永遠なる魂  第三章 石炭 3 

              3

 家族の安否を心配する必要がなくなれば研究にも身が一段と入る。その中で、浅井が最も注目したのが、ゲルマニウムである。研究所開設当時に、ある所員が石炭の中にゲルマニウムという希元素があると話していたことがあり、ずっと頭に残っていた。

 浅井は占領軍と旅券の件で掛け合った縁で、一時は科学資源局の通訳として徴用されていたが、ドイツから没収した科学文書に、ゲルマニウムという希元素のことが記されていて、未来を支配する元素になると書いてあったと、アメリカ士官が話していたのを小耳に挟んだことがあった。

 没収文書にゲルマニウムのことが本当に書かれていたかどうか、確かめることはできないが、物事に興味を抱くのは何かのきっかけがあるためで、浅井の念頭からゲルマニウムが離れなくなっていった。

 思い立ったら吉日で、浅井は研究所が発足して間もなく、所員に石炭中のゲルマニウム含有量を調査させた。

 希元素の微量分析には高度な知識と精密な機器が要求され、手探り状態が続いたが、一年以上をかけて浅井はゲルマニウム定量分析の方法を確立した。しかし,具体的に分析しようとして行き詰まった。機器を購入する資金などないのである。

 仕方なく研究を中断している研究所へ押しかけて分析機械を使わせてもらうことにした。研究所の創設当時は東大の研究室を無断で使い、今また他の研究所で機器を借りるという、まるで根無し草のような研究生活に、がむしゃらに人生を突き進む体質を持っている自分はいいが、若い所員たちはどう受け取っているだろうかと胸が痛んだ。

 だがそのかいあって、ゲルマニウムの研究は進んだ。石炭中にゲルマニウムが含まれていることはソ連の文献で指摘されているが、実際に調べてみると、ビトリットの木質部分に最も多いことが判明した。さらに欧米のように地質年代石炭紀に属する古い石炭、つまり植物がシダ類に属するものにはゲルマニウムが少なく、日本のように若い石炭、地質年代でいえば第三紀、植物もスギ科に属するセコイヤ類にかなりの量が認められたのである。

 木質部には地中から吸い上げた養分を運ぶ髄管がある。そこにゲルマニウムが多いのは、石炭になった植物そのものが保有していたことにほかならず、石炭生成の過程で泥などに含まれて紛れ込んだのではないと結論した。

 浅井は研究結果を学会誌に発表したが、鉱物学者から凄まじい批判が巻き起こった。植物がゲルマニウムを含んでいるはずがないというのである。

 批判されたまま放置しては論争に敗北したと取られかねず、浅井は植物とゲルマニウムの関係を解明せざるを得なくなった。もっとも、批判されなくても、浅井は旺盛な探究心から取り組んでいたに違いない。

 浅井は農林省の友人に、全国から竹を集めるよう依頼した。集まったのは四十種に及び、そのすべてから十五 ~二十ppmのゲルマニウムを発見したのだが、手作業の分析は容易ではなく、寝る間もない忙しさだった。

 植物の分析はさらに進み、茶の葉、カシワの葉、クロレラなどにも相当量のゲルマニウムが含まれていることを解明した。

 なぜ植物がゲルマニウムを含んでいるのか? その疑問に答えるのが、ゲルマニウム半導体という性質である。

 水は半導体の作用で酸素と水素に電気分解される。これをホンダ・フジシマ効果というが、植物は電気分解された水の酸素を吐き出し、水素は吸収した炭酸ガスの炭素と結びつき炭水化物を作る同化作用を行っている。植物は水さえあれば炭水化物を作るわけで、そのためには半導体は不可欠なのである。つまり、どんな植物でも、量の多寡はあるがゲルマニウムを含んでいるということになる。

 さらに不思議なのは、ゲルマニウムの含有量は、漢方薬や精力増強作用を持つといわれる植物に多いことである。高麗人参さるのこしかけ、枸杞の実、ニンニク、アロエと、人類が長い歴史の中で重宝してきたものばかりである。

 つまりゲルマニウムは、人類が生きていくうえで掛けがえのない希元素と考えられた。

 ゲルマニウムの研究は始まったが、資金不足は悲しいもので、満足のいく実験ができない。早く自前の実験設備がほしいと念願した。

 だが、偉大なことをなし遂げた研究者は、決して立派な設備を初めから保有していたわけではない。築地の東劇で上映されていた「マダムキューリー」は、まさにその事実を物語っていた。

 映画は、マダムキューリーが粗末な物置小屋の研究室で、桶や樽のたぐいを使って研究を進め、抽出したラジウムが蛍光板に怪しげな蛍光を発しているシーンを映し出していた。

 研究とは、物理的なものだけでなく、不屈の精神こそが必要なのだ。諦めずに邁進すれば、いつかかならず目的を達せられる。浅井はそう実感した。

 鋼支柱と梁の普及効果があったのか、石炭庁が浅井に諮問機関の石炭増産協力委員会の委員になれと求めてきた。

 委員の顔ぶれは炭鉱会社の社長や専務、学識経験者など二十数名で、その一人に加えられたのだが、参議院の初代議長に就任していた佐藤元大使の推薦だとは後から知った。

 石炭庁長官は東京電力社長の管礼之助で、腹が座った人物というので有名だった。管長官なら鋼支柱や梁について理解してくれるかもしれないと期待し、初めての委員会で浅井は発言を求めた。

「石炭採掘のために大量の坑木が使用され、打ち捨てられて巨額の損失となっています。私が開発した鋼支柱と梁は、取り外しが可能なので再使用でき、採炭の大幅なコストダウンを図れます。研究所として普及に努めておりますが、石炭庁としても我が国の石炭産業復興のためにも普及に力を入れていただきたい」

 そう話したのだが、委員長からいきなり大声で叱責された。

「厳重注意する。君に発言など求めていない」

 委員長になぜ叱責されなければならないのか理解できず、せっかく採炭コストの削減につながる提案をしたのに一方的に詰られた事態に怒りが沸騰し、浅井は憤然と席を蹴った。

 部屋を飛び出した浅井を、三人の委員が追いかけてきて慰撫した。

「あなたは外国生活が長かったから、日本人特有の手続きをご存知ない。今のような重大な提案は、委員長か委員会の古参委員に了解を得るか、それとも自分で提案しないで顔役の委員の手柄にしてあげるものです。ここは私たちが取り持ちますので、どうか戻ってください」

 委員の一人が懸命に説得したが、重大な提案だからこそ根回しなどやっている時間はないはずである。規則に縛られ、体面だけ気にする委員長や委員たちの狭量さには呆れるしかない。こんな委員会には用はなく、出席するぐらいなら鋼支柱の普及に時間を割く方が賢明だと、浅井は二度と出席しなかった。

 石炭業界の助成で研究所は何とか軌道に乗ったが、そうなると恩義に報いるためにもさらに貢献しなければならないと突き進むのが浅井である。昭和二十五年、浅井は日本の石炭採掘技術向上のため、第二の故郷と考えているドイツを訪れ、石炭産業の実態を視察した。何人ものドイツ人技術者と旧交を温めたが、驚いたのは、採掘技術は機械化が進展し、日本とともに戦争に破れた国とは思えない活気に溢れていることだった。

 ドイツ訪問では、旧知の仲間に頼まれてゲルマニウムの話をいろいろな場所で説明した。ただ、ドイツの石炭は大半が石炭紀に属し、植物もシダのためゲルマニウム含有量が少なく、さほどの注目は浴びなかった。

 浅井がドイツを訪問した目的はもう一つあった。七十歳になるエリカの母親の救出だった。彼女は戦争中にエリカと離れ離れになり、東独の小さな村に身寄りもなく一人取り残され、病身で寂しく生活していた。

 東西を分割した鉄のカーテンは出入りが厳重に監視され、簡単には東独から脱出できそうになかったが、幸いなことにベルリンのブランデンブルグ凱旋門だけは、必要に応じて東から西への出入りが認められていた。

 浅井はドイツへ到着すると同時に義母に手紙を書き、十日後の午後三時に、ベルリンまで来てブランデンブルグ凱旋門で会えるよう努力してほしいと連絡した。

 ベルリンは浅井が青春時代を過ごし、エリカと出会った町である。そして、ブランデンブルグ凱旋門は、浅井が初めて独り住まいしたアパートの側にある、懐かしい場所だった。

 しかし、凱旋門の近くにあったティアガルテンの樹木は切り倒され、周囲の建物は瓦礫同然で、戦争の激しさを物語っていた。

 果して義母がここまで来られるかどうか心配だったが、約束の時間に凱旋門へ着いた浅井の目に、小さな白髪の老婆が、門の柱に寄り掛かり、こちらを見ている姿が飛び込んできた。

「オミ!」

 浅井はドイツ語でおばあさんを意味する言葉を叫んで駆け寄り抱きしめた。実に六年ぶりの再会で、義母の体は痩せて弱々しく、抱いた腕に力を入れれば折れそうなほどだった。

 戦火に逃げ回り、ろくな食事もできなかったのだろう。病身と聞いていた義母は疲れ果てていて、気力だけで凱旋門までたどり着いたのではないかと思えるほどだった。休養させ栄養をつけさせなければならない。浅井は戦災で焼け残った西ベルリンの知人の家へ義母をつれていき、体力の回復を待つことにした。

「エリカや孫たちと、一緒に日本で暮らしましょう」

 椅子にぐったりもたれ掛かった義母の細い手を握り、優しく話しかけた浅井に、彼女は皺の深い顔をますます皺だらけにしてうなずき、頬をおびただしい涙で濡らした。

 義母を日本につれていくには問題があった。当時の西ベルリンは英、米、仏の三カ国が分割統治し、東独からの脱出者は二カ月間の収容所生活を義務づけられていたのである。病身の義母を二カ月もの間、収容所へ入れておくことはできないし、浅井にしてもそんな長い期間をベルリンに滞在することは不可能だった。

 義母をひとまず落ち着かせたのは英軍が管理している地域で、浅井は考え抜いたあげく、英軍司令部のあるレンガ色のビルを訪ねた。誠意を持って当たれば必ず道が開けるというのが、浅井がこれまでの生き方から学んだ信念である。今回も英軍司令部への直訴を思いついたのだった。

 だが司令部は、どこがそうした要請の担当窓口かわからず、探し回ったあげく浅井はスミス中佐と名札が出ている部屋のドアを開いた。浅井が入ると同時に、机に座った軍人が顔を上げた。口髭を生やした英国紳士風の軍人が咎めるように浅井を見たが、かまわず机の前に立った。軍人は目をみはり浅井を凝視したが、誰何しようとはせず、黙って見つめていた。

「ドイツ人の妻の母親を連れ帰るため、日本からやってきました。ですが、義母が東独にいたため、ベルリンから出る許可証が必要です。出していただきたいのです」

「その方は、二カ月間、収容所にいたのですか」

「東独から西ベルリンへ着いたばかりです」

「規則がありますから、それでは無理です」

「義母は体が悪く、とても収容所生活には耐えられません。それに私は二カ月もの間、こちらに留まることができません。一緒に連れ帰りたいのです」

「例外は認められません」

 軍人は親切そうな顔つきだったが、規則を盾にうなずこうとはしなかった。規則がなければ秩序は保てないが、時と場合によっては例外を認めることも必要である。浅井は小役人に成り下がっている中佐を睨み付けた。

「私は日本人です。助けようとしているのはドイツの婦人です。しかし、人間の心に国境はありません。国籍を離れ、一人の病弱な年寄りを救うという人道的見地で、認めていただきたい」

 浅井は軍人の目をひたと見据えた。スミス中佐は浅井の目を見返し、しばらく黙っていたが、誠意が通じたのか、鋭い視線が柔らかくなった。

「いいでしょう。その老婦人の写真を三枚持ってきてください。身分証明書と飛行機に乗れる許可証を渡します」

 喜びが沸き立ち握手を求めた浅井に、スミス中佐はにこやかな笑みを浮かべて応じた。

 写真を将校に渡して身分証明書と許可証が交付され、浅井は義母をエッセンまで連れて帰った。だが、エッセンには日本大使館はおろか領事館もなく、ビザが取れない。日本行きの渡航チケットは、浅井の友人で世界的な重機械会社の幹部が手配してくれたが、ビザがなくては飛行機に乗ることができない。

 考えたあげく、中立国のスイスへ行けば、スイス政府が工夫してくれるのではないかと思い立ち、浅井は義母とチューリッヒへ行き、外務省を訪れた。

「まことに恐縮ですが、スイス政府が日本のビザを発行することはできません」

 相談した血色のいい担当者は、申し訳なさそうに目を伏せた。

「なにかいい方法はないでしょうか」

 浅井はスイス外務省を頼った理由を詳しく説明した。

「日本はアメリカに占領されていますから、スイス駐在のアメリカ領事館に頼んだらいかがでしょうか」

 担当者の助言に、暗闇から一筋の光が見えたようで、浅井はさっそく二時間かけ、ベルンのアメリカ領事館を訪ねた。そこは四階建てのビルで、最上階に領事室があった。

 幸い領事は執務中で、気楽に面会してくれた。人のよさそうな丸顔の領事で、これなら依頼を受けてくれるのではないかと期待した。

「ドイツ人の義母を日本へ連れ帰ろうとやってきましたが、日本大使館が閉鎖状態でビザが取れません。アメリカが占領している日本へ入国できるよう取り計らっていただけませんか」

 浅井は日本からはるばるドイツまで来た事情を説明した。領事は真剣に聞いてくれたが、口から出てきた言葉は期待外れだった。

「同情はしますが、私の権限外なので、依頼に応じることはできません」

「それでは老母を見殺しにしろと言われるのですか」

「そうではありませんが、私の与えられた権限ではどうしようもないのです」

 どう懇請しても返ってくるのは権限外という言葉で、浅井は腹が煮えくり返った。権限があろうがなかろうが、一人の老婦人さえ救おうとしない領事は、鬼畜にも劣る。

「日本を勝手に占領しておいて、哀れな老婦人の入国も認めないというのは、人道上まったく理解できない。それでも心を持った人間ですか」

 浅井は言い捨て、ドアを力任せにたたきつけ部屋を出た。腹立ちまぎれに啖呵を切ったが、義母を連れ帰る手立てはなく、浅井は途方にくれた。

 東京で待っている妻や子供に、何と言い訳したらいいのか。いやそれ以上に、スイスに一人残される義母はどうなってしまうのか。ここで引き下がったら、生きて二度と顔を合わせられなくなるかもしれない。

 昼食時間でレストランに入ったが、庭園に面した窓際の席に座っても緑は目に入らず、出された料理に手をつける気にもならない。食事を終えた客たちが居なくなり、浅井は一人になってもぼんやり窓から外を眺めていた。

 ここですごすご引き下がるわけにはいかない。義母を助けるためには、どんなに拒否されても、領事室をてこでも動かない覚悟が必要だ。浅井は胸の奥から名状し難い熱が噴き出してきた。

 もう一度、アメリカ領事と対決しよう!

