永遠なる魂 第四章 奇跡の水 1

          

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 浅井が最も研究に力を注いだゲルマニウムは、発見の歴史から神秘に包まれている。一八六九年、ソ連の科学者メンデレーエフは六十二種類の元素を調べ、元素の周期律表を発表した。メンデレーエフは周期律表の三十二番目を空白にし、将来発見されるべき元素、「エカ・ケイ素」と名付けた。

 エカ・ケイ素はメンデレーエフの予言にもかかわらず、長く発見されなかったが、周期律表の発表から二十年後に、ドイツの化学者、ウインクラーとブレイハープトによって発見された。当初は未知の元素かと思われたが、さまざまな分析の結果、メンデレーエフが予言したエカ・ケイ素だとわかったのである。

 発見者のウインクラーらは、新元素を祖国ドイツの名前にあやかり、ラテン語でドイツを意味するゲルマニウムと名付けた。

 ゲルマニウムは一見するとスズに良く似た光沢を持っているが、金属でもなく非金属でもない半導体で、低温では電気をほとんど通さないが、高温になると通す性質を持っている。

 物質は絶縁体と良導体に分けられ、ガラスやゴムは絶縁体、銅や鉄は良導体で、ゲルマニウムやシリコンの半導体はその中間の存在である。

 発見されたものの、ゲルマニウムは稀に存在する元素としてしか研究がなされなかった。ゲルマニウムを単独で大量に生産する技術が確立されず、実用化への研究はおろそかにされたのである。

 ゲルマニウムの発見から六十年が過ぎ、一九四八年にアメリカのベル研究所のショックレーらが、ゲルマニウム半導体という性質を利用し、真空管に代わる増幅用のトランジスタと、整流用のダイオードを発明した。電子工学の夜明けで、ゲルマニウムは現代情報文明の礎を作ったのである。この発明でベル研究所の開発者は一九五六年にノーベル物理学賞を受賞している。

 トランジスタの発明で、ゲルマニウムは現代文明の最先端、エレクトロニクス産業の中心的存在となっていった。半導体という性質は、古典物理学では説明できなかったが、量子物理学の発展で理論的な解明が進み、世界の物理学者や技術者は、ゲルマニウムの電子の動きに魅了されたのである。

 ちなみに、元素は原子からなり、原子は原子核と電子からできている。電子は原子核の周りの殻と呼ぶ円形軌道を回っており、殻に入る電子の数は決まっている。殻は内側からK殻、L殻、M殻、N殻  と続き、元素の電子的性質は最外殻に入っている電子の数で決まる。水素やナトリウムは一個、ゲルマニウムは四個の電子が存在している。

 固体は電子を共有して結合することで成り立ち、電子的に安定した存在である。だがゲルマニウム共有結合の力が弱く、温度が上昇すると原子の共有結合が切れ、電子が自由に動きだす。温度の上昇とともに浮遊する電子の数が増え、電気抵抗力が減少していく。シリコンも同じ現象を示し、これらの物質を真性半導体と呼んでいる。

 半導体の性質が理論的に解明されたことで、電子工学は飛躍的な発展を遂げていく。ゲルマニウムといえばエレクトロニクスという時代が到来したのである。

 浅井は日本の石炭からコークスを製造する技術の研究をしていたが、その過程で出る排ガス液に、百ppmを超える大量のゲルマニウムが含まれているのを発見した。

 ガス液にゲルマニウムが大量に含まれていることがわかれば、あとはどうやって安価に抽出するかである。原料となるガス液は東京ガスの大井工場から供給を受けたから無料で、試験管やフラスコでガス液とさまざまな試薬を混ぜ合わせ、ゲルマニウムの抽出実験を行ったが、どれもうまくいかなかった。

 だが、浅井は押しかけてきた七人の東大卒業生のうち、及川と稲垣勝を中心にゲルマニウムの研究を進めさせ、徹夜に徹夜を重ねて実験に没頭し、ガス液をさまざまに化学的処置を行った結果、三〇パーセントものゲルマニウムが含まれている沈殿物をつくり出した。

