女系天皇容認への質問と主張③の2

准教授の回答に対する再質問と私の主張である。女系容認派の言い分は准教授の回答以外にもあり、次回最終回はそれらへの反論と、女系派の主張への感想を述べる。

3「女系について」

 母親の元明天皇から娘の元正天皇皇位が継承されたから女系というのは言い過ぎではないでしょうか。これでは、女性天皇から皇位が娘や息子などの血縁に継承されたら女系継承となってしまいます。そうなら、持統天皇から孫の文武天皇への継承も女系継承になりますが、文武天皇は女系の男性天皇ではありません。

 元明天皇の父は天智天皇元正天皇の父は草壁皇子草壁皇子の父は天武天皇ですから、父系=男系を明確に維持しています。

元明、元正両天皇は男系であったからこそ天皇を継承できたので、もし父親が皇族以外の、例えは蘇我などの一族の男性だったら、両天皇の存在はあり得ませんでした。

 古代は双系といいますが、権力基盤の弱い男系男性天皇の場合、補完として天皇の血筋に近い后を選んだことはありますが、それで双系というのは本質から外れています。女系のみの天皇は存在しないのですから、あくまで男系の補完にすぎません。

「男系」や「女系」の「系」は「系統」という意味のはずです。男性の系統、女性の系統、言い換えれば「父系」と「母系」です。

「父系」を遡れば神武天皇に行き着きますが、母系を辿っても行き着きません。母系はわずかな代を遡るだけで皇統から外れてしまいます。

元正天皇の母は元明天皇ですが、元明天皇の母は蘇我一族の女性ですから、それ以上、皇統をたどることはできません。皇統の歴史である万世一系が断絶しています。

 男系継承だからこそ、蘇我一族や藤原一族、道鏡などが皇位を簒奪できませんでした。

 弥生時代以降、中国の男子優先思想を元にした男系継承に倣ったといいますが、影響された日本の天皇とは、具体的に誰になるのでしょうか。

 大陸王朝の皇帝は易性革命で武力交代してきました。権力闘争そのものだったはずです。

 そこに男系とか女系という意識が入る余地はなく、武力の優劣だけが意識されていたのではありませんか。

 もし大陸王朝の影響で男系継承となったのなら、易姓革命や女性軽視の纏足なども日本に伝わっていたはずです。 

 古代は男系を意識しなかったといいますが、それなら清寧天皇崩御後に、記紀は表記が異なりますが、後継者不在だったのですから、摂政だった飯豊青皇女が即位していても良かったはずです。

 にもかかわらず、「記」によれば、全国に皇統の男子を探すよう指示し、名乗り出た顕宗天皇践祚させたのは飯豊青皇女でした。男系が意識されていたからこそです。

 武烈天皇の後継をいろいろと探し、わざわざ継体天皇を選んだのも、男系男子を意識していたからです。 

 女系論争が盛んになったのは小泉純一郎元総理のときでした。当時は皇太子と秋篠宮しか男系男子が存在せず、皇統存続が危ぶまれる状態でした。

 根本からきちんとした議論をするチャンスだったのに、小泉元総理は誰に入れ知恵されたのか知りませんが、総理の私的諮問機関で女性、女系容認を打ち出し、それを政府見解にしようと乱暴な方針を打ち出しました。

 この小泉元総理の方針で、女性、女系天皇論議が盛んになり、愛子内親王が可愛いからとか、国民の多くが愛子天皇を期待しているとばかり、女性週刊誌が書き立てました。

 私がFacebookで男系論を書くと、決まって愛子内親王が可愛くで国民の人気もあるから天皇にふさわしいと書き込んでくる人がいました。

 可愛いからとか、人気があるからとかで、国体の中心にある天皇を決めることなどできるわけがありません。AKBセンターの人気投票ではないのですから。

 もっとも、私が反論するまでもなく、他の「友達」に間違いを厳しく指摘され、書き込んでくることはなくなりました。

 いまだに愛子天皇期待論のようなものが女性誌に載り、共同通信など愛子天皇誕生が世論調査で80%を超えたなどと報道していますが、国論を混乱させた小泉元総理の責任は重大といっていいでしょう。

 共同通信世論調査など、国論を二分させようとする意図的なものにほかなりません。

 女性女系天皇論が世間で盛んに議論される中、秋篠宮紀子姫のご懐妊で小泉総理の私的諮問機関の議論はしぼみ、さらに悠仁親王の誕生で急速に終息しました。

 皇室を無視した、空疎な政府の議論に対する、秋篠宮の抵抗だったのではないでしょうか。本来なら、当時の皇太子殿下ご夫妻がなすべき事柄でした。

 憲法典や皇室典範に則れば、悠仁親王天皇に即位するのは規定路線です。

長く放置されていた 政府の有識者会議の提案は、女性宮家の創設や元皇族の養子を認め、さらに元皇族の直接復帰などを柱にようやく議論が始まります。

 こうした会議の場で女系論が出たとしても、男系でつないできた2700年近くの歴史の重みは消え去りません。もし男系の歴史を断絶させたら、わが国の有史以来の歴史は根底から否定されることになります。

 皇統継承問題は、悠仁親王ご成婚後の問題ですが、まだ時間がある今のうちに、江戸時代の新井白石が行ったように宮家を整備し、皇統断絶に備えるべきだと考えます。

 皇統安泰、日本国民の弥栄のために、きちんとした議論がなされることを願います。