 浅井はアメリカ領事館へ引き返し、領事室のドアを勢い良く開いた。きっと形相が変わっていたに違いないが、アメリカ領事も顔を真っ赤にして浅井に走り寄ってきた。

「良かった。あなたに連絡しようとしたが、住所もなにもわからず困っていたんだ。良く戻ってきた。本当に良かった」

 頬を紅潮させた領事が、興奮して早口で話すから、浅井はすぐには事情が飲み込めなかった。初めは無断で部屋に入ったことを詰っているのかと誤解したが、耳を澄まして領事の言葉を聞いているうち、どうやら浅井が引き返してきたことを喜んでいるらしいのがわかった。

「あなたが怒って飛び出して行ったあと、本国から送ってきた日本占領に関する管理規則を調べました。そこに、外国から日本へ入国する日本国籍以外の人は、大統領の認可があれば入国査証を発行できるとありました。ここです」

 領事は分厚い規則集を開いた。

「それじゃ、大統領に許可を得ていただけるのですか」

「今から電報を打ちます」

 領事は満面に笑みを浮かべて握手を求めてきた。握ったふくよかな手は柔らかくて温かかった。

 出発まで三日だった。浅井は義母とチューリッヒへ戻り、大統領の許可が出るのを待った。領事館へ毎日問い合わせるが、本国からの返事は来ない。

 日本への飛行便はパン・アメリカン航空とオランダ航空しかなく、チケットの入手は容易ではないから、予定の飛行機に乗らなければ、今度はいつになるかわからない。出発までに許可が下りなければ、老母を一人残して帰国しなければならない。じりじりして待ったが当日になっても返事は来ず、義母を置き去りにしなければならないかと、胸から血を吐きそうな痛みを覚えた。

 出発まであと二時間。そろそろ飛行場へ向かわなければならない。浅井が血が出るほど唇を噛んだとき、ホテルの部屋の電話が鳴った。飛びつくように受話器を取った浅井の耳に、ベルンのアメリカ領事の声が響いた。

「大統領から許可の電報が届きました。すぐ日本へ向けて出発してください」

 その言葉を聞いたとき、浅井は飛び上がって喜んだ。許可が来ないとうろたえている老母に電話の内容を説明し、慌てて荷造りしチューリッヒ空港へ駆けつけた。かろうじて日本行きの便に間に合い、タラップを上る時の思いは晴れやかで、アメリカ領事の好意に涙がこぼれそうだった。

 飛行機はローマ、ベイルート、カラチ、ラングーン、バンコク、香港、マニラを経由し、羽田空港に到着したのは夜の十一時だった。時間は遅かったが、電報を打っておいたから、エリカと子供たちが老母との面会を楽しみにして、迎えに来ているはずだった。

 だが、入国しようとして係官に止められた。

「ビザがなくては入国を認められません」

 青い制服を着た入国管理官は、老母が税関を通ろうとすると押し止めた。

「スイスのアメリカ領事から許可が出ています」

 浅井は経緯を説明したが、入国管理官は認めようとしない。許可を得ていると主張しても、電話を受けて飛行機に乗ったのだから、入国許可証はなく、証拠となる書類もない。管理官の立場では認めることは困難に違いなかった。

「ビザをお持ちでないので、入国は許可できません。ビザなしで来日された外国人は、収容所へ入ってもらうことになっています」

「せっかくドイツからはるばると戻ってきたのに、収容所というのはあんまりです」

「規則ですから。入国許可が下りていることを証明することができれば別ですが」

 返答しようがなく浅井は腕を組んだが、はっと一つの考えが頭に浮かんだ。

アメリカ占領軍司令部へ電話してください」

 浅井の言葉に、管理官が急に姿勢を改めた。胡散臭そうに浅井を見ていた目が丸くなり、頬が強張っていた。

「お手間を取らせて申し訳ありませんでした。お義母さんは入国されてかまいません。占領軍司令部が確認いたしました」

 司令部に電話を掛けて戻ってきた管理官が、先程とは打って変わって丁寧に入国を許可した。スイスのアメリカ領事が占領軍に連絡してくれたのは間違いなく、心配りに心底感謝した。

 幕末の尊皇家、吉田松陰は「至誠天に通ず」と弟子に教えていたが、人種や国籍は関係なく、真心はだれにでも通じるものだと、浅井は改めて胸に銘記した。

「お母さん!」

「お祖母ちゃん」

 入国を許され、税関を通り抜けたとたん、待っていたエリカと子供たちが走り寄ってきた。義母とエリカは涙を流して抱き合い、子供たちは顔を笑いでいっぱいにして二人を取り囲んだ。

 義母と同居して平穏な生活がやってきた。浅井は相変わらず金策に走り回り、研究所を細々と続けていたが、一途な研究生活を続けていればいつかは認められるもので、昭和二十八年の初め、国際石炭組織学会に石炭業界から日本代表として派遣され、さらに同じ年の四月から東大第二工学部九州大学理学部で、石炭組織学の講座を担当することになった。

 石炭業界からの補助金や寄附金で研究所の経費を賄っていただけに、安定した収入の道が得られるのは有り難く、さらに若い頭脳が石炭研究に取り組めば、国の復興なすあたわざるを得ずとばかり講義に力が入った。

 だが、嬉しいことばかりではなかった。浅井たちが開発した鋼支柱は、大手機械メーカーの技術者が自社技術として特許申請し、短期間に特許権を成立させてしまったのである。金のために魂を売る行為だが、特許権を取られてしまっては鋼支柱を普及することはかなわなくなり、手を引くしか道はなかった。

 石炭綜合研究所は地道な研究が評価され、若い研究者が続々と増え、設立十年後には三十名を上回る人員になっていた。相変わらず資金繰りは苦しかったが、鋼支柱などで炭鉱業界のコストダウンに貢献したことから、石炭工業協会などから補助金が継続して入るようになり、様々な分野の研究が進められるようになった。

  だが、精神力だけではどうにもならないことが往々にして起こるもので、敗戦から年月が過ぎ、景気も持ち直してきたのが石炭綜合研究所の悲劇だった。

「好意で研究所をお貸ししていましたが、当方も手狭になったので、立ち退いていただきたい」

 三井化学研究所の総務部長に呼ばれて出向いた浅井に、痩せた目の鋭い部長は開口一番、時候の挨拶も抜きで宣告した。

「えっ! どういうことでしょうか」

「いま申し上げた通り、当研究所にはお貸しする余裕がなくなったということです」

「いきなりそう言われても 」

「今すぐ立ち退けとは言いません。早急に移転先を見つけていただきたい」

「考え直していただけませんか」

「これは会社の上層部で決めたことで、再考の余地はありません。猶予は一カ月で、その間に準備をなさってください」

 死の宣告にも等しい申し入れだった。浅井たちは昭和三十一年暮れから研究所の一室を間借りしていたが、まさか立ち退きを求められるとは思ってもいなかった。

 会社の方針で退去を求められれば、自前の研究室ではないから応じざるを得ない。だが、いきなり立ち退けと言われても、引っ越し先を探すのは容易でなく、八方手を尽くして探したが、資金がないとあっては適当な物件を見つけられるはずもない。石炭の研究が軌道に乗り、ゲルマニウムの偉大さがわかりかけてきた時だけに、研究の場を失うのは打撃以外の何物でもなかった。

 利益が短期間で出ないものに金を使うのは罪悪という、資本主義の論理に浅井は打ちのめされ、目の前が真っ暗になった。

 猶予は一カ月ということだったが、浅井は延ばしてくれるよう交渉した。延長は何とか認められたが、三井化学研究所は来年三月中に明け渡すよう最後通告を突きつけてきた。

 浅井は所員がいるのもかまわず、研究室の真ん中で大声で絶叫した。

 天われを助けたまわず!

永遠なる魂 第三章 石炭 2

              2

 浅井が学生に訴えた十日後、ついにその日がやってきた。日本はポツダム宣言を受諾し、正午から天皇玉音放送が行われた。

「忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え 」

 ラジオから流れる玉音放送を聞いても、浅井は格別な感慨は浮かんでこなかった。日本の敗戦は避けられなかったのである。

 これから国の復興のために何をなすべきか。浅井の思考はそこに集中していったが、考えがまとまらないうちに予期せぬ訪問者がやってきた。

 終戦詔勅が下った翌日の午後、弟の疎開先に居候している浅井のもとへ、泥だらけの国民服を着た東大生三人が姿を現したのである。充血した真っ赤な目は憑かれたように浅井を見据え、だれ一人として視線を動かそうとしない。

終戦詔勅を聞いてなにも考えられなくなり、わけがわからないまま皇居にたどりつきました。宮城前の広場には老若男女が地にひれ伏して泣き叫び、軍人が割腹して白い砂を血に染めていました。自分たちはそんな情景をただ眺めるだけで、なんの感慨も起きてきませんでした。虚脱状態で、すべての思考が停止してしまったのです」

 及川と名乗った小柄な学生が、瞬きもせず浅井を見つめて話し続けた。色黒と精悍な感じの学生だった。

「その時、戦争に破れた、諸君はすぐに始めなければならない仕事があるという声が、どこからか耳に囁きかけてきました。それはあなたが我々に演説した言葉です。あの場に居合わせた事務員があなたの名前を知っていて、そこら中を散々捜し回ってここへたどり着きました。さあ、自分たちはなにをしたらいいのですか」

 据わった眼で問いかけられ、浅井は言葉に詰まった。何かしなければならないと腹で思っているが、これといって具体的な考えはなく、いきなり詰め寄られても答えられない。

「少し時間をください。あすの午後にお答えましょう」

 てこでも動きそうにない学生たちをなだめて帰したが、彼らの求めにこたえるには、何をなすべきか結論を出さなければならない。浅井は一晩中眠らず、考えに考え抜いた。

 弟の寝息が聞こえる暗闇の中で座禅を組み、これから何をなすべきかを思考しているうち、第一次世界大戦に破れたドイツが、どうやって復興を果たしたかに意識が集中していった。

 ドイツは何度も敗戦を経験し、第一次世界大戦さえものともせず、不死鳥のように甦った。その要はどこにあったのか?

 はたと思いついたのは、敗戦の度にドイツは最初に科学の復興を死に物狂いでやったという事実である。

 第一次世界大戦後のドイツは、農業で肥料が年間八十万トン必要だったが、原料の石油はなく、海外から輸入しようにも支払う外貨は払底していた。インフレが亢進し失業者が町にあふれたが、戦勝国は支援しようとせず、経済的にも政治的にもどん底にあった。

 だが、リンデ、ハーバーの二人の研究者が、空気中の窒素を取り出し、アンモニアをつくる空中窒素固定技術を実用化した。わずかな期間でロイナ工場を建設し、ドイツの窒素肥料の需要を賄い、大量の海外輸出を実現したのである。

 さらに石炭を乾留してできるコールタールから薬品や染料を開発、製鉄工場では錆びない鋼を製造し、急増する世界の需要にこたえた。

 それらの新技術が、第一次大戦後のドイツを短期間で復興させたのだった。

 座禅を組みながらそこまで考えたとき、一つの結論が閃いた。世界のエネルギー源は石炭が中心で、一国の産業水準は、その国の石炭産出高で判定されていた。浅井はさいわいにもベルリンの工科大学で石炭学を専攻した。

 石炭技術の復興を始めるしかない。浅井はそう結論した。

 翌日の午後、約束通り東大生が浅井のもとへやってきた。我々は何をなすべきかと浅井に激しく迫った及川ら七人で、皆よれよれの国民服姿で顔色が青いが、生きる目的を見つけ出せるかもしれないと、目だけは異様なほどぎらついていた。

 居候している農家の納屋では狭いので、浅井は七人を近くの野原に連れ出し、車座になって考え抜いた計画を話しはじめた。

「国の基本は石炭と言われています。石炭技術を復興させれば日本の国は立ち直ることができます。石炭の研究をしようではありませんか。皆さんも研究者として信念を持ち、まず石炭の勉強から始めましょう」

 一同は石炭の研究という思いがけない話に面食らったようだが、聞いているうちに全員の目が輝いてきた。

 翌日から学生たちは浅井のもとへ通いはじめた。実態は何もないが、石炭綜合研究所と名付け、浅井が持ち帰ったドイツ語の石炭の専門書で、熱心なゼミナールを開始した。

 だが、石炭を本格的に研究するには、実験のできるきちんとした設備が必要である。顕微鏡はもちろん、試験管やフラスコ、試薬がなければ、石炭の本質を探ることなどできない。何もない農家の納屋を研究所と呼んでも、自己満足にすぎないのである。

 研究員たちも浅井の講義を聞き議論しているうちに、是が非でも実験したいと熱望してくる。そのためには研究所を貸してくれるところを探さなければならないが、おいそれと見つかるはずもない。どうしたらいいのか?

 思い悩んだすえ、浅井は思いついた。

「この際だから、母校の研究室を無断使用するしかない。使っていないんだから、文句もでないだろう」

「それは名案です」

 及川を筆頭に研究員たちは愁眉を開き、さっそく翌日から東大理学部で実験を始めた。敗戦で生きる目的を失い、国民が右往左往していれば、母校の実験室を無断使用しても、どこからも文句をつけられることはなかった。

 研究員に実験を進めさせると同時に、浅井は石炭綜合研究所を財団法人にしようと動きだした。石炭で産業復興する計画は、私益ではなく公益で、それなら公益法人の性格を持たなければならないと考えたのである。

 その相談に商工省を訪ね、浅井は不思議な光景を目撃した。役所が集中する霞が関界隈のあちこちで、黒い煙がもうもうと立ち上っている。

 不審に首をかしげ商工省へ着いたが、そこでも中庭から黒煙が空へ噴き上げている。

 何事が起こっているのかと様子を探った浅井は、職員たちから漏れ伝わってくる話から、進駐してくるアメリカ軍から証拠隠滅を図るため、書類を燃やしている最中だとわかった。

 商工省も敗戦による混乱状態で、財団法人の認可申請に来たと伝えても、どこで相談すればいいのか明確な答えは返ってこない。証拠隠滅で書類を燃やしている時に、研究所を設立するから認可してほしいと申し出ても、職員としては驚くしかなかったのかもしれないが、役所仕事の典型であちこちをたらい回しされた。

 認可申請の窓口は不明で、事務処理の責任者もだれだかわからないとあっては手続きが進むはずもないが、浅井は書類を手にして日参し、十月に入ってやっと担当者をつかまえた。

 正常時なら煩瑣な手続きで認可に時間がかかっただろうが、審査しようにも態勢が整っていないのは明らかで、申請して一カ月もたたない十月末、十一月一日付で設立を認可すると通達された。

 そうなると、いつまでも母校の実験室を無断使用しているわけにはいかず、浅井はあらゆるつてを頼って研究所探しに奔走した。

「みつかったぞ!」

 足を棒にして捜し回ったおかげで、研究所を貸してくれる企業が見つかり、浅井は勇んで研究所代わりにしている、東大の実験室に駆け込んだ。幸いにも満州重工業の関係で、東京目黒にある三井化学研究所に話がつき、研究所の一室を使わせてもらえるようになったのである。

「やった!」

 研究員たちが飛び上がって歓声を上げた。手放しの喜びようである。母校の実験室を無断使用しているという肩身の狭さから解放され、これから大手を振って実験できるとなれば、夢は無限に膨らんでいく。

 戦後の混乱期は国民の大半が虚脱状態だったが、信念と勇気を持って事に当たれば、資金などなくても大抵のことは可能な時代だと、浅井は実感した。

 研究所では石炭の本質解明と利用加工の二つの研究を行った。本質解明というのは石炭の物理化学的性質を究明するもので、そこから利用加工する方向が見えてくる。日本の石炭の成分分析、炭層の年代、炭質の解析など、国内に埋蔵されている石炭の実態、つまり戸籍調べである。日本では過去に石炭の根本的な調査が行われたことはなく、研究所の最初の仕事として選んだのだった。

 石炭は太古の植物が大地の沈下で海水に浸され、空気から遮断されて炭化したものである。石炭組織学では黒い石炭の塊からビトリットと呼ぶ木質部分、クラリットという小枝や木の皮、葉っぱが混ざった部分、さらにジュリットという種子や胞子が固まった部分を区別して定量し、石炭全体の性質を判定する。

 それがわかれば、最も効率のいい石炭の利用方法を見つけ出すことができる。そこから、浅井は日本復興の道を探り出そうとしたのだった。

 しかし、実験を進めるには器材が必要である。浅井は市ヶ谷の土地を売り、実験に必要な材料を購入してきたが、私財は底をつき、まさしく無一文の状態では、どうあがいても研究を続けることはできない。

 そこで研究員たちと、何とか金を稼ぐ方法を見つけようということになった。所員と相談した結果、砂糖不足で人々は甘いものに飢えているからとサッカリンの密造を始め、フケ取り香水や防虫剤も作ったが、商売などしたこともない研究員ばかりとあって、いずれも失敗してしまった。

 失敗したのは、石炭研究の応用で収入の道を探すのが本筋だと、天が指し示したのに違いない。目先の利益に目を眩ましていては、肝心の石炭研究は脇道に逸れ、産業復興の名目は失われてしまうと浅井は思い当たった。

 それなら何をすればいいかと思い悩んでいる時、新聞で佐藤大使がソ連抑留から釈放され、浦賀に送還されたことを知った。五月末のうららかな季節のことで、浅井はさっそく佐藤の自宅を調べ訪ねていった。佐藤の自宅は東京世田谷区の成城で、空襲の被害も受けず、庭付きの立派な家は、新緑の緑の匂いが包んでいた。