 ここまでわかれば後は簡単で、沈殿物を焼き化学処理すれば酸化ゲルマニウムができあがる。

「できました」

「やったな」

 苦労して抽出した酸化ゲルマニウムの白い粉をかき集めて小瓶に入れた時、浅井と及川は思わず歓声を上げて抱き合った。石炭のガス液から初めてゲルマニウムを抽出した喜びは、科学者にしか理解できないに違いないが、浅井にはこの物質が人類の将来に大きな貢献をするという神憑り的な確信があった。

 浅井は通産省工業技術院の電気工業試験所の設備を使い、酸化ゲルマニウムを棒状単結晶の塊に作り上げた。単結晶は銀灰色に光り、占領軍の士官が話していた、「未来を支配する元素」という言葉がぴったり当てはまる深みを持った輝きだった。

 電気工業試験所では、抽出したゲルマニウムトランジスタダイオードを作り、広辞苑ほどの大きさの箱に詰めてラジオを製作した。ダイオードは稲垣が開発した。

 もっとも、他の部品などの関係で大量生産による実用化は難しく、商品化は諦めざるを得なかった。

 ゲルマニウム時代の到来で、日本電気東芝東京通信工業などの企業から実験用の引き合いがくるようになった。日本が電子工業で先進国になったのは、浅井たちの努力に負うところが大きかったのである。

 産業界の関心はゲルマニウムのエレクトロニクス面だけだったが、浅井の考えは彼らと異なっていた。高麗人参さるのこしかけなどの薬草には、ゲルマニウムが大量に含まれている。だから、ゲルマニウムは人間の生体に奇跡的な効果を表すに違いないと直観したのである。その直観は研究すればするほど深まるばかりで、浅井の終生変わらなかった。

 高麗人参はある特定の場所でしか成長せず、収穫したあとは三十年以上もたたないと次の栽培ができない。そのカギはゲルマニウムにあるのではないかと、浅井は高麗人参の苗を取り寄せ、二つの木箱に土を入れて実験した。

 一つの苗には、ゲルマニウムを醋塩にした水溶液を、もう一つは水だけを毎日注いだのである。

 その結果は六カ月後に出た。

「予想通りだったな」

 浅井と及川たち所員は高麗人参の成長ぶりに目を輝かせた。ゲルマニウムを注いだ苗は、茎が三十センチほどになり、匂いを嗅ぐと独特の芳香があったが、片方は茎の長さが十センチと小さく、香りもわずかしかしなかった。

 高麗人参にとってゲルマニウムは成長に欠かせない物質だったのである。

 高麗人参の中でゲルマニウムはどんな有機化合物の形になっているのかに、浅井は異常なほどの関心を抱いた。化合物の分子式がわかれば、有機ゲルマニウムを合成し、生物の生命に貢献する物質を得ることができると直観したからだ。高麗人参さるのこしかけが万能薬と称賛されるように 。

 量子物理学の発展と歩を合わせ、古典的な生物学とはまったく違う量子生物学や電子生物学の研究が進展していった。生体内でミネラルなどの元素がどう働くかなどを究明するもので、それをゲルマニウムに応用すると、一つの仮説が浅井の頭に浮かんだ。

 ゲルマニウムの最外殻には四つの電子が入っているが、異質の物質が接触すると、四個のうち一個が外殻から外へ飛び出してしまう。電子が飛び出した跡はポジティブ・ホールという、「正」に荷電した電子の落とし穴になり、外から電子を取り込む。

 生体内で食物が燃焼すると、最終的に水素Hと炭酸ガスCO 2に分解される。水素Hは一つの電子を持った元素だから、それがポジティブ・ホールに落ち、生物学的に言うと脱水素効果を起こすのではないか。体内に水素イオンが多いと血液は酸性に傾くが、ゲルマニウムが存在すれば抑えることができる。高麗人参さるのこしかけが万能薬と珍重されるのも、それが関係しているのではないか、と浅井は考えたのだった。

 ゲルマニウムの研究を続ければ、いつか医薬用の有機ゲルマニウムを合成でき、人類に貢献できる日が来ると、浅井は確信を持った。

 だが、研究を進めようにも資金がない。何とか医薬用ゲルマニウムの研究費を捻出する方法はないか。浅井は考えたすえ、いつもの当たって砕けろの精神で、昭和二十九年二月に自民党科学部会の斉藤憲三代議士を訪ねた。斉藤代議士は先祖が秋田の名門で、本庄市内に斉藤神社があるほど漁民や農民の尊敬を受けている一族の出身だった。

