国の本つ姿を求めて

序 君、国売りたもうなかれ

 此(こ)の国は伊多佐夜藝有(いたくさやぎあり)て、蠅声(さばへな)す邪(あ)しき政治屋や新聞屋どもは、地震(ない)振(ふ)りて津浪(つなみ)起こり、数多(あまた)の國(くに)民(たみ)を一道(ひとみち)へ押し流した哀しみと、塗炭の苦しみに悶え、生き死にの境を彷徨(さまよ)う青人草(あおひとくさ)を忘れ、原子力発電所の深刻な事故を保身に利用し、己(おの)が地位や爛(ただ)れた欲望を満たすことにひたすら邁進(まいしん)し、人の心を失いたり。

それを正すべき大新聞である朝日新聞は、従軍慰安婦という嘘の記事を捏造し、毒を世界にばら撒き、日本国民を貶(おとし)めたにもかかわらず恬(てん)として恥じようせず、他の新聞やテレビも、敵意を持っているかの如(ごと)く、祖國を悪し様に罵る始末なり。                             

 是(ここ)に天つ神、諸々(もろもろ)の命以(も)ちて、此の國(くに)に多(さわ)在(な)る荒振(あら)ぶる邪(あ)しき政治屋や新聞屋どもを言趣(ことむ)け和(やは)せとのりたまひき。

 

 神代に、天照大御神が天岩屋戸に閉じこもられた時のような、暗黒世界が国民を苛んでいる。日本列島を思考停止という物の怪(け)が大手を振って闊歩(かっぽ)し、理性の光を遮(さえぎ)っているからである。

 物事を自分の頭で考えられなくなり、パブロフの犬のように条件反射で政治や経済を批判し、さらに自らのアイデンティティであるはずの日本文化を貶(おとし)め、厚顔にも平然としている人間の何と多いことか。思考停止すると、平和、人権、平等至上主義などと、ステレオタイプの主張しかできなくなる。

 それらが大切なことに異存はないが、ではどうやって具体的に実現するかになると、恥ずかしくなるほどの思考停止状態を露呈し、抽象的な言葉の羅列に終始し、建設的な提言は皆無となる。

 日本の歴史を否定するプロパガンダで刷り込まれたスローガンを、何の疑いもなく信じ、衝動的な発言をするからである。

 いわく、日本は戦争を起こした悪い国だから、「平和憲法」を護らなければならない。A級戦犯が祭られる靖国神社の総理参拝は許されない。日の丸と君が代は国旗国歌ではない。教科書検定基準の近隣諸国条項で近隣諸国の問題について教科書検定をしてはならない。社員を搾取している大企業の経営側と、労働者は闘わなければならない。などなど、あきらかに首を捻らざるを得ない主張が続出する。

 これに少しでも異を唱えると、極右とか右傾化と罵られる。

 大東亜戦争の敗北で、日本弱体化を狙った連合軍総司令部(GHQ)による占領政策に、今でも心の奥底まで洗脳されている故である。

戦後は終ったというが、物質的、経済的にはそうでも、国民の多くはいまだに洗脳が解けず、思考停止が続いて精神的にはまだ終っていない。

 人間はオギャーと生まれてから長い時間をかけて言葉を覚え、意思疎通を図るようになっていく。言葉がなければ、日常生活すらままならない。しかしその大切な言葉が、思考停止のせいで本来の意味を失い、上滑りな雑音になってしまった。

 若者たちのはやり言葉を指しているのではない。一時的な流行語など、時を経(へ)れば自然淘汰され、いずれ消えていくが、時の最高権力者、総理大臣の言葉は、国政を司る重みからも、若者と同列に扱うことはできない。

 しかし、漢字をきちんと勉強したのかと疑うほど読み方を間違えた総理、ハトの鳴き声を真似し、意味のない言葉をぺらぺらと喋りまくり、「ルーピー」と揶揄された総理、何かの間違いでなってしまい、思いつきばかりを口にし、辞める辞めないで醜態をさらけ出して、一部新聞に「アレ」と化(ば)け物扱いされた総理……。