「ご無事でお帰りになり、安心しました。モスクワでは一方ならぬお世話になりました」

 八畳の座敷に通され、めっきり髪が白くなった佐藤と対面した。モスクワ抑留の苦しさは漏れ聞いていたが、さぞかし苦労されたに違いなく、浅井は一年ぶりに会う佐藤の艶のない顔に胸を打たれた。佐藤がいなければ、浅井が無事に帰国できたかどうかわからず、いわば命の恩人で、怪我一つない帰国を心から喜んだ。

「戦争に負けて、あなたの知識を生かせなくなってしまいましたね。だが、あなたがドイツで学んだことは、いつか国の役に立ちます。それを忘れず、励んでください」

 佐藤は感慨深そうに物静かな口調で浅井を力づけた。

「国のために役立てという、あの時の大使のお言葉は忘れていません。今は若い人たちを集めて研究所を作り、石炭の研究をしています」

「ほう。それは素晴らしい。具体的にはどのようなことをなさっているのですか」

「資金がないので満足な研究はできませんが、日本の石炭の戸籍調べとでもいうようなことを進めています」

「それはどのようなことを?」

 佐藤の問いに、浅井は研究所が進めている研究について説明した。

「日本の石炭ではコークスができないというので、外国炭を輸入していますが、研究が足りないからです。私の研究では、日本の石炭でも十分にコークスを作ることができますが、残念ながら、どの石炭会社も耳を貸してくれません」

 日本には粘結炭が埋蔵されていないので、コークスは作れないというのが石炭業界の常識だった。だが浅井は、日本の石炭の成分を分析するうち、乾留のやり方によっては十分にコークスができると見込んでいた。

「それが事実だとしたら、研究を是非とも完成させていただかなければなりません。石炭は日本に存在する唯一の天然資源ですから、それからコークスが作れるとなれば、輸入に頼る必要がなくなります。あなたの研究は、祖国を復興させる大きな役割を果たすに違いありません」

 私財は底をつき、資金稼ぎも失敗続きだったが、佐藤に激励され、石炭の利用加工で収入を図るべきという思いを強くした。

 散々知恵を絞った結果、戦後の材木不足で、炭坑で使う坑木が足りないことに目をつけた。坑木は坑内で支柱や梁に使われているが、取り外しができないので、石炭の切羽、つまり切り出しが進めば坑内に取り残され、埋められてしまう。材木不足の時代に、大量の坑木をみすみす失うのは巨額の損失で、それに代わる支柱や梁を開発すればいいと思いついた。

 ドイツの炭坑は伸縮自在の鋼支柱を使っていた。伸縮すれば取り外しでき、坑内の石炭切羽が進むにつれ支柱を外せば再使用が可能で、坑木の節約は採炭のコストダウンにつながる。

 浅井はドイツ時代に使っていた鋼支柱の形を思い出しながら、所員たちと頭をひねって設計し、炭鉱業界に提案した。

 肝心の炭鉱業界の反応はいま一つだったが、製鉄業界に大きな反響が巻き起こった。製鉄業界は敗戦で作るものがなくなり、鍋や釜、鋤や鍬を作ってかろうじて生き延びている状態だった。そこに浅井が鋼支柱の提案をしたのだから、製鉄業界は新たな需要先が見つかったとばかり飛びついたのである。

 さらに浅井は坑内の天井を支える坑木に代わり、鉄製の梁を開発し、大幅な経費削減をもたらした。

 鋼製の支柱や梁は評判がよく、多くの炭鉱から引き合いがきて、浅井は重い鋼支柱や梁を担ぎ、九州の三池炭鉱などの三井財閥系の炭坑を訪れ使い方を指導して回った。慌ただしい忙しさだったが、石炭業界の復興はすなわち国の復興につながると信じ、苦にもならなかった。

 鋼支柱と梁を石炭業界に提案したおかげで、補助金や寄附金が得られるようになり、満足とは言えないまでも実験を支障なく続けられる収入のめどがたった。

 研究所が軌道に乗り精神的な余裕が出てくると、ドイツに残してきた妻子のことが心配でたまらなくなってくる。仕事に没頭していても妻子のことを忘れたことはないが、疎開先はドイツ軍と英米軍の激戦があったところである。その後はソ連軍が占領して鉄のカーテンを下ろし、過酷な占領政策が行われていると伝え聞き、不安が不安を呼び、研究所でじっとしていられなくなる。

 佐藤大使は中立国に妻子の保護を依頼してくれたが、マッカーサーによる日本占領後一年たっても音沙汰はなく、浅井は妻子の消息を確かめるため、外務省や国際赤十字社など考えられる限りの場所を駆けずり回った。その結果、三月になって国際赤十字社が、妻子が東ドイツの田舎で生存していることを確かめてくれたのである。

 妻子の消息がはっきりしては座していられない。浅井は重大決心をして東京日比谷の第一生命相互ビルを訪れた。堀端に立つビルは占領軍が徴用し、マッカーサー元帥が君臨する米軍の聖域である。

 普通の人間なら気後れして押しかけようとなどしないが、浅井は違った。思い込んだら自分の不利になっても突き進むのが信条で、そこに道が開けると信じていた。信念の人、デュラー博士に学び、ベルリン陥落で生死の境をさまよった経験が、何事も恐れない気概を練り上げていた。

 あるいは、引いている戦国武将の浅井長政の血が、そうした行動に駆り立てるのかもしれなかった。長政は同盟を結んでいた朝倉勢を助けるため、不利とわかっていながら姉川織田信長と戦い大敗した。姉川の戦いから二年後、居城の小谷城を攻められた長政は、妻だった信長の妹、お市の方と三人の娘を送り返し、城に火をつけて自刃した気性の激しい人物だった。

 中へ入ろうとした浅井に、黒人のMP二人が飛んできて銃を突きつけた。不審人物と判断したに違いなく、強引に押し通ろうとすれば撃たれるかもしれない不安はあったが、浅井は腹に力を入れ、英語で叫んだ。

「私はマッカーサー元帥に会いにきた」

 MPの顔に緊張が走り、突きつけていた銃を下ろし、中へ入れと促した。海外生活で身につけた英語が効いたのか、それとも浅井の気迫に押されたのか、身分証明書を見せろなどの面倒なことは言わなかった。

 天井の高い薄暗いビルに入ったが、マッカーサー元帥の部屋までどうやって行ったらいいのか見当もつかない。浅井は占領軍の受付らしいところで一人の士官に来意を告げた。

「ノー」

 士官は素っ気なく返事して横を向いた。ここで門前払いされては二度と妻子に会うことができなくなる。それに来意を告げているのに、詳しく聞こうともしないで拒否するのは許せない。

「あなたはどうして元帥に問い合わせもしないでノーと言うのですか。元帥が私の来意を聞いて会わないというなら仕方ありませんが、あなたが自分勝手に拒否するのは納得できません。元帥に都合を聞いてください」

 浅井は一歩も引き下がらず、強硬に食い下がった。士官は困惑した面持ちで部屋の奥へ引っ込んでいったが、しばらく待つと二人の兵士がやってきてついて来いと指示した。浅井の剣幕に驚いた士官が元帥に問い合わせたらしかった。これなら元帥に会って直訴できるかもしれず、浅井の胸に希望の光が微かに灯った。

 兵士にエレベーターに乗せられ、最上階に案内された。廊下には数メートルおきに銃剣を抱えた兵士が立ち、警戒ぶりから元帥の部屋があると確信した。

 ドアの両脇に兵士が立つ部屋に入った浅井を、背が高く気品のある将校が迎え、執務机の前に座れと指し示した。机の名札にはバンカー少佐と記され、マッカーサーの副官だろうと見当をつけた。

マッカーサー元帥は、キリスト教の精神と自分の良心とで、日本を統治すると声明されました。私はドイツの戦場で別れた妻子の生死を確かめるため、欧州に赴きたいと考えています。元帥の良心にすがって出国の許可をいただくため、直訴状を持ってうかがいました。元帥に是非、会わせていただきたい」

 浅井はバンカー少佐の青い目を真っ直ぐ凝視し、思いのたけを視線に込めて切り出した。バンカー少佐は眉根を寄せて唇をきつく閉ざし、当惑した表情になったが、浅井の顔をしばらく見つめてから口を開いた。

「あいにく、元帥は留守です。私からその直訴状を渡し、あなたの気持ちをよく伝えましょう。あなたは元帥に会わなくても、私と話すだけで十分です」

 元帥が不在と聞き浅井は肩を落としたが、バンカーは何を思ったのか立ち上がり、脇の扉を開いた。そこは元帥の執務室で、松の盆栽が幾つも飾られていた。元帥不在は嘘でないとドアを開いてまで証明するバンカー少佐の誠意に、浅井はそれ以上、粘ることはできなかった。

 だがバンカー少佐は浅井の失望を感じ取ったのか、心配することはないと何度も励まし、浅井をエレベーターまで見送り、一枚の紙を手渡した。

「これは元帥が最も好まれている言葉です」

 手渡された紙には、「青春」と題された英文がタイプライターで記されていた。

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」

 そう始まる詩は、元帥が心の拠り所として人生を築き上げてきた言葉に違いなく、浅井の琴線を強く揺さぶった。

 元帥の座右の銘を渡された浅井は、バンカー少佐に深く感謝し、占領軍司令部を後にした。彼なら嘘偽りなくマッカーサー元帥に伝え、便宜を図ってくれるに違いないという確信があった。

 浅井がバンカー少佐と会った三日後、外務省から研究所へ至急出頭するよう電話が入った。妻子の件だなと推察し、浅井は電話を受けた足で、桜田本郷に仮住まいしている外務省に走った。外務省は霞が関の庁舎を戦災で失い、まだ敗戦の混乱から抜け出せないようで、省内はざわめき雑然としていた。

 旅券課を訪ねた浅井に、薄汚れた国民服を着た、顔色の悪い係員が机の前に座るよう指示した。係員は眉間に深い皺を刻み、腰を下ろした浅井を、途方に暮れた目で見つめた。

「米軍司令部から、あなたの出国査証を直ちに発行しろという要請がありました」

 その言葉を聞いたとき、浅井の胸に喜びが広がった。これで妻子と会え、日本へ連れ帰ることができる。思わず破顔したとき、係員の次の言葉に浅井は笑顔を凍りつかせた。

「しかし、終戦で出国査証を発行する手続きの規則ができていないし、査証の書式もありません。かといって米軍司令部の指令は絶対ですし、どうすればいいか困っているのです」

 困ったのは係員より浅井で、出国査証がなければ渡欧することはかなわず、何かいい知恵はないかと、疲れた表情の係員と話し合った。

 その結果、以前の旅券を利用して「妻子を出迎え帰国するため、連合軍最高司令官の指令に基づき、この旅券を交付する」と但し書きを付けた旅券が出来上がった。

 だが旅券を受け取っても、日本の海外交通網は断絶し、欧州まで行く方法が見つからない。それでは旅券は宝の持ち腐れで、渡欧する道はないかと調べ回り、やっとアメリカからくる貨物船がインド洋経由で欧州へ回っていることを知った。

 だが、その貨物船がいつ日本に来るのか皆目不明で、胸を焦がして待った。

 旅券発行から三カ月ほどして、スイスの国際赤十字社から長文の電報が届いた。妻と子供たちは無事にスイスに救出され、大西洋回りの貨物船で日本へ向かったというのである。

 その電報を呼んだ時の喜びは筆舌に尽くしがたく、ひたすら佐藤大使とスイス当局、マッカーサー元帥やバンカー少佐に感謝するだけだった。

 妻子の到着を一日千秋の思いで待ち、七月半ばの午前中に横浜埠頭に着くと報せを受け、浅井は思わず万歳と叫んだ。妻子を疎開させてから四年ぶりの対面で、よくぞ日本にたどり着いたと感慨深く、浅井は鼻の奥が熱くなった。

 到着したのは蒸し暑い初夏の日で、浅井は友人からオンボロのフォードを借り、九時前に横浜埠頭の岸壁に乗り付けた。幸い空は晴れて見通しは良く、沖合に目を向けるとそれらしい船が一隻浮かんでいた。だが検疫に時間がかかっているのか、いつまでたっても動こうとせず、嬉しさと焦れったさで浅井は岸壁をうろうろと歩き回った。

 妻のエリカは言うにおよばず、子供四人も生まれて初めて日本の土を踏む。果して日本の風土にうまく溶け込めるのか、ドイツとの違いに戸惑いはしないかと、余計なことをあれこれ思い悩む。

 三時間以上も待たされただろうか、船はやっと岸壁に接岸された。浅井は下ろされたタラップを一気に駆け上がった。デッキで四人の子供を連れたエリカが、満面に笑みを浮かべ立っていた。ソ連の占領地から抜け出し、長い船旅でさぞかし疲れ果てているだろうと懸念していたが、血色は良く、晴々とした爽やかな笑顔で、神々しいほどだった。

「あなた!」

 笑いかけた浅井の胸にエリカが小さく叫んで飛び込んできた。

 久しぶりに胸に抱く妻の体は、痩せてはいたが痛々しいほどではなく、熱い血の温もりが生きているという実感を感じさせる。抱き合っている二人の周りに子供たちが駆け寄ってきた。

 十歳になる長男を筆頭に皆晴れやかな笑みを浮かべ、とりわけ生まれてわずか十日で別れた末娘は、初めて見る父親の姿に、恥ずかしそうに目を細めた。浅井はかがんで娘の顔をじっと見た。涙に顔が霞んだ。

 浅井は研究所が軌道に乗ってから世田谷区成城の借家に住んでいたが、さほど広くない家は妻子の到着でとたんに狭くなった。だが、家族水入らずで暮らせるとなれば不満があるわけはなく、やっと得られた平和な家庭の存在に、浅井は生きてきて良かったとつくづく思った。

永遠なる魂 第三章 石炭 1

                1

  ドアがガチャリと開き、将校と兵士が入ってきて銃を突きつけ、浅井に目隠しした。

 殺される!