「突然で恐縮ですが、科学行政を担当されている先生に、お願いがあって参りました」

 約束も取らず押しかけた浅井に、斉藤は自民党本部の応接室で気楽に会ってくれた。小柄で紺の地味なスーツを着こなした斉藤は姿勢が良く、柔和な表情で浅井とソファで向かい合った。細面で髪は半ば以上が白く、穏やかな顔つきとは違って眼鏡の奥の眼光は鋭く、何事にも真剣に取り組もうとする真摯さが感じられた。

 浅井はゲルマニウムの研究を進めていることを話し、資金的に行き詰まっていることを訴えた。世間ではゲルマニウムとは何なのかまったく理解されておらず、そんな研究に金を投じるのは溝に捨てるようなものといわれた時代である。

「電子工学への利用とは違い、医薬品として人類を救済できるかもしれないということですね」

 浅井の説明に、斉藤は目に強い光を浮かべて尋ねた。政治家でゲルマニウムに興味を示した人物は初めてで、この人なら後押ししてくれるかもしれないと期待を抱いた。

「研究が進めば、癌などの難病を克服できる可能性があります」

 こんな言い方をすれば、大言壮語と人間性を疑われるかもしれないが、浅井は心底からそう信じていた。

「それはいい。是非、研究を完成させてください。資金の方は、私の力で可能なお手伝いをさせていただきます」

 初対面なのに斉藤は浅井を信じ、全面協力を約束してくれた。眼光鋭く人を射る目は、浅井の本質を見抜いたのに違いなかった。

 驚いたことに、それからわずか二カ月後の四月十四日、浅井は衆議院電気通信委員会に参考人として招かれた。斉藤代議士の尽力だった。

「古来から漢方薬や精力剤とされる高麗人参さるのこしかけに、大量のゲルマニウムが含有していることが、私どもの研究で判明しております。実際に、東大で有機ゲルマニウムを再生不能型貧血性に、順天堂で結核の治療に応用し、相当な効果があったと聞いております。研究が進めば、ゲルマニウムは医薬品として大きな効果を表すに違いありません」

 浅井は意見陳述で知っている限りのことを説明した。

「すでに一部の治療で効果が出ているということですね」

 斉藤代議士が質問した。

「当事者ではありませんので詳しいことを把握しておりませんが、調査するに値する効果だと聞いております」

 こうした斉藤の努力が実り、ゲルマニウム工業振興の中に、医療という一文字が入り、浅井は研究費の補助を受けることができたのである。浅井にとって斉藤代議士は苦しい時に手を差し伸べてくれた恩人で、生涯忘れえぬ人物だった。

 斉藤の力で補助金を得られ、石炭からゲルマニウムを抽出する研究が進んだが、コスト的には輸入した方がはるかに安く、企業化を考える会社が出てこないのが恨みだった。

 それでも浅井の研究は着々と進み、石炭からゲルマニウムが採れるという事実に世界中の学者が注目し、欧米の学会に招待されることが多くなった。

 浅井が欧州で開かれた石炭組織学会に出席し帰国したのは三十年十月十九日で、その一週間後に衆議院逓信委員会が開かれ参考人として招かれた。委員長は松前重義で、理事に斉藤、橋本登美三郎、中曾根康弘佐々木更三などが顔をそろえ、参考人として浅井のほか大越伸東大農学部教授、河本頼希日本ゲルマニウム工業社長などが呼ばれ、意見陳述を求められた。

 浅井は最初に立ち、ガス液からゲルマニウムを抽出する研究と、欧州のゲルマニウム研究の状況を説明した。その中で、浅井は医療用のゲルマニウムについて調べた結果を報告した。

「医薬としてドイツとフランスの二カ国が熱心に研究を続けております。文献もかなりの数が出ていまして、医薬用としての実験結果の発表が、主なものでも百件近く出ております。これらの資料の中で、去年、バーデンバーデンで医学大会があり、癌の治療法が非常な問題となりましたが、その中でゲルマニウムによって癌を治療する方法が発表されております。複雑な化合物を使っているようで、欧米ではゲルマニウムを医薬品として、癌の治療に主眼を置いて研究しているように見受けます。東大の実験では、ゲルマニウムが血液に作用することが判明しておりますが、世界各国は血液関係でゲルマニウムを使うことには気がついていないようです。もっかその研究を行っておりますが、これが成功すれば人類にもたらす幸福は実に大きいのではないかと思われ、皆様のお力添えでこの完成を一日も早く実現したいというのが念願であります」