 こんな茶番劇を見ていると、言葉は何と軽くなってしまったかと、嘆かざるを得ない。

 保守系の政治家も革新系の政治家も、言い換えれば右も左も口先だけで、いずれも実行力は皆無に等しい。彼らには、国平(たい)らけく民(たみ)安(やす)かれという「祈り」がなく、私利私欲、党利党略しか念頭にない。

 そして行政は、国益どころか省益のみを優先させ、特別会計特殊法人を隠れ蓑に、肥え太ることしか考えていない。さらに経済界は、企業利益至上主義に陥り、社員やパート従業員を低賃金に甘んじさせ、下請け企業の育成どころか下請けいじめを平然と行い、民への思いやりを失った。それでは国民の生活が豊かになるはずがない。

 国民のためにという耳あたりのいい言葉を、政治家や官僚、財界人がどれだけ口にしようと、心の底からの「祈り」がない薄っぺらな発言が、実現するわけもない。

 声だけがいくら大きくても、「祈り」を忘れた言葉は無力である。いや、死んだと言ったほうがいい。長い日本の歴史の中で、今ほど、言葉が空虚になった時代はないだろう。

 無責任な発言、言い逃れ、はては記憶にない、などなど、言っている本人たちは恥ずかしくないのだろうか。この人たちは、自身を省みることがあるのだろうか。人間の品性がこれほどまで劣化するとは情けないかぎりだ。

 言葉を大切にするのは、古今東西どこの国でも同じである。だが、それが我が国では崩れかけている。

 言葉は伝統や文化、歴史の根源である。そしてそれらは、民族の「いのち」である。だから、言葉は熟慮し、正確に発音しなければならない。

 言葉が乱れ、伝統や文化が廃(すた)れ、歴史が歪められたら、その国はよって立つ基盤を失う。政治は腐敗し、贈収賄が横行し、やがて滅びゆくのは、栄華を誇ったローマ帝国や、中国の歴代王朝を例に挙げるまでもない。

 ひるがえって現代、日本は戦争を起こした悪い国だからと、伝統や歴史を否定し、虚偽を加えた戦後教育を自ら施した結果、人間性を疑う人物が相次いで総理大臣になった。

 日本の伝統ある文化や歴史を否定したGHQの占領政策、すなわち日本弱体化政策が、いまだに日本を覆い、日本人の思考を停止させているからにほかならない。

 さまざまな占領政策の中で、現在もなお大きな負の遺産となって影響しているのが教育である。サンフランシスコ講和条約の締結で我が国が独立を回復したあとも、時の為政者が何の抵抗もなく占領時代の教育政策を継続したからである。

 歴史教師は平然とマルクス唯物史観を教え、日本は「侵略戦争」を起こした悪い国だと子供たちに自虐意識を刷り込んだ。さらに、新しい文明や技術は中国大陸や朝鮮半島からもたらされ、日本独自のものは皆無だと、事実に反して我が国の後進性を強調した。

 そして○×方式の二者択一教育や、記憶力至上主義の詰め込み教育は、子供たちから自分の頭で熟慮する思考能力を奪い、物事を衝動的に判断し行動する人間を作り出した。

 熟慮しないまま詰め込んだ子供のころの記憶は、単なる物事の記憶にとどまらず、大人になってから「事実」として認識するようになる。教育の恐ろしさだ。

 これらの偏向教育は、近・現代史だけでなく古代史にも及び、伝統を否定し、誤った歴史観を刷り込み、思考停止と自虐思想を蔓延させている。

 思考停止の結果、恐ろしい事態が蔓延している。

 自己の目的のためには手段を選ばず、平然と嘘を言い、他人を思いやるどころか当然のごとく足を引っ張る自己中心主義が横行している。モンスター何とかと呼ばれる人たちはその典型である。犯罪予備軍といっても過言ではない。さらに親が子を殺し、子が親を殺し、無差別大量殺人が相次いで発生するなど、悲惨な事件が目につくばかりだ。