「俺は外交官だぞ!」

 恐怖が沸騰し、浅井は将校に向かってドイツ語で叫んだ。

「外交官を死刑にしたら、おまえらは重大な処分を受けるぞ」

 ドイツ語が通じるはずはないとわかっていても、心が暗黒の闇に埋没しそうなのを食い止めるには、大声でわめきたてるしかなく、無意味と知りながら浅井は続けざまに叫んだ。

 将校が大声で何やら怒鳴った。騒ぐのをやめさせようとしたのかもしれなかったが、死刑を執行されるとなるとそんな思惑など構っていられず、浅井は上着のポケットからパスポートを取り出し、ディプロマと赤い大きな文字で記されている場所を開いて突きつけた。

 将校が沈黙し、パスポートをひったくり、兵士をつれて部屋から出ていった。

 ディプロマは外交官のことで、浅井は日米開戦の前に満州重工業開発に入社し、パスポートは外交官用のものが発行されていた。日産コンツェルンが発展改組し、国策会社になっていたから、ドイツでの浅井の身分は外交官扱いだった。

 パスポートを渡したのが効果があったのかなかったのか、ドアは閉じたまま二時間ばかり経過した。外交官のパスポートは無力だったのか、死刑は避けられないのかと諦めかけたころ、ドアが突然開き三人の兵士が入ってきた。

 これまでかと浅井は体が凍ったが、兵士たちはそれを無視して木箱を独房に運び込み、中へ入れと身振りで命令した。

 こんな箱では窒息するのではないかと怯えたが、小さな風穴が空けてあった。

 浅井が入った箱は乱暴に車に積まれ、二時間ばかり走ったと思ったら運び下ろされ、さらに違う場所へ積み込まれた。どうやら飛行機に乗せられたらしく、激しい揺れがしばらく続き、着地のショックがあった後、箱は再び移し変えられて小刻みに揺れはじめた。

 ドレスデンの監獄から運び出されてどれだけの時間がたったのか、真っ暗闇の箱の中に閉じ込められた浅井には見当もつかない。あまりの窮屈さに手足が痺れて痛んだが、身動きならないとあってはひたすら耐えるしかなかった。

 時間の感覚は失われ、どこへ連れていかれ何をされるのかもわからず、車が目的地に到着したら処刑されるのか、それとも助かるのかと心は千々に乱れ、エリカや子供たちの顔が浮かび上がっては消え、消えては再び浮かび上がる。自分はとっくに殺され、魂だけが家族を求めてさまよっているのではないかとも疑われ、その証拠に肉体は一切の感覚さえなくなったと思ったりする。

 だが生きている証拠に、腕を動かせば強張った筋肉が痛み、渇きと飢えが耐えがたい。車が止まれば殺されるかもしれないのに、どんな時でも食欲はなくならないものだと、浅井は体の正直な反応に呆れた。

 車がぶるっと震えて止まった。目的地に着いたらしい。吉と出るか凶と出るか、皆目見当がつかないが、狭い箱から解放されるだけでもありがたい。

 地面に箱が下ろされ、次に蓋が乱暴に開けられた。痺れた手足を励まし箱から出ると、暗がりに慣れた目には眩し過ぎる太陽が輝いていた。大きな監獄の中庭のようで、浅井の周りを取り巻いた制服姿の男たちの雰囲気に、いつか写真で見たことがある、モスクワのゲー・ペー・ウー本部らしいと直観した。

 浅井は兵士三人に囲まれ、正面に聳え立つ濃緑色の建物の地下室に連れ込まれた。浅井が入れられたのは窓一つなく、小さな電灯がついているだけの薄暗い部屋で、兵士たちは格子の鉄扉を閉め、さらに分厚い鋼鉄の扉を閉ざした。

 一人にされた浅井は、これからどうなるのか不安になった。ドレスデンの監獄から連れ出されたところをみると、死刑にはされないらしいが、一生をこの密室に監禁されるのかもしれない。故国や家族のだれ一人知る者がないまま、ここで朽ち果てるのかと恐れ、不安でじっとしていられない。

 だが、どれだけ叫んでも鋼鉄の扉から声は外へ聞こえそうになく、かといって次に来る運命を静かに待つほどの胆もない。浅井は部屋の中を意味もなくうろついた。やがて歩くのにも疲れ、部屋の隅に置かれた木製の椅子に腰を下ろした。木箱に閉じ込められてからの疲労が一気に押し寄せ、浅井はいつのまにか眠りに誘い込まれていった。

 夢の中でドアが開いたような気がして浅井は目を開いた。ドアの外から士官風の軍人が出てこいと手招きしている。処刑されるのかと身構えたが、士官からそんな素振りはうかがえず、浅井は指示されるまま男の後について足を踏み出した。

 エレベーターに乗せられ、何階かわからないが上階のフロアへつれていかれ、厚い絨毯が敷かれた広い部屋に案内された。太陽が注ぐ窓際に立派な執務机が置かれ、部屋の中央に大きな丸テーブルがあり、ベルリンで遭遇した兵士や将校たちとは比較にならないほど風采のいい将校が五人座っていた。

「ドイツであなたがしていたことを話してください」

 テーブルの前に立った浅井に、一人の将校が流暢なドイツ語で話しかけてきた。また軍事裁判かと絶望しかけたが、ドイツ語が通じるなら言い分が通るかもしれない。浅井はこの時とばかりドイツに滞在していた理由を説明した。

 五人の将校はしきりにうなずき、時々、肩をすくめた。言葉が通じないまま軍事裁判にかけられ、ドレスデンの監獄に連行されたと話したところで、五人の中で最も階級が上らしい、口髭を蓄えた将校が口を開いた。

「あなたを勾留したのは大変な間違いでした。まことにお気の毒で、謝罪します。後ほど日本大使館へお連れしますが、食事をしてゆっくり休んでください」

 事の成り行きを浅井は信じられなかった。だが、スパイの疑いは晴れたらしく、急に空腹が募ってきた。

 将校用の食堂へ連れていかれ、ボルシチと固いステーキにパンの食事をあてがわれ、苦いだけのコーヒーを啜っていた浅井を、将校が迎えに来た。指示されるまま軍の車に乗り込み、着いたのは日本大使館だった。将校は浅井を大使館員に引き渡し、何事か説明して戻っていった。

「こちらへどうぞ」

 痩せ型の大使館員から話しかけられ、二度と生きて日本語を聞くこともできないと諦めていた浅井は、懐かしさのあまり涙を滲ませた。

 案内されたのは客用らしい小奇麗な洋間で、椅子に座るよう促された。案内した大使館員は部屋から出ていくとお茶を運んできた。まさかと思ったが日本茶で、学生時代は飲みもしなかったのに、渋い味に故国の香りを嗅ぎ、全身から緊張が解けていった。

「大使が戻るまでお待ちください」

 大使館員が去り、浅井は一人で放置された。大使はなかなか戻って来ず手持ち無沙汰だったが、日本大使館に入った以上は命を奪われる心配はなく、退屈よりも喜びが勝った。

 どれだけ待っただろうか、ぼんやり部屋を見回していると、紺のスーツを着た年配の紳士が部屋に入ってきた。どうやら大使のようで、浅井に微笑みを投げかけてきた。

「大使の佐藤ですが、どういう経緯でここへ?」

 小柄で髪の半ばが白い大使は浅井の正面に座り、安心させようとするのか穏やかな笑みを浮かべた。

 簡単に説明した浅井に大使は目をみはり、ドイツへ渡った目的や就いていた仕事、さらには日本の家族のことを話すよう求めた。

 浅井は石炭研究に携わった経緯を話した。大使は真剣な光を目にたたえ、静かに聞いていたが、説明が終わると長い息を吐き出した。

「ゲー・ペー・ウーの地下室から出られた人は、あなたが最初で最後でしょう。とにかく無事で良かった。ドイツでソ連軍に捕まった人たちが、何人も大使館へ送り届けられてきて、シベリア鉄道で帰国の途に着いています。今夜はゆっくり休み、準備が出来次第、あなたも帰国してください」

「日本へ帰れるのですか」

「シベリア経由だから時間はかかりますがね。疲れているでしょうから、今夜は官邸に泊まって英気を養ってください」

 地獄に仏とはこのことで、命拾いした上に帰国できるとは、何と幸運かと浅井は目を輝かせた。

 久しぶりに風呂に入り、日本食の夕食を御馳走になり、広い寝室で柔らかいベッドにもぐり込んだ。捕らわれの身で地下室を転々とし、コンクリートの床に横になっていたから、ベッドとは夢のようで、疲れですぐにも眠りに落ちるかと思ったが、頭は冴えていくばかりだった。

 ベルリンを脱出しようとしてからの運命の激変は、神ならぬ身では予期すらできず、いたずらに翻弄され続け、やっと平穏な世界にたどり着いたが、そうなると心の奥底に押し込めていた欲求が噴出し身を激しく焦す。

 エリカや子供たちに会いたい。疎開先は英米軍が攻め込んで戦場となったはずである。無事だろうか。生きているなら家族と一緒に帰国したい。

 身を焼く思いでベッドに横になっていられず、起きて部屋を歩き回るが噴き出した激情は静まらず、空が白々と明けるまで一睡もできなかった。

 大使の執務時間が始まるのを待ち、浅井は執務室を訪れた。

「よく眠られましたか」

 大使が聞いたが、温情に礼を言う余裕もなく、浅井は直立不動で佐藤と向かい合った。

「ドイツに残した妻子が心配でなりません。私はソ連から無罪放免されたのですから、もう捕らえられる恐れはありません。妻子の生死を確かめるため、巡礼になってドイツへ戻りたいと思います」

「それは無理です。たとえ巡礼姿になっても目的地へ到達するのは不可能です」

「ですが、自分だけこうして助かり、妻子を危険な場所に放っておくことはできません。行かせてください」

「あなたは石炭についての貴重な研究をされた。今は危険に向かうより、帰国してお国のために働いていただかなければならない」

 大使の言葉は理に適っていたが、苦境にある妻子を放置し、自分だけ安全に故国に帰るなど思いもよらない。行く手に死が待っているかもしれないが、浅井はおのれに妥協を許さなかった。

「しかし、ドイツが戦争に破れ、妻子がどれだけ心細がっているかわかりません。私が迎えに行くのを待っているんです」

「ドイツにおられたのなら、戦争で日本が苦境に立たされているのはご存知のはずだ。だからこそ、あなたのように石炭の専門知識を持った人が必要です。早く帰国してお国のために尽くしていただかなければ困る」

「占領されたドイツに妻子を残して帰ることなどできません。巡礼なら危険も少ないはずです」

 強情に言い張る浅井に、大使は困惑した面持ちになったが、激昂することなく穏やかな声でなだめた。

「あなたは生死の境に置かれ続け、神経が高ぶっているようです。赤い目から察し、昨夜は眠られなかったようだし、一度、部屋へ戻って休んでから出直してください」

 そうまで言われては無理に言い募ることはできず、浅井は渋々部屋に戻った。だが、妻子を迎えに行きたいという欲求は強まるばかりで、すぐさま大使の執務室へ戻りたくなったが、休息しろと命令されていてはそれもかなわず、浅井は一時間ばかり部屋の中をうろつき回った。

 時間がたてばたつほど妻子への思いは募り、何が何でも大使を説得し、認められなければ独力でドイツへ向かおうと悲壮な決意を固め、再度、大使室へ赴いた。

 大使は浅井の顔を見るなり立ち上がり、何通かの電報の写しを持って近づいてきた。

「あなたの気持ちは痛いほどわかりました。スイス、スウェーデンノルウェーデンマークの元首宛に、あなたの家族の救出と保護を依頼しました。私は長く大使を務めていますが、一私事で他国の元首にお願いの電報を打ったのは初めてです」

 浅井は我が耳を疑い、大使の好意に頭を下げることしかできなかった。

「そこまでしていただけるとは思いもしませんでした。一刻も早く帰国し、日本のために死力を尽くします」

 深々と頭を下げた浅井は、顔を上げた時、佐藤が泣いているのを見た。妻子を残して帰国しなければならない心情を思いやってか、それとも祖国のために死力を尽くそうという決意にうたれたのか、浅井にはわからなかったが、佐藤の姿に鼻の奥が熱くなり、奥歯を噛みしめ涙を懸命にこらえた。

 妻子を残して帰国するのに後ろ髪を引かれたが、佐藤大使の厚情を無にすることはできず、浅井は大使館員の手配でシベリア鉄道に乗った。

 シベリア鉄道はウラルのスベルドロフスクと日本海北岸のウラジオストクを結ぶ、全長七千四百キロメートルの長距離鉄道で、這うようにのろのろ走り、途中で何度も止まるので、ハバロフスクに着くのに一か月近くもかかった。

 ハバロフスクから満鉄で南下し、満州国の首都・新京に到着した時は七月に入っていた。新京はさすが首都らしく治安が保たれ、敗戦でソ連軍に蹂躪されたベルリンに比べると平和そのものだった。浅井は到着した足で満州重工業を訪れた。

 受付で鮎川義介総裁に面会を求めた浅井を、国民服姿の社員が胡散臭そうに目を細めた。モスクワの日本大使館で着替えの衣服を支給されていたが、長い列車の旅でよれよれになり、浮浪者同然の姿だったから、社員が不審人物と考えたのも無理はなかった。

 応対した社員と押し問答し、とにかく総裁秘書に連絡を取ってもらうよう頼んだ。鮎川に会って庇護を願い出る気持ちなど毛頭なく、ドイツ降伏でベルリンがソ連軍にいかに踏みにじられたかを、日本政府に伝えなければという思いでいっぱいだった。

 日本の戦況ははかばかしくなく、いずれ負けるのは目に見えている。もし徹底抗戦して本土決戦となれば、首都・東京は言うに及ばず、日本全土が英米軍に蹂躪され、国民は惨殺される。そうなる前に、我が身で体験したドイツの状況を政府要人に伝え、戦争を終わらせなければならない。

 だが、一介の民間人でそれも若造が、何をどう叫ぼうと政府が耳を貸すはずがなく、鮎川を動かし政府要人に戦争終結を進言しなければならないと思い詰めていた。

 鮎川は幸いにも在室で、浅井の名前を聞くとすぐ総裁室へ呼び入れてくれた。

「敗戦したドイツは生き地獄になっています。日本を同じ状況にしてはなりません」

 浅井は挨拶もそこそこに、生死の境をさまよったドイツの状況を報告し、戦争を終えるよう政府への進言を求めた。小柄な鮎川は浅井の話を最後まで聞き、身を持って経験した本人が政府に直言するのが最も有効だと判断し、帰国するよう促した。

 鮎川に関東軍参謀長の東条英樹、国務院総務長官の星野直樹、産業部次長の岸信介、満鉄総裁の松岡洋右は、実質的に満州国を動かす実力者で、二キ三スケと呼ばれた重鎮だった。

 鮎川総裁の威光は関東軍にも通じ、浅井が軍用機で帰国できるよう取り計らってくれた。羽田空港を目指して新京の飛行場を飛び立ったのは七月二十六日、日本海の上空に差しかかった時だった。

「くそっ!」

 パイロットが叫んだ。前方から米軍のグラマンが二機、浅井が乗った軍用機に襲いかかろうとしていた。

 パイロットはすぐさま機首を上げ、上方の厚い雲の中へ軍用機を突入させた。視界が失われ激しい振動が襲ってきて、あまりの揺れに飛行機が空中分解するのではと恐れた。雲から出れば哨戒しているグラマンに発見され、再び雲に隠れるという繰り返しで、生きた心地もしない。

 それでもパイロットの機転でグラマンを振り切り、まさに命からがら、九死に一生を得た思いで羽田空港に到着した。

 飛行機から降り立ち、十数年ぶりの東京に懐かしさがこみ上げてきたが、そんな感傷に浸っているどころではない。渡欧前に住んでいた牛込市ヶ谷に母親と弟夫婦がいるはずで、電車はいつ動くかわからぬとあって徒歩で向かったが、歩く先は一面の焼け野原。人の姿はほとんどない。

 歩いているうちに日が落ち、暗闇の焼け野原では方向も定まらず、しかたなく新京を出るとき渡された麦の握り飯で飢えをしのぎ野宿した。

 もう日本は敗戦したも同然だ。降伏したドイツより状況はひどい。このまま空襲が続けば日本全土が焦土と化し、罪もない大勢の国民が死んでいく。一刻も早く戦争を終結させ、平和を取り戻さなければならない。浅井は改めて決意した。

 翌朝は日の出とともに歩きはじめ、昼頃になって市ヶ谷に着いたが、町は跡形もなく消え、家の跡には庭に聳えていた大銀杏の木が、焼けぼっくいになっていた。家族の安否を尋ねようにも周りに家はなく、人もいないとあっては途方に暮れるしかないが、きっと戦火から逃れてどこかに疎開しているに違いないと思い直した。

 散々捜し回ったあげく、帰国して三日目に、市ヶ谷からさほど遠くない親戚に疎開していた弟をやっと見つけ、再会を喜びあったが母親の姿はなかった。

「お母さんは?」

「心配ない。郷里の親戚へ疎開させた」

 母が健在なことに浅井はほっとした。

 妻子の生死が不明のまま帰国してみれば、家族は離散、弟一家が住んでいるのは親戚の家の薄汚い納屋とあっては意気消沈するところだが、浅井は絶望しなかった。

 親戚に頼み込み、とりあえず弟のところに身を寄せ、ドイツの状況を政府に伝えるべく、翌日から浅井は接触を始めた。鮎川の紹介状を持っていたが、政府要人は会ってくれず、早くベルリンの惨劇を報告しなければと気は焦るが、伝えるべき手立てはない。

 浅井は連日、わずかなつてを頼って政府への進言を試みたが、引き返すことができない戦況とあっては、いまさらドイツ降伏の状況を聞いても意味がないとでもいうのか、たまに会えてもだれ一人として話を聞こうとしない。

 日本が実質的に戦争に負けたのは明らかで、本土決戦となればベルリンの惨劇を上回るに違いなく、それは絶対に避けねばならないと血を吐く思いだが、何の肩書もない三十代半ばの人間に打つ手はなかった。

 だが浅井は気を落とさなかった。疎開先での食事は三度できれば文句なく、たいていは朝晩の二度で、それも粟や稗ばかり、衣服も乞食同然のぼろだったが、いささかも苦にならなかった。

 戦争で負けたとしても、国の復興のためにできることがかならずある。何かはまだわからないが、敗戦から立ち直る素晴らしい仕事がきっと見つかるに違いない。今は雌伏していても、いずれ輝かしい未来が開けると信じ、浅井はそれに命を懸けるのだと自分に言い聞かせた。