 浅井の次に東大教授の大越が意見陳述に立った。大越は家畜でゲルマニウム化合物の実験を行い、幾多の成果を上げていた。

ゲルマニウムの医薬的な作用について調査したのは、大学時代の友人からゲルマニウムの注射薬があるのでテストしてくれないかと持ちかけられたのがきっかけです。ゲルマニウムが医薬的にどういう作用を持っているか知りませんでしたので、ただちに文献に当たりますと、意外と古い薬でした。三十三年前の一九二二年に、すでに酸化ゲルマニウム、およびゲルマニウム酸ナトリウムの形で多数の学会報告がありました。主に血液、赤血球とヘモグロビンについてで、それらが増加するという実験データがそろっております。私どもに持ち込まれたゲルマニウムの注射薬は、ゲルマニウムアンモニアの形でございました。どの文献にもこれのデータはありませんので、さっそく家畜で試してみましたところ、赤血球が増えるという事実は認められなかったのですが、白血球が非常に増加するという結果が表れました」

 白血球が増えるというのは初耳で、症状に応じて化合物の形を変えれば、あらゆる病気に効くのではないかと浅井は確信した。

「委員会まで問題を持ってくるに当たり、相当の研究と努力を重ね、国会の速記録にとどめるのに十分な価値があるという信念のもと、こうして委員会を開いていただきました。何らかの方法で、今年中にゲルマニウムの医薬研究に着手し、その効果を上げつつ来年は予算を増やして研究を進めていくというふうにもっていきたいと思っておりますので、厚生省の方々にはご考慮願う次第であります」

 斉藤は浅井の説明を受けた時から熱心だったが、独自のルートでゲルマニウムの医薬品としての研究状況を把握しているようで、東大物療内科などの実験データをもとに、癌や結核の治療薬として期待できると熱意を込めて締めくくった。

 委員会の後も、斉藤は浅井のゲルマニウム研究を陰になり日向になり支えてくれた。

 だが、すべてが順調に進んだわけではない。

「浅井君。素人が癌治療を口にすることは、まさにタブーだね」

 委員会から数カ月して浅井が議員会館に斉藤を訪ねた時、理想に燃える代議士が嘆息したほど、医学会や製薬会社は既成知識や経験だけを重視し、浅井の研究を敵対視し、排斥しようと激しく抵抗したのだった。

 斉藤の嘆きを裏付けるように、逓信委員会で議論に取り上げられたものの、医学会の抵抗でゲルマニウムの研究は進まず、医療薬の研究は進められなかった。

 だが、斉藤代議士の尽力や浅井の地道な研究で、社会的に地位がある人や医学会で名が通った人たちの関心を、少しずつだが呼んでいった。

 三井化学研究所から追い立てをくらったのは、ゲルマニウムの研究に将来性が見えてきたちょうどその時だった。追い出されれば研究の進めようがなく、引っ越し先を探し回ったが適当な物件は見つからず、弱り果てた浅井は斉藤の顔の広さを頼った。斉藤は衆議院議長という要職にあって繁忙のため、訪ねるのは年に一度程度だったが、ずっと交遊を続けていた。

「研究所を貸してくれるような奇特な会社はないでしょうか」

 立ち退きを求められるまでの経緯を説明した浅井に、斉藤は眉間に縦皺を刻み、唇をきつく結んで考えていたが、思いついたことがあったようで、目をかっと見開いた。

「管君のことは覚えているね」

 管礼之助が石炭庁長官のとき、浅井は石炭増産協力委員会の委員になり面識を得ていた。

「委員会でご迷惑をおかけしました」

「ちょっと会いに行きましょう」

 斉藤は軽く言い、浅井に同行を求めた。管は東京電力社長で、浅井などが面会を申し入れても会える相手ではないが、斉藤ともなると違っていた。約束も取らず千代田区内幸町の東京電力本社を訪ねた斉藤と浅井は、すぐさま広い応接室へ通された。