 国家を平安に導くべき政治家の中には、強いものに迎合し、相手の関心を買うことに熱心なあまり、おもねる発言をする輩(やから)がいる。尖閣諸島の帰属を棚上げする密約があったとする野中広務官房長官や、鳩山由紀夫元総理の一連の発言などは、その代表例である。

 彼らに共通するのは、故人となった誰それに直接聞いたと、確認の取れないことを、あたかも秘密の事実らしく発言するところだ。さらに自分の考えを、いつの間にか事実と思い込み、頭の中で作り出した妄想だとも疑わず、大声で主張することも似通っている。

 偏向した戦後教育の恐るべき影響は、朝日新聞毎日新聞東京新聞共同通信、NHK,テレビ朝日、TBSなどの大マスコミにも及んでいる。一九六〇年と七〇年の日米安全保障条約改定時に、激しい反対闘争を繰り返した日本共産党の学生組織・民主青年同盟(民青)や、全学共闘会議全共闘)の活動家やシンパがマスコミの幹部になり、過去の間違った活動を反省することなく、若い記者を反日報道に誘導しているからである。

 原子力発電所問題もそうだ。我が国は世界唯一の被爆国だから、核兵器根絶を唱えて当然だが、一部の学者が作り出した「被爆量はわずかでも危険」という、誤った「放射線量神話」を信じ込まされ、反政府活動に利用されている。さらには、朝日新聞福島第一原発「吉田調書」のように、誤報(捏造)で原発の恐ろしさを強調し、反原発意識を煽る輩もいる。

 秋田県玉川温泉鳥取県三朝温泉のように、難病に効くとされている温泉が、多量の放射線を放出していることだけをみても、この放射線神話のいかがわしさがわかる。

 政府は感情的な主張に惑わされることなく、福島原発事故の被曝被害について、科学的、疫学的立場から冷静に詳細に調査しなければならない。政府の調査不足と広報不足が、原発事故による被爆で鼻血が出るなどという妄想を生む原因になる。

 わずかな例を挙げただけでも、思考停止の最大の原因であるGHQの戦後教育を、ひとかけらの見識もなく推進した時の政府や教育官僚、それに輪をかけた教職員組合、大マスコミの意図的なあおり報道などの責任が、いかに重大であるかがわかる。

 朝日新聞慰安婦問題と原発「吉田調書」の誤報(捏造としかいえない)を認め謝罪したが、反日反保守反財界という刷り込まれたプロパガンダを頭から信じ込んで報道の前提にしているから、記事を捏造し大誤報をするはめになる。

 思考停止の結果、大マスコミはGHQに押し付けられた日本国憲法がうたう民主主義を金科玉条にして、権利だけを主張する自己中心の利己主義を蔓延させ、我利我利亡者ばかりを生み出してきた。

 君、売国奴となって国滅ぼすなかれ。

 これは愛国を標榜する保守や右系の人たちにも言える。根底に「祈り」がないまま、隣国などの侵略共産主義を批判し、左翼陣営を攻撃していては、思想が違うだけで、彼らと同じ立ち位置になってしまう。

 GHQの占領政策は過酷なものだった。日本を占領するや神道指令によって日本人の精神的支柱を破壊し、天皇のいわゆる「人間宣言」で神国思想を否定した。

 極め付きは極東国際軍事裁判東京裁判)で、大戦後に戦勝国が一方的に決めた「平和への罪」を、過去に遡及させてはならないのに戦争前まで適用し、A級戦犯という犯罪者を新たに作り出し、無惨にも処刑したことである。勝者による敗者への報復以外のなにものでもない。

 そして、わずかでも愛国的なことを発言する人間を公職追放し、兵糧攻めで転向を強要した。教科書裁判で有名な家永三郎は、戦前は皇国史観の持ち主で、敗戦直後に主張を翻した転向組の典型である。生活のために転向する人間が続出し、学界や教育界は一気に売国化した。我が国が独立を回復するまで、公職に就いていた学者や教育者で、日本の国を真剣に憂えた人間は皆無だろう。