 八月五日の暑い日の昼下がり、政府要人へのつてを探しに出た浅井は、行く先々で面会を断られ、仕方なく母校の東大を訪れた。銀杏並木は戦争の悲惨さなどどこ吹く風で、見事な枝を広げ、安田講堂に向かって青葉のトンネルを作っていた。並木道を進みながら、浅井は二十年前に胸を希望に膨らませ、同じように青葉のトンネルを、学生服を来た友人たちとそぞろ歩いたのを思い出した。

 だが、浅井の目に入ってくるのは、よれよれの汚れた国民服を着た、栄養不足で青白い顔の元気のない学生たちばかりだった。人生の目的を失い、ただ生きているだけという無気力な姿に、これが母校の後輩かと浅井は腹立たしくなった。

 浅井は体の底から噴き上げてきた悲憤に身をゆだねた。

「諸君! 集まりたまえ」

 居合わせた十数人の東大生を前に、浅井は大声を張り上げた。何事かと顔を向けた学生たちに、浅井は腹の奥底からほとばしり出る熱情をぶつけた。

「もう戦いは終わった。日本は破れたのである」

「非国民」

「バカヤロウ」

 学生たちが目を剥き猛然と野次を浴びせてきたが、浅井は構わず演説を続けた。

「だが、破れた日本にいる君たち若い諸君は、今からでもなすべき仕事がある。国の復興のために、若い力が必要とされているのである」

 野次は止まらず、学生たちは白い目で浅井を睨み付け、背を向けて歩き去った。学生たちは戦争の勝利を確信し、敗戦を口にするのさえ汚らわしいと思っているようで、浅井に投げかけられた非国民という言葉が、彼らの心理を明快に表していた。

 考えてみればずいぶん無茶な演説をしたもので、憲兵がいたら即刻逮捕されたに違いなかったが、浅井はそれでもいいと思った。

 この国を滅亡から救うには、青年の熱情が不可欠である。濃厚な敗色に意気消沈している学生たちの熱意を呼び起こし、国土再建に立ち上がらせなければならない。そのために捕らわれの身になろうと、いつかきっと日は照り輝く。

 

永遠なる魂 第二章 ベルリン 3

              3

 

 どれだけ気を失っていただろうか。気がつくと見知らぬベッドに横たわっていた。起き上がろうとして右の太股に激痛が走り、助けを求めるように周りに目を走らせた浅井に、白衣の看護婦が駆け寄ってきた。

「動いてはいけません。すぐ先生が来ます」

 浅井はうなずいたが、何がどうなっているのかさっぱりわからず、怪我をして病院へ運ばれたらしいことだけは理解できた。

 ほどなく長身の医師が大股で部屋に入ってきて、ベッドの脇に立ち浅井を見下ろした。

「ここは陸軍病院です。大腿骨を折っているので手術しなければなりません」

「一緒だった少女は?」

「奇跡的に怪我がなかったそうです」

「どうしてここへ?」

「軍の退役した将軍から連絡が入り、衛生兵が運び込みました」

「将軍?」

「詳しいことはわかりませんが、あなたが四階から飛び下り気絶したところを見ていて、軍に連絡したようです」

 根掘り葉掘り聞いても、医師は言葉通り詳しいことを知らないらしかった。

 医師の説明では、飛び下りた時の衝撃で右の大腿骨が折れたので、ステンレス鋼のかすがいを入れて固定するということだった。どうやら大手術のようで、一つ間違えば歩けなくなるかもしれないという不安があったが、浅井には成す術もなく、医師にすべてを任すしかなかった。

 衛生司令部に連絡してくれた将軍にはどれだけ感謝しても足りないが、医師に問いただしてもそれがだれなのか知らないようで、お礼の言いようがない。礼を失するのは浅井の本意ではないが、動けぬ身としては胸のうちで感謝するしかなかった。

 手術は予想通り大手術だったようで、折れた骨が完全に接着するまで二カ月はかかり、治るまで入院するよう医師に言い渡された。石炭の研究が頓挫してしまうが、立って歩けない身ではベッドに寝ているしか方法はなく、このまま退院しても、空襲されれば逃げる手だてはなく、医師の指示に従うしかなかった。

 病院も決して安全ではなく、英米軍の爆撃機が襲いかかってきた。病院と知ってか知らずでか空襲は執拗で、避難しようにも歩けないとあっては、ベッドに寝たまま爆撃が終わるのをひたすら待つしかない。爆撃の衝撃で病棟が揺れる度に、ここで死ぬのかと観念する。

 医師や看護婦の話では、再三の爆撃で入院患者の多数が死傷しているようで、いずれ無事では済まないと浅井は臍を固めた。空襲警報が鳴る度に、もはやこれまでかと何度も覚悟したが、幸いなことに、度重なる空襲でも浅井が入院している病棟は無傷だった。

 だが、毎日のように空襲が続いてはあまりに危険で、日ならずしてベルリンから遠く離れた病院へ疎開することになった。

 歩けない浅井は担架でトラックに運び込まれ、三時間近く揺られて森の中にある病院へ到着した。運搬される間、横たわったままの浅井はどこへ向かっているのか確認しようがなく、病院へ到着してもこれといって説明はなかった。

 担架でトラックから下ろされた時、浅井は首をねじって周りの様子をうかがった。あたりは鬱蒼と茂る木々ばかりで、ここなら爆撃機の標的にされることはあるまいと胸を撫で下ろした。

 命が惜しくて臆病になっているわけではないが、身動きできず、すべてを医師や看護婦に任せている身としては、空襲があれば避難するにも他人の手を煩わせなくてはならず、それがなくなるだけでも精神的な負担は軽くなる。

 ベルリンの陸軍病院と違い、今度の病院は英米機の爆音に脅かされることもなく、浅井の怪我は順調に回復していった。あと一週間もすれば軽いリハビリに入れると医師から伝えられ、その日が来るのを楽しみに浅井はベッドの上で過ごした。

 ある朝のこと、長身の担当医が顔を紅潮させ、浅井のベッドに走り寄ってきた。今日からリハビリが始まるのかと期待したが、医師がそんなことで興奮するはずもなく、何事が起こったのかと、鼻の高い意志的な顔を浅井はベッドから見上げた。

ヒトラー総統からこれが贈られてきました。剣付鷲十字章の勲章です。フォルクスワーゲン一台もプレゼントされました」

 医師は手にした箱の蓋をうやうやしく開き、大きな勲章を取り出し、浅井に手渡した。

「勲章?」

「ドイツ軍人に与えられる最高の勲章です」

「どうしてそれが私に」

「あなたが四階から飛び下りて気絶したのを、軍の将軍が目撃していたと以前にお話ししましたね」

「お礼を言いたいと、ずっと思っていました」

「将軍は、あなたがたった一人で少女を救出し、アパートに落ちる焼夷弾を消す姿を、一部始終見ていたのです。将軍があなたの勇敢さに感激して司令部に報告し、総統が勲章を贈るよう指示されたようです」

 剣付鷲十字章はドイツ軍人のみに与えられる勲章で、日本の金鵄勲章に相当する最高の栄誉である。それが日本の一民間人に授与されるというのは異例中の異例だった。

「私はあなたのような患者を持って幸せです。完全に回復されるまで、どうか十分に休養をお取りください」

 医師は赤らんだ頬を輝かせ握手を求めたが、軍人に与えられる最高の勲章と聞いても、浅井はさほど感激しなかった。勇気があったから少女の救出や消火活動に当たったのではなく、地下室で取りすがった婦女子の懇願に心を動かされたためで、正直に言えば渋々というのが本音だった。

 少女は助けられたが、アパートは三階から燃え上がったところから察すると焼夷弾から守ることはできなかったに違いなく、大怪我で入院では内心忸怩たるものがあった。住民たちの安否も気掛かりだった。

「アパートの地下室にいた人たちは?」

「焼け落ちる前に全員が逃げ出して無事でした」

 それを聞いて浅井は安心した。娘を助けてと涙をあふれさせて取りすがった若い母親、青ざめて恐怖に震える老婦人、爆撃の音に怯えて母親にしがみつく子供たち、彼女らが無事であれば怪我したかいもある。

 浅井に体力があったせいか、怪我の回復は早く、一カ月半後にベルリンへ戻って仕事に復帰した。仕事といっても、連日のように繰り返される爆撃で落ち着いて研究するどころではなく、全員が命を守るのに精いっぱいだった。ドイツの敗北は近いと思いはじめた頃、ソ連軍がベルリンへ向かって進撃してきた。

 その報を聞いた浅井は、贈られたフォルクスワーゲンで妻子のいる南ドイツへ向け逃げ出した。だが、ソ連軍は怒濤の勢いでベルリンに襲いかかってきた。硝煙と埃にまみれた戦車の進撃は急で、動くものがあれば容赦なく銃撃してくる。妻子の疎開先に行き着くには車が不可欠だが、戦車に狙われては危険この上なく、浅井はやむなく車を捨て、ベルリン西端のフリーデナウ区の知人の家の地下室に身を隠した。車を乗り捨てた時、硝煙がきな臭く漂い、目に滲みるほどだった。

 地下室には男の老人三人と婦女子が十人ほどいたが、全員が蒼白になって震えていた。地下室に身を潜めていても、ソ連軍の銃撃の音が腹に響いてくる。地下室の上部にある窓から外をうかがうと、道路をゆっくり進んでくるソ連軍の戦車が、建物一軒一軒の窓に戦車砲を打ち込み、殲滅戦に出ている。いずれ浅井が隠れている建物にも砲弾が打ち込まれそうである。

 浅井は目に飛び込んできた光景に、はっと息を呑んだ。ヒトラーユーゲントの少年兵が、進撃してくる戦車に一団となって飛び掛かっていく。手には銃があるだけで、とても戦車に通用しそうにないが、それでも構わず突っ込む。

 そのヒトラーユーゲントを狙って機銃が掃射され、少年兵たちがばたばた倒れる。銃などあっても戦車相手では裸も同然で、少年兵たちがいたずらに命を捨てていく地獄絵に、もうやめればいいのにと浅井は胸を痛めた。

 ベルリンには十三歳から十七歳の少年兵が十万人いると聞いていたが、玉砕した日本の白虎隊を何百倍にも拡大した凄惨な戦いである。

 戦車はヒトラーユーゲントたちの死体を踏みにじり、新たな獲物を求めて突き進んでいく。鼓膜が破れるのではないかと思われるほどの、戦車砲と機銃の轟音が町を埋め尽くし、一九四五年五月一日、ベルリンは陥落した。

 浅井が地下室に逃げ込んでどれだけの時間がたったのだろうか、ふと気がつくと銃声が小止みになっていた。戦闘は終わったらしく、ドイツが敗北したのは明らかだった。

 ソ連軍がベルリンを占領しては、妻子がいる南ドイツへたどり着くのはもはや絶望的で、できるのは地下室にじっと身を潜めていることだけである。だが、いずれソ連兵がすべての建物を点検にやってくる。戦闘の後には略奪と暴行がつきまとっているのはいつの時代も同じで、命長らえるのも難しい状況に追い込まれるかもしれなかった。

 地下室のドアが乱暴に開き、泥にまみれたソ連軍の兵士が五人、足音高く踏み込んできた。目は真っ赤に充血し、赤ら顔は仁王か鬼のようで、とても同じ人間とは思えない。兵士の乱入に避難していた全員が息を呑み、声を出さずに震えはじめた。

 一人の兵士が浅井に近づき、腕を捕まえて腕時計を指さした。時計を寄越せと言っているのだろうが、ロシア語では何を言っているか理解できず、浅井はドイツ語で、私は日本人でしかも外交官である、と叫んだが、それも通じるはずはなかった。

「ヤパンスカ!」

 兵士の一人が浅井の顔を見て大声で叫んだ。顔から日本人と判断したらしかったが、それがどういうことになるのか見当もつかず、浅井は黙って兵士たちの行動を眺めているしかない。

 兵士が何事か命令し、銃で浅井を小突いた。外へ出ろと言っているらしく、浅井は小突かれるまま地下室から外へ出た。

 ベルリンの町はまだ市街戦の真っ最中だった。戦車砲が発射され、砲弾が建物のあちこちに命中し、凄まじい轟音を上げ、道路のそこら中に血だらけの人間が倒れている。とてもこの世のものとは思えない惨劇で、この場で転がっている死体の仲間入りをさせられるのかもしれないと浅井は恐れた。

 だが予想は外れ、銃弾が飛び交う中を浅井は腕を引っ張られ、それほど破壊されていない建物に連れていかれた。入った部屋にいた将校が、何やらロシア語でわめきたてた。

「これからあなたの戦時裁判を行います」

 一人のソ連軍人がドイツ語に通訳したが、なぜ自分が裁判にかけられなければならないのか理解できず、ドイツ語で抗議したがロシア語に通訳してはくれなかった。

 ドイツ語を話す軍人は弁護士だと言い、裁判官と検事を指さしたが、全員が軍人とあっては公正な裁判など期待できるはずもない。容疑はと問うと、弁護士役の軍人がドイツ語で説明した。

「あなたがウクライナで暗躍したスパイだと証言する人が現れました。スパイ容疑での裁判です」

「馬鹿な! ウクライナなど行ったことはないし、ましてやスパイなど働いた覚えもない」

「ですが、証人がいます」

「その人間と対決させてください」

「いいでしょう」

 浅井の要求に一人の兵士が現れた。

 スパイは全員が銃殺、と滞在中に聞かされていたから、浅井は必死に違うと弁解したが、証人と称する兵士に言葉は通じず、相手の主張もロシア語では理解できないとあっては、ひたすら証人を睨み付けるしかない。

 証人が退出し、裁判官役の軍人が威儀を正し、浅井に何事か伝えた。弁護士役の軍人に何を言ったのかと尋ねたが、曖昧に首をひねっただけで、答えは何も戻ってこなかった。

 裁判が終わり、浅井は部屋から連れ出されてトラックに乗せられた。すでに十数人のドイツ人がトラックに積み込まれており、浅井が乗ると同時に動きだした。

 どこへ行くとも伝えられず、何時間も揺られ、日が落ちるとトラックは一軒の農家の前で停まった。銃を突きつけられ、乗っていた全員が地下室に押し込められ、食事はわずかなトウモロコシだけで、空腹を満たすこともできない。電灯はなく、粗末な食事を済ます頃には地下室はもう真っ暗で、疲れ果てた捕虜たちは倒れるように身を横たえた。

 ソ連に対し敵対行為などしたことはなく、ましてやスパイを働いたなど論外だが、言葉が通じないのでは弁解しようもなく、兵士の指示に従うしかない悔しさが胸のうちで渦巻いた。真っ暗な天井を目をかっと見開いて見つめ、これからどうなるのかと自問したが、答えが見つかるはずもなく、眠られないまま朝を迎えた。

 朝食は固いパンの一かけらと水だけで、空腹を満たすにはとても足りないが、兵士は食べられるだけでも有り難く思えという態度で、食べ終わると早々にトラックに積み込まれた。

 同行のドイツ人は全員が諦めの表情で、話しかけても返事はなく、黙ってトラックに揺られうなだれているばかりである。みんな死を覚悟しているのか、薄く開いた目に希望のひとしずくも見えなかった。

 夜はどこかの地下室に閉じ込められ、朝になれば再びトラックに詰め込まれる屈辱的な状態が三日三晩続き、トラックは高い塀で囲われた監獄らしい施設に到着した。

 銃を突きつけられてトラックから下りた時、隣にいたドイツ人が小さな声で何事か呟いた。

「えっ?」

 浅井は聞き返した。

ドレスデンの監獄だ。死刑囚を入れる有名な監獄だ」

 ドイツ人はかすれた声で、顔を引きつらせて答えた。

 浅井は一緒に連行されたドイツ人と離され、トイレがあるだけの狭い独房に放り込まれた。部屋は異臭が立ち込めてじめじめとしけり、薄暗い小さな電灯が一つ付いているだけである。

 死刑囚を収容する監獄なら、俺も死刑判決を受けたのかと考えると、体の奥底から震えがくる。

 身に覚えのない容疑で銃殺されるなど真っ平だが、日本語はもちろんドイツ語も通じないとあっては、死刑執行を待つしかなく、死ぬのは嫌だと叫んでみても、だれも聞く耳を持ってくれない。