 管は石炭庁長官時代と変わらない精力的な容貌で、斉藤の話を聞き、大きな目で浅井を見つめてうなずいた。

「それはお気の毒です。石炭増産協力委員会では、石頭の委員長のせいで不愉快な思いをされたでしょうから、その見返りと言ってはなんですが、解決策を考えてみましょう」

 私に任せてください、と太鼓判を押した管の言葉に、浅井は地獄で仏に出会った思いがした。管ほどの実力者が了解してくれたのだから、間借りしている研究所並みの場所を確保してくれるに違いないと期待したのだが、予想はまったく外れた。

 管に会って三カ月ばかりたち、三井化学研究所に居すわるのはもう限界という時、東京電力の社長秘書から連絡が入った。研究所用の建物ができたから、点検したうえで必要な設備や器材を申し出てほしいというものだった。

 場所は神奈川県川崎市にある発電所の用地で、鉄筋コンクリート二階建てだという。いきなり言われても半信半疑で、秘書に求められるまま、浅井は翌日、川崎発電所を訪れた。

 受付で来意を告げた浅井は、背広姿の総務部員に案内され、真新しい鉄筋の建物につれていかれた。

「突貫工事で建てましたから、不備なところがあるかもしれません。点検して問題点は遠慮なく申し出てください」

 浅井はしばらく言葉が出なかった。石炭綜合研究所のために、管が建物を新築してくれるとは思いもよらず、まだコンクリートの匂いが湧き立っているような二階建ての建物を凝然を見つめた。

 とても信じられる光景ではなかったが、夢ではない証拠に、何度首を振って瞬きしても建物は消えず、嬉しさが心の奥底から滲み出した。

 世の中、資本主義に毒された利益至上主義者ばかりかと恨んでいたが、浅井の研究のために建物を新築してくれる善意の主がいるとは、どれだけ感謝してもし足りない。

 管は中の設備もすべて整えてくれ、浅井たちが持ち込んだのは、借り物の研究所で使っていた研究機器だけだった。

 引っ越しが無事終わり、所員が車座になって乾杯した。これほど嬉しいことがかつてあっただろうか。研究を断念しなければならないかと絶望に駆られたりしたが、これで研究がはかどる。

 酔いが回るにつれ、浅井はじっとしていられなくなり、いつもの唄を歌いだした。

 庭のさんしゅうの木に

 鳴る鈴かけてヨー オーホイ

 鈴の鳴る時や 出ておじゃれヨー

 平家谷の伝説を持つ宮崎の椎葉村に伝わる稗搗節(ひえつきぶし)で、平家残党の追討を命じられた那須大八郎と、平清盛の血を引く鶴富姫の恋のささやきが民謡になったものだ。木の実、草の根をかじって生活していた落ち武者を哀れに思った大八郎は、鎌倉幕府に残らず追討したと嘘の使者を送り、椎葉村に落人らの永住を認め

た。そして、鶴富姫と恋に落ちた 。

 歌っているうちに全身が熱くなり、浅井は上半身裸になり、胸をたたいて所員と声を張り上げた。酒が入れば浅井は率先してこの唄を歌い、所員がかならず合唱した。声は溶け合って一つになり、ゲルマニウムの研究を完成させてみせるという熱情が、浅井の胸の底からこんこんと湧きだしていった。

 研究所の住み心地の良さは以前と比べると雲泥の差で、浅井はお礼に東京電力の本社を訪ねた。多忙にもかかわらず、管は快く会ってくれた。

「素晴らしい研究所を作っていただき、感謝にたえません。恩返しに、東京電力のためになることでしたら、何でも一所懸命に研究して役立ちたいと、所員一同考えています」

 頭を下げた浅井を管は大きな目で睨み付けた。

「君。そんなケチなことは言わないでくれ。君の研究所は私物ではないはずだ。国家のためになる研究を進めてもらいたいからこそ、研究所を建てたんだ」

 浅井は管の私欲のない人物の大きさに、ただ頭が下がるばかりだった。資本主義社会では自社の目先の利益しか求めない経営者が大半なのに、国家のためと巨額の資金を投じ浅井を援助してくれる管は、大所高所に立った経営者の鏡にほかならなかった。