手を打つのに浅井も倣い、一礼して置いてあるひしゃくで水をすくい、口に含んで少しずつ飲み下した。荒い息のせいか、それとも特別の成分が含まれているためなのか、水は冷たく、何とも言えない深みのある味をしている。

 浅井は山吹のお水を瓶に詰め、研究所へ持ち帰った。予想が当たっていれば、山吹のお水にもゲルマニウムが含まれているはずである。

 原子吸光分析器にかけた結果は、思った通りだった。ルルドの泉と同じように、ゲルマニウム線がはっきり現れたのである。

 もう間違いなかった。ルルドの泉も山吹のお水も、奇跡を起こすもとは、どうして溶け込んだのかは不明だが、ゲルマニウムしか考えられなかった。

 山吹のお水が湧き出る青森県は、黒鉱と呼ばれる高圧熱水型変成岩の鉱脈が広がっている。黒鉱は鉄のほか金、銀、銅、亜鉛を含有している。そしてゲルマニウムは、主に銅や亜鉛鉱を精錬した鉱滓から採っている。

 そこでさっそく黒鉱を分析したが、予想通りゲルマニウムを含有していることが判明した。もっとも、鉱石中のゲルマニウムがどうやって地下水脈に入り込むのか、さらに鉱石中の無機ゲルマニウムがなぜ有機ゲルマニウムに変わって水に溶けているのか、疑問だらけである。

 そこで立てた仮説がバクテリアの存在である。ちなみに石炭には有機イオウが含まれているが、元々は無機だったものがバクテリア有機に変わったのを、浅井は石炭の研究で突き止めている。ゲルマニウムも同様に違いないと見当をつけたが、ソビエトの科学者が国際会議の有機ケイ素に関する発表で、ケイ素バクテリアの存在を主張していた。

 ケイ素とゲルマニウムはともに典型的な半導体物質だから、ケイ素と同様にゲルマニウムバクテリアが存在しても不思議ではない。ケイ素とゲルマニウムは地球上に広く分布し、生命の起源で重要な役割を演じたとみられる物質である。そして、両者とも有機物となって生命のサイクルに関係していると考えられるのである。

 浅井は大自然の偉大さに感嘆するばかりだった。