 エリカと、生まれたばかりの照子を入れた四人の子供たちの顔が目に浮かび、生きてもう一度会いたいと願うが、死刑を待つ身にそんな望みがかなえられるはずもない。だが、死にたくないと身中から噴き出す叫びに身を焼かれる。

 夜になっても眠られず、このままでは発狂するばかりだと、浅井は足を結跏趺坐に組み、子供のころ習った腹式呼吸を繰り返す。座禅が珍しいのか、兵士が何人も入れかわり立ちかわり浅井の部屋をのぞきに来るが、浅井はそれを無視して瞑想に専念した。

 瞑想していれば精神錯乱に陥りそうにはないが、粗末な食事が差し入れられ、食べるために座禅を解くと、骨の髄から恐怖が噴き出してきて震えが止まらず、鼓動が高まって息苦しくなる。食べ終わるとすぐ座禅に戻るのだが、気持ちが落ち着くと周りの音がよく聞こえ、歩調を合わせた兵士の足音が気になる。

 足音が廊下に響く度に、だれか死刑にされるのだと妄想し、次は俺の番かと怯える。コツコツという軍靴の音は、コンクリート作りの監獄によく響き、鼓膜を突き抜け、恐怖を脳に直接運んでくる。独房に収容されて何日たったのか時間の感覚などとうに失い、発狂しないようひたすら座禅を組むが、それで得られる精神安定も限界に近づいてきた。

 もう耐えられない。このままでは精神錯乱に陥る。そう絶望したとき、歩調をそろえた軍靴の響きが浅井の独房に近づいてきて、ピタリと止まった。

 

 

永遠なる魂  第二章 ベルリン 2

              2

 

 戦況は日に日にドイツに不利になり、国内で不満が渦巻き始めていた。ヒトラー政権では敗戦必至で、祖国が壊滅しかねないと危機感を抱いたドイツ陸軍の一部将校は、一九四四年七月二十日、司令部に時限爆弾を仕掛け、作戦会議中のヒトラー総統暗殺を図った。有名なシュタウフェンベルク大佐事件で、ヒトラー暗殺と同時にゲッペルスを逮捕、ラジオ局占拠というクーデター計画だったが、未遂に終わった。

 首謀者のシュタウフェンベルク大佐は言うに及ばず、加担した将校は全員が銃殺された。さらに激怒したヒトラーは、クーデター派に少しでも関係する人間は全員逮捕しろと、ゲシュタボに厳命したのである。

 この関係者の中に、浅井が親しく付き合っていた友人がいた。浅井がベルリンに赴任して最初に仲良くなった友人で、第一次世界大戦の時、タンネンベルグの戦いでロシアの大軍を殲滅した、プロイセン貴族出身のハンマーシュタイン将軍の息子である。

 ドイツに赴任した当時、浅井は独り住まいの寂しさもあって、ベルリン郊外のダーレムにある、将軍の質素な家に何度も遊びに行き、五人の子供たちから歓迎された。ホームシックだった浅井は彼らに慰められ、ドイツでの仕事を続けられたといってもいいほどだった。

 ヒトラーの権力が巨大化すると同時に、国民的英雄のハンマーシュタイン将軍に圧力がかかりはじめた。将軍はプロイセン出身の正規軍に影響力が強く、反乱を恐れたヒトラーが動きを封じ込めようとしたのである。

 ヒトラーに睨まれれば失脚は逃れられず、将軍のもとを訪れる人は極端に少なくなっていった。浅井が将軍の夫人から電話を受けたのはそんな時だった。将軍が危篤に陥り、病床で浅井に会いたいとしきりに言っているというのである。ヒトラーソ連を侵略する二カ月ばかり前のことだった。

 浅井は取るものも取らず駆けつけた。

「日本とドイツは、絶対にソ連と戦争してはいけない。それをよく記憶しておいてくれ」

 将軍は苦しい息の下から、浅井に言い残したのだった。タンネンベルグの戦いで、帝政ロシアの大軍を湿原に追い込んで殲滅した将軍は、最後には懐の深いロシアに敗北したことを悟っていたからに違いなかった。

 そのハンマーシュタイン将軍の息子が、暗殺事件に関係していたのである。

 逮捕を厳命されたゲシュタボが必死に捜索したが、友人の行方はつかめなかった。ヒトラーの命令が指示通りに実行されなければ、命令された本人が厳罰を受ける。弱り切ったゲシュタボは、苦し紛れに、家に残っていた将軍の夫人、二十三歳と十五歳になる娘を人質に取り、凶悪殺人犯を収容するベルリンのモアビットの牢獄に監禁し、息子に出てくるよう新聞で呼びかけたのだった。

 それを読んだとき、浅井はゲシュタボの卑劣さに、全身から熱い汗が噴き出した。人間性を無視した野蛮極まる行為は絶対に許せない。何としてでも不当行為を止めさせなければならないと、浅井は日本大使館に駆け込み大使に面会を求めた。

「こんな野蛮行為をするドイツ政府に、日本として厳重に抗議してください。哀れな人質を少しでも早く解放させなければなりません。日独軍事同盟を締結した大使にはそれができるはずです」

「ドイツの内政問題だから、日本大使館がとやかく言う筋合いはありません」

 元陸軍武官で親独家の大島大使に強談判したが、大使は気弱に首を振るだけで、同調する気配すらなかった。

「しかし、関係のない人間を人質にし、身内に出頭するよう求めるのは、卑劣そのものです。そんな国と軍事同盟を結んでいるなんて、武士道精神が泣きます」

「あまりはやらない方がいい。日本でスパイのドイツ人ゾルゲが死刑された。そんな時期だからゲシュタボは神経過敏になっている。こんなことで騒ぐと、どんな処罰を受けるかわからない」

 大島大使はそう警告し、浅井の懸命な申し入れを取り上げようとはしなかった。

 日本大使館が軟弱だからといって、親しい人たちが苦境に陥っているのを放置しておくことはできない。自己の利益を考えれば、知らないふりをするのが賢明かもしれないが、体の底から突き上げてくる憤りが、浅井を傍観者にするのを許さなかった。

 浅井は大使の警告を無視し、翌日ウンターデンリンデン通りにあるゲシュタボ本部を訪問した。幸いにも門前払いされず、ゲシュタボの幹部三人と面会できた。軍事同盟を締結した同盟国の訪問者を、無下には断れなかったのに違いない。

 通されたのは殺風景な会議室で、いかにも秘密警察らしく壁に装飾一つなかった。浅井は三人と会議用のテーブルで向かい合って座った。

「昔の日本は、罪は一家眷属に及び、犯人の妻や子供まで処刑されました。しかし、明治維新後は、主にドイツの法律を参考にして法治国家となり、そのような残酷なことはなくなりました」

 そこまで言って浅井は言葉を区切り、三人に順に目を移していった。三人の幹部は何も言わず、冷たい目で見返してきたが、浅井はここが正念場だと下腹に力を込めて続けた。

「あなたがたがハンマーシュタイン家に取った仕打ちは、日本人が考えていた法治国ドイツではなく、封建時代の無法国がやることです。これでは、日本の国民としてドイツを同盟国と考えるわけにはいきません。私は外交官ではありませんが、一人の日本人として、祖国にいる多くの友人に、政治や外交を離れて、この非人道的な行為を伝えざるを得ません」

 浅井は口を閉ざして返事を求めたが、三人は眉間に深い縦皺を刻み、唇をきつく結んで押し黙っていた。苦虫を噛みつぶした顔とはまさしく三人のそれで、ゲシュタボも非人道的とわかっているから、正面切って正論をぶつけられては答えようがなかったに違いない。

「総統暗殺未遂の罪があるのは子息一人だけで、母親や妹たちには何の咎もありません。将軍の家族を即座に釈放すべきです」

「それはできません。我々にはそんな権限はありません」

「すると、ヒムラー長官の指令ということですか」

「そういうわけではありませんが」

「しかし、幹部の皆さんに権限がないとなると、長官の指示としか考えられません。ゲシュタボの方針として非人道的なことを行ったということですね」

「長官が率先してこうした行動を指令したとなると、同盟国の人間として、ますます失望せざるを得ません。日本人がこれを聞けば、さぞかしドイツへの信頼を失うことでしょう」

「そう言われても、将軍の息子は実際に犯罪を犯したのだし」

「それが家族に何の関係があるのでしょう。計画に加担していたというならともかく、まったく知らないうちに事件が起こったのでは、責任の取りようがないではありませんか。皆さんの親兄弟がどこかで重大犯罪を犯した場合、あなたがたは責任を取れますか。身内が罪を犯したからといって、皆さんまで罰せられるとなったら、どんな気持ちになりますか」

「それはそうだが 」

「皆さんに権限がないというなら、ヒムラー長官に釈放を進言すべきではないでしょうか」

「釈放うんぬんはともかくとして、長官と相談してみます」

「返事はいただけるのですね」

 三人が黙ってうなずいたのを目でしっかり確認し、早急に返答がほしいとくどいほど念を押し、浅井はゲシュタボ本部を出た。怒りで興奮してはいたが、悪名高いゲシュタボの幹部を前にしても不思議に緊張はせず、言い残したことは一つもなかった。

 返事がいつ来るかと心待ちにしたが、一週間たっても音沙汰ない。物資は乏しくなっていたが、浅井は闇でパンとバターを買ってゲシュタボ本部へ押しかけ、釈放するまで食料を差し入れるよう申し入れた。一般市民は食料難に喘ぎ、まして牢獄では満足な食事さえ与えられないに違いないと懸念したからだが、先日会った幹部は困惑して拒絶した。

 だが浅井は持ち前の粘り強さでしつこく食い下がり、渋々ながらも相手に差し入れを承諾させた。

 差し入れは認められたものの、家族が釈放される気配はなく、浅井は毎日欠かさず食料を持ってゲシュタボ本部に押しかけた。それに根負けしたのか、二十三歳の娘が釈放され、これで夫人と末娘も自由の身になると喜んだのも束の間、ゲシュタボは重大な裏切り行為をした。

 息子を誘い出すために人質は手放せないとだれが判断したのか、長女が釈放されて浅井の気が緩んでいる間に、ゲシュタボは将軍の夫人と末娘を、ベルリンから遠く離れたワイマールのブーヘンワルド強制収容所に移してしまったのである。

 それを知った浅井は、再びゲシュタボ本部に押しかけたが、今度はだれも会おうとすらせず門前払いされた。ゲシュタボは浅井のしつこさに音を上げ、長女の釈放で顔を立てたつもりだろうが、鬼畜にも劣る振る舞いを平然とするようでは、ドイツの命運も極まったと嘆息するしかなかった。

 それを物語るように、英米軍の空襲は一段と激しくなっていった。一九四三年を境に戦況はドイツ不利になり、翌年の秋にはほとんど絶望的な状況に追い込まれていた。ドイツ国民はもちろん、浅井も死の恐怖に怯え、その日の糧を確保するだけの生活に追われるばかりだった。

 空襲に逃げまどうばかりで研究はいっかな進まず、苛立ちが頂点に達したとき、思い出したのはデュラー教授だった。学問への真摯で厳しい姿勢、豊かな人間性、学生への愛情、どれだけ教えられるところがあったことか。

 戦況がもっと悪化すれば、デュラー教授に二度と会うことはできなくなる。浅井はいても立ってもいられなくなり、日本大使館と交渉し、四十時間のスイス滞在許可を得た。

 ベルリンからスイスへ向かう列車は、何度も英米機の銃撃を受け、生きた心地もしなかったが、スイス国境のリンダウ市に無事到着したのは真夜中だった。

 リンダウ市は風光明媚なドイツの古都だが、灯下管制で町は暗黒に包まれ、敵機の来襲を恐れ息を潜めていた。しかし、国境を一つ隔てた目の前のスイスは、点々と連なった灯火がボーデン湖に映り、まるで別世界である。

 ドイツ側の町々は空襲に脅え、暗黒の世界にじっと身を隠しているのに、一歩スイスへ足を踏み入れれば輝く明かりの下で人々が笑いさざめきあっている。あまりにも対照的な光景に、戦争の愚かさをつくづくと感じざるを得なかった。

 税関を抜けスイスの列車に乗った時、浅井はほっと息を吐き出した。もはや空襲を受ける恐れはなく、地獄から天国へ生まれ変わったような安堵感に包まれた。

 浅井はチューリッヒで列車を乗り換え、デュラー博士の住むゲラフィンゲンという小さな町に着いたのは昼を過ぎていた。博士はこの町の郊外にあるスイス最大の製鉄工場、ロルシェンの専務で、チューリッヒ大学で冶金科の教授を兼務していた。

「よく無事に到着したね」

 自宅を訪ねた浅井を、デュラー博士は満面に笑みを浮かべ、手を力強く握って歓迎してくれた。博士は多忙にもかかわらず、浅井のために一晩の時間を割いてくれたのだった。

 夜になると博士は、二頭立ての馬車で、近所の由緒正しいレストランへ案内してくれた。土地特有の料理を御馳走になり、夜が更けるのも忘れ、ベルリン時代の思い出や博士のスイスでの生活、ドイツの戦況を語り合った。

 認められたスイス滞在期限はあっというまに過ぎ去った。博士に駅まで送られ、今生の別れになるかもしれない思いに、鼻の奥が熱くなった。

 デュラー博士はそんな浅井の肩を左手でたたき、真剣な光を青い目に浮かべて励ました。

「これで当分、会えないでしょう。しかし君は当然、祖国に帰るに違いない。君の母国は世界でまだ未開発のアジアにある。これから発展する地域で優れた技術を最初から打ち立てるように。では健在なれ」

 別れ際の博士の言葉に、浅井は体が震えた。どんな困難があろうと、正しいと信じた道を突き進む博士の姿は、浅井の胸に深く刻まれた。博士の生きざまは、何事にも全力でぶつかり、妥協してはならないと教えていた。

 ドイツに戻った浅井は再び空襲に怯える生活に戻ったが、戦況が枢軸国側に有利になる気配はまったくなかった。

 ドイツで生活していれば、スイス経由で太平洋戦争の真実の戦況が入ってくる。真珠湾攻撃に成功し破竹の勢いだった日本軍は、ミッドウエー海戦で敗北し、それからは各地で玉砕するばかりで、日本国存亡の危機が近づいていた。

 異国で独り暮らす浅井は悲壮な思いにとらわれたが、毎日のように激しい空襲に見舞われ、生き延びるだけで精いっぱいだった。

 一九四四年十一月二十二日、例年より早く冬が訪れ、ベルリンは朝から濃い霧に包まれていた。その霧に、市民はだれもが今夜は空襲がないと安心していたが、ベルリンは猛烈な空襲を受けたのだった。爆撃機が市街地上空に侵入しても、迎え撃つドイツ空軍機はなく、英米軍は何の抵抗も受けず焼夷弾をまき散らした。

 この夜の空襲がベルリンに与えた損害は、戦争中で最大で、四十五万人の市民が家屋を失い、三百人の邦人も焼け出された。

 浅井が住んでいるアパートの地域も激しく爆撃を受け、逃げるに逃げられない状態で、やむなく地下室に非難した。地下室へ飛び込んで驚いたのは、老人と婦人、子供が十五人ばかりいるだけで、壮年の男性は一人も見当たらないことだった。この地域の男性たちはすべて戦場に駆り出されたのに違いなかった。

 焼夷弾が爆発する大地の振動が遠くから近づいてきて、浅井が住んでいる四階建てのアパートも安全ではなくなってきた。アパートの屋上に焼夷弾が落ち、建物全体が大きく揺れる。このままではアパートが燃え上がり、地下室にいる全員が焼死するかもしれない。そんな不安にかられたとき、若い女性が悲鳴を上げた。

「娘がいない。屋上に残してきてしまった。だれか助けて」

 その女性は洗濯物を取り込みに屋上に上がったとき、空襲警報で慌てて逃げ出し、娘を置き去りにしてしまったらしかった。

 膝を抱えて震えていた老婦人が、浅井に向かって拝むように話しかけてきた。

「私たちは年寄りと女子供だけで、どうすることもできません。どうかこの人の娘さんを助けてください」

 蛮勇を振るっても、焼夷弾がひっきりなしに降ってくる外へ出る気にはならなかったが、ふと見回すと、その場にいる全員が拝むように浅井を見つめている。若い母親はおびただしい涙をあふれさせ、浅井に取りすがってきた。

 大変なことになったと浅井は腹の中でうなったが、少女を見殺しにすることはできない。それに屋上で炸裂する焼夷弾を放置すれば、アパートが焼け落ち、全員が焼死する恐れがある。拒絶すれば日本人の恥だと、浅井は勇気を奮い起こして立ち上がった。

 非常階段で屋上へ上がって周りを見渡した浅井の目に、町のあちこちで夜闇に赤い炎が立ちのぼっているのが映った。空はB二九の爆音に蹂躪され、爆撃機は我が物顔に振る舞っていた。焼夷弾が爆発し、夜空を紅蓮の炎が焦がす。

 焼夷弾が落ちてきたらどうやって消せばいいのか呆然とするばかりだったが、屋上に消火用の砂と水が用意されていた。空襲がひどくなるにつれ管理人が運び上げたのだろうが、こんなもので燃える焼夷弾を消し止められるのかと不安でたまらない。幸いにして命中した焼夷弾はすでに消えていたが、敵機は次々と爆弾を投下してくる。

 少女はどこだ!