 戦前、軍部に協力した前非を悔いて沈黙するならともかく、GHQの尻馬に乗って反祖国発言を公然とするとは、何とあさましい行為か。

 教育は後々まで影響を及ぼす恐ろしい力を持っている。だからこそ、自分の頭で考えられる環境をつくり、思考停止から脱しなければならない。

 間違った教育の恐ろしさは、反日教育を行ってきた中華人民共和国中共)や大韓民国(韓国)を見れば一目瞭然である。両国国民は尖閣諸島竹島、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などというフレーズに思考停止し、衝動的に反日を叫び、集会やデモで気勢を上げ、暴動にまで過激化する。彼らもまた、自国政府に思考停止させられた被害者である。

 だが最近になり、我が国では思考停止の分厚い覆いが、少しずつ綻(ほころ)んできている。

 私の学生時代や新聞記者時代は、日本国憲法廃棄、自主憲法制定、東京裁判批判、共産主義の誤謬などを口にすれば、右翼反動分子のレッテルを貼られ、激しく罵られた。そればかりか、身の危険すら覚えたものである。

 しかし、中共や韓国の反日騒動に感情を揺さぶられた日本国民が、何が真実か自分の頭で考え、発言するようになってきた。

 南京大虐殺従軍慰安婦の嘘、尖閣諸島竹島の領土問題などの誤った歴史認識は、多くの良心的な学者諸氏や著述家によって、真実を明確にした研究成果が発表されている。

 しかし古代、優れた技術や宗教、思想は、大陸中国朝鮮半島からもたらされたという誤った拝外思想がいまだに信じられている。

 菅直人内閣時代の仙石由人官房長官は、尖閣諸島海域で中共漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件の国会答弁で、「中国から伝来した文化が日本文化の基礎になった」と平然と言ってのけた。それも敬語で……。無知もはなはだしいとしか言いようがない。

 拝外思想はこのように東京裁判史観と同様、日本国民の思考停止を助長している。

 自虐史観の批判は優れた名著に譲り、ここでは誤った常識を信じ込まされている古代史や神道の真実を明確にしたい。国の歴史や伝統文化は、国民一人ひとりが寄って立つ基盤だからである。

 最初に誤って記憶すると、その上に構築される知識や思想、哲学は歪んだものになる。建物の基礎が歪んでいれば、そこに建つ建築物が、上へいくほど歪むのは当然の帰結である。ありもしなかった南京大虐殺を、最初に「あった」と間違えて認識すると、後は「あった」ことを前提に知識を深め、理論武装することになる。誤りを誤りの鎧が覆い、事実とはかけ離れた妄想が出来上がっていく。

 言葉乱れれば人心乱れ、人心乱れれば国乱れる。国乱れれば、さらに人心や言葉が乱れる。そして、国や人心が乱れれば、自然すらも乱れる。東日本大震災や全国の大雨被害などの大災害が続くのは、自然が乱れた結果ではないか。

 フリーランス神主を名乗る鎌田東二氏は、このところの相次ぐ災害を「日本をその根底から立て直せというメッセージ」(現代神道論 春秋社)と受け止め、神々から大きな警告が発せられたと訴えている。

 古代の日本人なら、大災害の「原因」は政治や人心の乱れだと恐れおののき、為政者は正しい道へ戻そうと、身を慎んで潔斎し、神祭りをしたに違いない。目に見えない神々の前で厳しく内省し、国家安泰を真摯に祈ったことだろう。

 そして祈れば、良心に従って善政を施すようになる。

 私たちはいま、神代から伝わってきた言葉を大切にし、「国、民、安(やす)らけく平(たいら)らけく、弥栄(いやさか)えませ」という「祈り」を甦らせる必要に迫られている。

 そして、何が正しいか自分の頭で考え、誤った古代史観や近・現代史観を克服すれば、わが日本は神々の加護を得て、輝く未来を迎えられるだろう。

 心ある人々の真摯な祈りを、日本の神々は嘉(よみ)するに違いない。