 浅井が走らせた目に、屋上の隅で膝を抱え泣いている少女の姿が飛び込んできた。駆け寄って抱き上げたとき、焼夷弾がアパートの屋上に落ち、浅井は少女を胸にかばって本能的に体を伏せた。

 激しい爆発音とともに噴き上げた火は、周りをなめつくそうと広がっていく。着ている洋服が燃えそうで、浅井はあまりの熱に少女を抱いて火から逃げた。

 だが放っておけば焼夷弾の火がアパートに燃え移る。浅井は少女を火から遠ざけ、スコップをつかみ炎に向かって砂をすくい投げた。何度か繰り返すうち、さしもの焼夷弾も鎮火したが、ほっと息を抜く間もなく、次の焼夷弾が落ちてきた。

 四方八方から落ちてくる焼夷弾を懸命に消し止め、屋上に命中したものは何とか処理できたが、はっと気づくとアパートの三階が燃えている。

 階下から燃え上がってくるのでは手の施しようがない。このまま屋上にとどまれば焼け死ぬばかりである。

 どうやって脱出するかと逃げ道を探したが、あるのは非常階段だけで、その下からは赤い炎がめらめらと這い上がってくる。座していては焼死するばかりと、浅井は少女と非常階段を降りたが、下から上がってくる熱気に耐えられず、かといってほかに逃げ道もなく、万事休すかと思ったとき、二メートルばかり離れたところに四階のバルコニーがあるのが目に入った。

 そのバルコニー目掛け、浅井は勢いをつけて飛び移った。だが三階は火の海に包まれ、焼かれずに脱出することは不可能である。このままでは二人とも焼死する。

 ままよ!

 浅井は覚悟を決め、少女をきつく胸に抱きしめ、バルコニーから石畳の道路に飛び下りた。うまく足から着地できたと思った瞬間、衝撃の後に襲ってきた激痛に浅井は意識を失った。

 

永遠なる魂  第二章 ベルリン 1

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  浅井は明治四十一年三月、満州の大連で生まれた。父親は日露戦争で荒廃した満州を再建し、平和に治めるには、武器より教育が必要だと考え、中国人子弟の教育のため公学堂と呼ぶ学校を大連に創設した。公学堂を創るに当たって日本政府と激しいやり取りがあったようだが、父親は愚痴をこぼさず、中国人子弟の教育に黙々と取り組み、献身的に努力した。

 浅井はその姿を見て育ったせいか、あるいは父親に躾けられたせいなのか、他人が苦しみ悲しんでいる姿を見ると憤然としてくる。困っている人には手を差し伸べずにはおられず、たとえ損とわかっていても協力を惜しまない性格に育った。

 厳寒の地、満州から浅井が帰国したのは十歳の時で、牛込の市ヶ谷に落ち着いた。平屋で四部屋ある家は、両親と姉、弟と妹の五人暮らしには十分な広さだったが、父親の関係で常に来客があり、浅井たち兄弟は奥の部屋へ追いやられていた。

 集まって来るのは主義主張に厳しい人たちばかりで、浅井はそんな生活の中で自然と自立心を養い、物事を恐れない性質に育っていった。

 高等学校は旧制水戸高に進み多感な少年時代を送ったが、水戸学が伝えられる反骨精神の旺盛な土地柄で、浅井は多くの友人を得た。寮生活だったから、助けたり助けられたりで、友人とはいやがうえにも絆が深まっていった。

 浅井が東京帝国大学法学部在学中に満州事変が勃発した。東北地方は冷害による大凶作で娘を身売りしなければ生きていけない悲惨な状況に陥っていた。さらに昭和四年十月二十四日、暗黒の木曜日のニューヨーク株式市場の大暴落から始まった米国の金融恐慌は、世界的な大不況の嵐を巻き起こし、失業者は巷に溢れ、日本は不景気のどん底で喘いでいた。

 当時の国民がどれだけ困窮していたかは、浅井が友人たちと箱根の歴史調査で小田原から強羅、芦ノ湖と足を伸ばした時、身を詰まされて思い知らされた。

「あの人たちはなんだろう」

 浅井は友人たちと小声でささやきあった。調査旅行の間中、大勢の人々と出会ったが、みんな青ざめて着ているものは見すぼらしく、足を引きずってとぼとぼと歩いていたのである。

「君たち、食べるものを持っていないか。あったらなんでもいいから分けてくれないか」

 ぼろをまとった何人もの年配者が、浅井たちを学生と認めて懇願してきた。

 何がどうなっているかその時はわからず、小田原へ戻った足で警察署を訪ねた。

「あの人たちは、どこへ行こうとしているんですか」

「君らは特権階級だね」

 警官は浅井たちの頭の先から足の先までじろじろと眺め、厭味に言った。

「どういうことですか」

 浅井はむっとして聞き返した。

「東京にいては餓死するしかないと、縁故を頼って静岡県や愛知県、遠くは岐阜県を目指している人たちだ。君らのように物見遊山する余裕などかけらもない」

 警官の説明に、浅井は言葉に詰まった。浅井たちが目撃したのは、農村にいれば餓死することはないと、生死ぎりぎりの境で必死に生にしがみついている人々の姿だった。

 不景気とインフレ、失業者の群れ、農村大不況のさなかに、陸軍の暴走で満州国が建国された。生活の困窮を打開するため、政治改革を求める声が日ごとに強くなり、井上日召率いる血盟団が、前蔵相の井上準之助と三井合名理事長の団琢磨を相次ぎ暗殺し、さらには右翼と組んだ一部軍人が犬養毅首相を殺害するなど、世情は騒然としていった。

 浅井が東京帝大を卒業した昭和七年はそんな時代だった。帝大を卒業したからといって勤め先など容易に見つかるはずもなく、困った浅井は、高等文官試験で外交官試験に合格すれば就職間違いなしと聞き、試験勉強に専念することにしたが、参考書の多さにため息をついた。座って参考書を積み上げると頭の高さまであり、それを一ページずつ片っ端から頭の中に詰め込むのだから、苦痛以外の何物でもない。

 そんな試験勉強が功を奏して浅井は外交官試験に合格したが、外務省係官の信じられないミスで不合格となってしまった。当時は官報が最終決定という権威を持っていたが、係官が浅井の名前を官報の合格者名簿に載せるのを漏らす前代未聞のミスを犯し、合格はうやむやにされてしまったのである。

 脇目も振らず試験勉強に専念したのに、ミスで不合格にされては泣くに泣けないが、できてしまったことは仕方ないと浅井は自分を納得させた。

 外務省には入れなかったが、父親の縁故で財閥商社の大倉組に入社し、二十六歳になった昭和九年の春、商事部からドイツ駐在員としてベルリンへ派遣された。ドイツ語が堪能とはいえない浅井に、なぜベルリン駐在の白羽の矢が立ったかわからないが、前途を夢見る青年にとって、ドイツという見知らぬ国は光り輝いていた。

 だが、交通機関が発達していない当時の欧州行きは船旅しかなく、二度と親兄弟と生きて会えないかもしれないと不安が胸を締めつけた。

 浅井は三月二十五日、横浜港から靖国丸でドイツへ向けて出発した。見送りにきた両親や兄弟、友人たちと手を振り合い、テープを握って別れを告げたが、船が岸壁を離れテープが切れたとたん心細くなった。

 家族や親しい人たちとの別離が、これほど寂しいものかと驚いたが、若さもあってマルセーユまで四十五日もかかる船旅にすぐ慣れ、退屈するばかりだった。

 浅井がベルリンに赴任した当時のドイツは、前年にヒトラー政権が生まれ、国全体がゲルマン民族の未来に輝かしい夢を抱き、青年たちは理想に燃えていた。

 浅井が落ち着いたのは、ベルリンのティアガルテンの鬱蒼とした森の北端にある、ブランデンブルグ凱旋門の近くにあるアパートだった。日本大使館が近くにあり、浅井はベルリンの中心部にある大倉組の駐在員事務所まで、毎日その前を通って出勤した。

 大倉組の事務所は古いレンガ作りのビルで、所長と五人の同僚という小所帯だった。浅井の仕事は情報収集が主で、それにはドイツ語に堪能でなければならない。多少のドイツ語は勉強していたが、赴任したばかりでは理解できるはずがなく、英語には不自由しなかったから、ドイツ語と英語のわかる通訳兼秘書を募った。それに応募してきたのが、五歳年下のエリカで、浅井のドイツ語の勉強に力を貸してくれた。

 エリカは色白で面長のほっそりした体格、艶やかな焦げ茶色の髪を肩で切りそろえ、笑顔が素敵なドイツ人女性だった。二人は会って間もなく恋に落ち、浅井が二十八歳の春に結婚した。

 エリカの母親を引き取っての生活だったが、若い二人には甘過ぎるほどの新婚生活で、結婚した翌年に長男が生まれた。

 ベルリンの日本大使館には大学時代の友人が何人も赴任していて、情報収集という仕事がら、浅井も外交官気取りで付き合っていたが、日がたつにつれ、胸に虚しさが巣くっていった。情報収集は是が非でもやりたい仕事というわけでなく、日々の生活に流されているうち、これでいいのか、俺の生きる使命は何なのだと、胸のうちで囁くものがある。

 情報という実態のないものを、翻訳して右から左に本国へ流すだけの仕事は、虚業ではないかと思いだしたのである。

「最近、顔色が良くないわ。どこか悪いのじゃない?」

 エリカが浅井の様子を心配したが、妻に説明のしようがなく、仕事が忙しいからだと誤魔化した。

 自分は何をなすべきなのか。このまま漫然と日を過ごしていいのか。答えの出ない命題を考え続けているうち、気力は湧かず、目眩と下痢が襲ってきた。

「こんな仕事をやっていて、何になるんだ」

 わずかなことで怒りが爆発し、すぐ怒鳴りたくなる。そんな浅井を同僚は腫れ物に触るように扱うが、それがまた面白くなくて癇癪を爆発させる。浅井は自身でも嫌な人間だと思ったが、苛立ちはどうしようもなかった。日を追って浅井の症状は深刻になっていった。

 そんな時、仕事で知り合った鉱山会社の青年技師、オットー・ウェバーが浅井を訪ねてきた。

「ちょっと付き合ってほしい」

 ウェバーは浅井の腕をつかんで外へ連れ出した。どこへ行くのか、何をするのか尋ねても、黙ったまま浅井の腕を引っ張っていく。ウェバーが何をしようと考えているのか不安だったが、すべて投げやりになっていた浅井は、友人に体をゆだねた。

 駅へ連れていかれて汽車に乗せられたが、ウェバーは一言も口を開かず、ハノーバーを経由し、ドイツ有数のルール工業地帯の中心地にある炭鉱都市、エッセンへ着いたときには六時間が過ぎ去っていた。

 迎えにきていた車に乗せられて三十分ばかり走り、掘り出された黒い石炭が山と積み上げられた炭鉱に到着した。車を降りると粉臭い空気に包まれ、なぜこんなところへ連れて来たのかとウェバーの顔をうかがったが、言葉に代えて革製のヘルメットを差し出された。乗せられたトロッコはゆっくりと地下へ向かって走り出し、連れていかれたのは、地下六百メートルの採炭現場だった。

 安全灯に照らしだされた採炭現場はもうもうと炭塵が立ち込め、灰色のもやがかかったようである。その中で真っ黒に汚れた炭鉱夫の顔は汗にまみれ、必死の形相でハンマーを握りしめ、炭層に打ちつけている。ハンマーが炭層に当たるたびに、地の底から不気味な音と振動が響き、あたりに形容しがたい異様な臭いが充満し、見学している浅井の体にしみ込んでくる。

 何も言葉に出せず、自然と人間が一体になってうごめく様を見ていて、浅井は体の奥底から震えがきた。名状しがたい熱が、腹から噴き上がり、全身をなめつくしていった。

 二時間ほども呆然と採炭作業を眺めていただろうか。気がつくとウェバーが肩をたたき、指を上に向けていた。促されるまま坑外へ出て、きれいとは言えない汲み置きの水で体を洗い、殺風景な作業小屋でビールを振る舞われた。

 一息に飲むビールはうまく、渇きが癒されると地獄の地の底から這いだしてきたという実感が湧いてきた。炭鉱夫が脇目も振らず炭層に挑む様は、必死で仕事に打ち込む人間の力強い美しさに満ち溢れていた。それに引き換え目的を失ってくよくよ悩んでいた自分は、何と卑小で醜い存在か 。

「君は今まで情報収集という訳のわからない仕事をしていて、自分がなすべき対象がはっきりしていないから、ノイローゼなんかになったんだ」

 ビールを飲み干したウェバーは、容赦なく吐き捨てた。言葉は辛辣だったが、軽蔑のニュアンスはかけらもなく、友人を深く案じての言葉に違いなかった。

 言われてみれば、浅井がやっている仕事は、情報という実態のないものを集めるだけで、雄大な自然を相手にしたものではない。だが、今見てきた坑内は、人間が全身を石炭にぶつけ、わずかな気の緩みさえ許されない厳しい環境下にあった。炭塵で黒く汚れた彼らは、人一倍の情熱を燃やして炭層に挑んでいた。

 自分が求めていたのはこれではないか。工業になくてはならない石炭に、いや大いなる自然に、正面から全身全霊を込めてぶつかることだったのではないか。

 気づいた浅井の頬に涙が溢れた。

「会社を辞めて、研究したいことがあるんだ」

 エッセンからベルリンに戻った浅井は、エリカに切り出した。浅井は妻と息子一人、娘二人、さらに同居している妻の母親を養っていたが、仕事を辞めればすぐに食べていくのに困る。さぞかしエリカが反対するだろうと覚悟していたが、予想外の答えが返ってきた。

「あなたを信頼しています。思う通りにしてください」

 浅井の決心を聞いたエリカは、一言も反対せず励ましてくれた。日本では内助の功と言うが、エリカの心意気にはいくら感謝してもし足りないと頭が下がった。

 浅井は大倉組に退職届けを提出し、友人の外交官たちとも付き合いをやめ、ドイツの日本人社会で孤立した生活を始めた。日本人との交遊が続けば、いつかまた目的を失った生活に戻ってしまうと恐れたのである。

 だが、家族を路頭に迷わせるわけにはいかず、通訳と翻訳で収入を得ながら、石炭の勉強を始めた。

 研究といっても独学でできるはずはなく、大学へ入らなければと思い立ち、ベルリン工科大学を目指したが、果して入学できるかどうか心もとなかった。

 ドイツでは大学へ入る資格が厳しく、日本の高等学校に近いジムナジウムを卒業し、アビトリウムという国家試験に合格しなければならない。浅井は高等学校では文科、大学は法科だったから、とても工科大学へ入れる資格はないと思い込んでいたが、人が道を求める時はかならず救いがあるもので、日独政府間で学術に関する文化協定が締結されていて、国立の高等学校を卒業していれば入学が許可されることになっていた。しかも、文科系と理科系に分けられてはおらず、文科出身の浅井でも工科大学への入学が可能だった。

 高等学校から文科系だったから、石炭学を勉強する学力があるかどうか不安だったが、浅井は勇気を奮ってベルリンのシャロッテンブルグにある工科大学へ願書を提出した。希望と諦めは半分ずつだったが、入学を許可された。

 志のあるところに道あり。

 ドイツでよく言われる言葉だが、まさしく浅井の心境だった。

 浅井が専攻したのは石炭とかかわりが深い鉱山冶金学で、言葉の壁と理系の知識が乏しいため、授業をこなすのは並大抵でない。

 幸いにも担当教授のロバート・デュラー教授が、講義中の浅井の顔を見て話しかけてくれた。

「君はまったく理解できないという顔をしているね。私の家に来るなら補習をしてあげよう」

 浅井はデュラー教授の温情に甘え、講義があった日は欠かさず自宅を訪ねた。

 デュラー教授は信念の人で、さまざまな妨害を受けたのにもかかわらず、真実追求から外れようとしなかった。当時のドイツはヒトラー全盛期で、授業を始めるまえに「ハイル ヒットラー!」と挨拶することが義務づけられていた。だが教授は、ヒトラーに迎合する挨拶を絶対にしようとはしなかった。

 教授の素晴らしさは、方程式や数字データがたくさん出てくる講義を、一切原稿なしで行うほど博識なことだった。知恵の泉から湧きだす知識を、聴講している学生に一語一語浴びせるように語る姿は、学究の権化そのものだった。

「新しい技術を創造するの大変苦しいことだ。自分の内面に向かって、ぎりぎり追い詰めていく。自分に対してゲヴァルト(暴力)を加えることだ。このことは楽しいに違いないが、楽なことではない」

 デュラー教授は聴講する学生たちに語りかけた。

 しかし、豊かなヒューマニズムを胸に抱くデュラー教授の思想が、独裁者ヒトラーに受け入れられるはずはなく、教授は身の危険を感じて一家全員でスイスへ亡命してしまった。

 教授がいなくなり、浅井は胸に大きな穴があいたように思ったが、仲間の友情に支えられ、三年間で十五の単位を取り、一年間の実習を済ませることができた。

 一九四一年七月、ヒトラーソ連領内へ攻め込み、ドイツ人は次々と召集されていった。教授や助教授、助手、学生とみんな大学から姿を消し、学業どころではなくなっていった。だが浅井は卒業を諦めず、卒業論文の執筆に全力を投入した。

 戦況の進展とともにドイツの敗色は濃厚となり、英米爆撃機のベルリン空襲は日を追って激しさを増していった。

「ベルリンにいては危険だ。空襲を受けないところへ疎開してほしい」

「あなた一人を危険な場所に残すわけにはいかないわ。全員一緒に死ぬなら本望よ」

 浅井は妻子を避難させようとしたが、エリカは首を横に振るばかりだった。

「照子が生まれたばかりで、君の体は万全じゃない。大学にいても家族のことが心配で研究が手につかない。疎開してくれれば、安心して研究に打ち込める」

 意を尽くした浅井の懇願に、エリカはやっとうなずいた。

 浅井はドイツ人の知人を頼って家族全員をワイマール市に近い寒村に疎開させた。エリカや幼い子供たちと別れた浅井は、胸にぽっかり空洞ができたようで、論文執筆の意欲が萎えそうだったが、書き上げて卒業すれば、再び一緒に暮らすことができるとおのれを鼓舞し、最後の仕上げに専念した。

 そのかいあって、浅井は一九四三年の春、シャロッテンブルグ工科大学を卒業、エッセン公立石炭研究所に入所し、石炭学の研究を続けられることになった。

永遠なる魂 第一章 命の水 4

              4

 

 気がつくと浅井はベッドに寝かされ、エリカが目に涙をいっぱいに溜め見つめていた。

「良かった。気がついたのね」

「ああ」

 気力はまったく失せていて、浅井は小声で答えることしかできない。

「柿本さんから聞いたわ。でも、気を落とさないで」

 エリカの目から涙が溢れ、頬から顎を伝って胸に落ちた。浅井の病がぶり返すのではないかと心配しているのに違いなく、大丈夫だと答えてやりたいが、意に反して喉から声を絞り出すことすらできず、目でうなずいただけだった。

 現物出資した調布市の研究所は売却されてしまい、せっせと製造して東京健康社へ運び込んだ有機ゲルマニウムの原料費は、前畑から支払いがないとなると浅井が被らざるを得ず、浅井は身ぐるみ剥がれたも同然だった。

 易者の予言、昨夜掛け軸が激しい音をたてて落ちたこと、それらが頭の中を何度もくるくると巡るだけで、全身に力は入らず、ベッドから起き上がることすらできない。エリカは病気がぶり返したと心配し、有機ゲルマニウムで治った記憶があるから盛んに飲めと勧めるが、そんな気力さえ湧いてこない。

 天は努力するものを救うはずではなかったのか。

 神や仏さえ恨みたくなったが、こんな苦境に陥れば、天はかならず助けてくれると、浅井は信じた。これまで何度も絶体絶命に追い込まれてきたが、その度にいつも協力者が現れた。今度もきっとそうなる。

 浅井は以前から愛誦する座右の言葉があった。挫けそうになると自分に言い聞かせるように口ずさんだ。

 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる

 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる

 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

 浅井は三日三晩ベッドで寝た切りになり、このまま死んでしまうかもしれないがそれでもいい、とさえ思った。だが、難病に苦しむ人々を、生命の元素、有機ゲルマニウムで救う使命が自分にはあるのだと、腹の奥底から熱いたぎりが噴き出し、座右の言葉を繰り返し愛誦し、気力を奮い立たせた。

 四日目にやっと起きられるようになり、使命を果たさなければならないと奮起したが、財産はすべて前畑に奪われ、研究や製造を再開しようにも身動きが取れない。浅井にあるのは有機ゲルマニウムの知識だけという有り様だった。

 それでも浅井は絶望せず、開ける道はかならずあると信じて疑わなかった。もっとも世事に疎い浅井は、無から有を生じさせる知恵はなく、どう再起するか思い悩むだけで、時間だけが無駄に過ぎていった。

 そんな時、石炭綜合研究所の所員だった小松泰司が訪ねてきた。小松は研究所時代に経理を担当していた。有能な実務家である。

「柿本君から詳しい話を聞きました。私でできることならなんでもしますから、研究を再開してください」

 見れば小松は血色が良く、研究所時代に起こした超音波事業のタンケン株式会社が順調で、貯金がそれなりに出来たから使ってほしいというのである。

 懐かしさと思わぬ申し出に、浅井は自然と頭が下がった。鬼や悪魔だけかと世を恨んでいたが、やはり善意の神はいる。小松の好意に報いるためにも、有機ゲルマニウムを世に普及しなければならないと、浅井は改めて自分を叱咤激励した。

 再出発するにしても、まず有機ゲルマニウムを製造しなければ始まらない。浅井は気を取り直し、自宅からほど近い小工場群で使っていない物置を見つけ、わずかな家賃で借りることに成功した。

 小松は海軍時代の友人で、貿易会社を経営する丹野を紹介してくれた。丹野は俳優の丹野哲男の実兄で、体調を崩していたのを有機ゲルマニウムで快癒していたから、協力的だった。一億円を出してくれ、製造に必要な設備一式を買い、再出発の準備を整えてくれた。

 物置の土間にコンクリートを打ち、有機ゲルマニウム合成用の電気炉を取り付け、実験台も据えつけた。必要な金はすべて丹野が拠出してくれた資金で賄え、有機ゲルマニウムの製造を再開できたのである。

 浅井とずっと行動をともにしてきた柿本が、ここでも血の滲むような努力をして、月産五キログラムの生産体制に入った。

 浅井が有機ゲルマニウムの製造を再開すると、人づてにさまざまな人たちが訪ねてきた。もちろん難病患者や身内に病人を抱え、藁をもつかむ気持ちで来訪した人たちである。

 医薬品として有機ゲルマニウムを渡せば薬事法違反となるため、訪ねてきた人には新たに作ったゲルマニウム愛好会の会員になってもらい、研究費として実費を受け取ることにした。会員組織は前畑が口にしていたことで、それがこんなところで役立つとはと、浅井は苦笑を抑えられなかった。

 浅井は新しい人に有機ゲルマニウムを渡す時、かならず二つのことを話すことにしていた。まず、有機ゲルマニウムは従来の薬品と違い、体内の酸素を豊富にして自己治癒力で病気を治すものである。だから、絶対的に信頼し、自己治癒力を衰えさせないためにも、酸性体質にならないよう食事に十分な気を払うことという注意である。

 二つ目は、浅井が二十数年もの間、ゲルマニウムに執念を抱いてきたのは、有機ゲルマニウムで難病に苦しむ人を救うという、天から授けられた人類救済のビジョンがあったからである。だから、病人は祈りを込めて有機ゲルマニウムだけを服用し、ほかの薬は一切使わないでほしい、という内容だった。

 なぜかといえば、薬品一般は対症療法として使われるが、有機ゲルマニウムは病気の体質を酸素を豊富にして改善し、自己治癒力で癒すものだから、薬品と同時に服用するとせっかくの効果が薄れてしまうからである。

 訪ねて来る人は日を追って多くなり、会員の人数は膨れ上がっていった。薬事法でいう不特定多数に売っているのではないと主張しても、色眼鏡で見ればそうは受け取れないようで、さまざまに中傷され、警察や厚生省の目を気をつけなければならない状況になっていった。どうすれば危険な状況を打開できるか頭を悩ませていた時、浅井の名前で申請していた特許が成立した。昭和四十六年三月のことである。

 成立した特許の命題は、「生体内の異常細胞電位を変化させ、その機能を停止させる作用を持った化合物の製造法」というもので、腹水癌細胞に有機ゲルマニウムを作用させてできた変性像の顕微鏡写真を添付してある。この写真を詳細に見ると、癌細胞が爆発したように粉々になり、細胞膜の周囲にぼんやりした発光現象が見える。これが将来、重要な現象であることがわかっていくが、この時の浅井はそこまで考えが思い至らなかった。

 特許成立を機会にゲルマニウムの研究は大いに進んだ。自らの体験で有機ゲルマニウムが病気に有効なことはわかっていたし、古い文献にも体内の赤血球を増加させると記されていたが、具体的なメカニズムとなると、異常細胞の電位変化ということしかわからなかった。だが研究の結果、有機ゲルマニウムは体内の酸素を著しく増加させるという、浅井の推測を事実として確認した。

 人間は生きていくために食物を摂り、食物は体内で燃焼してエネルギーを作り、最後は炭酸ガスと水素になる。炭酸ガスは呼気で肺から排出され、水素は酸素と結合して水になって体外へ出るというのは、生理学の基本である。

 この水素は陽イオンで、生体にはまったく不要なダストのようなものだから取り除かなければならないが、そのためには大量の酸素が必要となる。だが、浅井の有機ゲルマニウムは強い水素結合力があり、

服用すると酸素の代わりに水素と結びつき、二十 三十時間で生体内からすべて尿となって排出される。つまり水素を排出するための酸素の使用を抑え、結果的に体内の酸素量を増やすのである。

 酸素の増大という仮説を裏付けるように、有機ゲルマニウムを飲んで十分もすると身体中が温かくなる。

 だか、それを誤解する人もいた。ある日、五十歳ほどの品のいい婦人が二人の女性に付き添われて自宅を訪ねてきた。良く見ると、映画ファンにはお馴染みの栗栖という女優で、映画界を引退したあとは日本舞踊の師匠として活躍している人だった。

「手先と足先が痛んでどうしようもありません。あちこちの医者にかかったのですが、難治性の病気だといわれ、いくら薬をもらっても治りません」

「医者は病名を教えてくれましたか」

レイノー病だそうです」

 病名を聞いて浅井はなるほどと思った。レイノー病は現代医学ではお手上げで、病気が進行すれば手足が壊疽を起こし、切断しなければならなくなる。

「たしかに難病ですが、心配はありません。ゲルマニウムを信じ、かならず治ると念じてください」

 浅井はレイノー病について説明し、顔をしかめて聞いている栗栖に有機ゲルマニウムの水溶液をウイスキーグラスに注いで手渡した。栗栖は恐る恐る水溶液を飲み干した。

 ゲルマニウムの説明を続けていた浅井を、いきなり栗栖がきつい目で睨み付けた。

「先生。私にお酒を飲ませましたね」

「どういうことですか。私はゲルマニウムの水溶液を差し上げただけですが」

「絶対にお酒です。その証拠に、身体中がぽかぽかと温かくなって、お酒が回ってきた時と同じです」

「それはゲルマニウムが効いてきた証拠です」

「あっ! 手がこんな色になりました」

 来た時は血の気がなかった手の白い指が、ピンク色に染まっていた。まるで別人の手のようである。

「痛みも軽くなっています」

 栗栖は自分の手を見つめ、目に涙を浮かべた。来た時は足を引きずるようにしていたが、帰りはしっかりした足取りをしていた。

 まさか酒と勘違いされるとは思わなかったが、わずかな時間でこれほど効果があるとは驚きだった。

  以前も画家や彫刻家、音楽家などの芸術家が有機ゲルマニウムを服用し、当人よりも浅井の方が驚くばかりの効果を上げていた。栗栖との出会いで、有機ゲルマニウムは心が純粋な人には、想像をはるかに上回る効果を発揮すると浅井は確信した。

 有機ゲルマニウムを飲めば血液の粘りが低くなって血色が良くなり、さらにあくびは出なくなるし、一酸化炭素の中毒が立ちどころに治るという結果が出ている。

 酸素は人類が生きていくのに不可欠なもので、欠乏すれば万病が起きるというのが浅井の考えである。

 同じ意味のことが、癌の世界的研究者として有名なドイツのワールブルグ博士の論文に載っている。人体の細胞は好気的生活を行っているから、酸素が欠乏すると、生き延びようと生体内の細胞が変化し、解糖作用をはじめて嫌気的生活に転じる。この細胞の核が癌細胞の核と一致するというのである。

 さらに、ストレス学説のセリエ教授は、生体臓器に流入する血液の量を血管を軽く縛って減らすと、その臓器に病変が起きることを明らかにした。血液の量を減らせば酸素を運ぶヘモグロビンの供給が減少し、酸素欠乏につながるためである。

 酸素不足がすべての病気の元凶といえるが、体内の酸素が不足する最大の原因は酸性体質である。血液中に水素陽イオン、いわゆるプロトンが多いと、血液は酸性に傾く。この水素イオンは酸素イオンと結合して水酸基を作るが、そうなると体内の酸素が消費され、酸素欠乏を起こすのである。

 ストレスも酸素不足の大きな原因になる。セリエ学説では、人間でも動物でも、精神的ストレスで主に副腎から分泌されるホルモンがアンバランスとなり、血液を酸性にし、酸素欠乏につながると言っている。

 血液を酸性にする食事や精神的ストレスが酸素欠乏を引き起し、それが難病の原因になっていく、と浅井は断定せざるを得ない。

 東洋医学では、健康を維持するには陰陽のバランスの取れた食事をするよう指導している。偏った食事を続けると体質が酸性になり、さまざまな病気が起こると指摘しているが、分子生物学の発展で水素イオンがその元凶とわかったわけである。

 酸素欠乏が原因で起こる難病に、有機ゲルマニウムが絶大な力を発揮することがわかったが、一般に普及させるには薬事法の認可を得なければならない。折しも、昭和三十七年にはサリドマイド含有睡眠薬で奇形児が生まれ、四十年のアンプル入り風邪薬による死亡事件、四十五年のキノホルムによるスモン事件など、薬害事件が相次いでいた。このため、厚生省は医薬品製造承認等に関する基本方針を打ち立て、薬務局長名で通達していた。

 一、医療用医薬品はその他(家庭薬)と区別して取り扱うこと。

 一、製造承認申請書類に添付する資料の規定を明確にし、特に安全性と有効性に関し               ては十分な資料の提出を求め、使用上の注意に関する案文も提出すること。

 一、新薬品は発売後二年間の副作用報告期間を義務づける。

 一、製造が承認され、薬価基準に収載されたものは、その後三カ月以内に供給を開始            し、一年以上供給を続ける義務がある。

 薬害事件が深刻化したゆえの通達だが、有機ゲルマニウムの製造承認を受けるには、この基準をクリアしなければならない。

 もちろん、浅井一人の力でできるはずはないが、有機ゲルマニウムの効力は良心的な医師にも認められ始めていた。浅井はあらゆる人脈を使い、有機ゲルマニウムの製造承認を得るための努力を開始するが、それが厚生省や薬品会社という権力、学者のエゴとの戦いの除幕になろうとは、人を疑うことを知らない浅井には、予想すらできなかった。