永遠なる魂  第六章  あすに向かって 3

              3

 研究所を挙げて申請書類の作成に没頭している最中、大手医薬品メーカーの大山という役員が浅井を訪ねてきた。細面の大山は背が高く均整のとれた体格で、一目で高級とわかる紺のスーツ姿は切れ者という印象だった。

有機ゲルマニウムの研究がお進みになっているようで何よりです。私どもはご存じとは思いますが、医科向け医薬品ではトップメーカーで、新薬の認可申請に精通しております。私どもに有機ゲルマニウムを新薬として認めさせるお手伝いをさせていただけませんでしょうか」

 研究所の所長室で浅井と向かい合った大山は、挨拶の後、いきなり切り出した。

「手伝うとおっしゃると?」

 大山の狙いが何なのか見当がつかず、浅井は正面から整った顔を見つめた。

「これだけの効果がある薬を、治験薬の段階にとどめておいてはなりません。医薬品として厚生省に認めさせ、健康保険で大勢の人たちが使えるようにする必要があります」

「もちろんそのつもりで準備を進めております」

「臨床例は集まっておられますか」

ゲルマニウム研究会の参加者から、数多くの報告が届いています」

「毒性試験や副作用など、安全性確保の問題はクリアされていますね」

北里大学で完了しています」

ゲルマニウム研究会から治験薬としての臨床例が報告されていると察しますが、二重盲目試験は進められているのでしょうか」

 二重盲目試験は患者を二群に分け、新薬を投与するグループと、形状は同じだが新薬と偽って小麦粉のように効果のない物質を与え、治療の差を確認するものである。薬として渡されると、プラシーボ効果といって暗示で効き目が出ることがあり、患者を二群に分けることで新薬が実際に有効かどうか確かめるために行われる。

「まだゲルマニウム研究会から報告はありません」

「となると、新薬の認可申請は先になりますね」

「目下、粛々と進めているところです」

「しかし、二重盲目試験がまだでは時間がかかりますね」

 大山は黒縁の眼鏡の奥の目を鋭く光らせて浅井を凝視した。浅井は大山が何を言いたいのかわからず、黙って目を見返した。

「私どもから、一つの提案をさせていただきたいのです」

 大山は浅井の困惑を敏感に察したようで、目の光を和らげ唇に微かに笑みを浮かべた。

「どういうことでしょうか」

「大変失礼な言い方ですが、こちらのような研究所では、独力で新薬を承認させるのは容易ではありません。不可能というわけではありませんが、薬事審議会の承認を得るには、膨大な資料を規格通りにそろえなければなりません。それには大変な労力が必要で時間もかかります。せっかくいい薬を開発しても、患者さんが使えるようになるのはいつになるかわからないのでは、価値がないと言えるのではないでしょうか」

「大変なことは理解しておりますが、これまでも独力でやってきました」

「患者さんに早く使用してもらいたいと願っていらっしゃいますね」

「もちろんです」

「それで提案というのは、私どもに臨床試験をお任せ願えないかということです。新薬承認された場合は、私どもが独占販売権を持つということで。もちろん、パテント料は満足されるものをお支払いできると思います」

「要するに、GE-一三二の特許権を売れということですか」

「端的に申しますと、そういうことになります」

「せっかくのお申し出ですが、お断りさせていただきます」

「パテント料でご不満なら、これまでの研究開発費を当方が負担し、さらに特許が切れるまで、それなりの研究費を補助するということではいかがですか」

「以前にも同じような申し入れがありましたが、断らせていただきました。医薬品メーカーに権利を売るのも一つの考え方かもしれませんが、ゲルマニウム研究会で臨床試験が進んでおりますので、自分たちの力で新薬承認を得たいと思っております」

「先程は不可能ではないと申しましたが、歯に衣着せず言わせていただけば、薬事審議会に新薬を認めさせるのは、針を通す隙間もない狭き門です。有機ゲルマニウムを大衆が使えるように薬価収載するには、私どものようなメーカーと手を結ぶのが早道ではないでしょうか。それが患者さんたちの利益につながります」

認可申請の準備は進んでいます。私どもだけで承認を得る考えです」

「これだけお願いしても、ご了解いただけませんか」

「ありがたいお申し出ですが、最後までやり通すつもりです」

「残念ですね。患者さんのために、認可が得られることを祈らせていただきますが、特許権がある間に承認される望みはないでしょう。特許が無効になってから認可されたのでは、開発者の利得は失われてしまいますよ」

「私は儲けるためにゲルマニウムの研究を行ってきたのではなく、難病に苦しむ患者さんたちを救いたいという一心で、骨身を惜しまずここまできました。その決意に変わりはありません」

「そこまでおっしゃるなら、もうなにも言いません。ですが、後から後悔されても遅いとだけはご忠告させていただきます」

 大山は頬に薄笑いを浮かべ、冷やかな目で浅井を眺めた。素人に何が出来るとあざ笑っているようで、浅井は不快になったが、表情を変えることなく大山を送りだした。

 認可申請の書類作成は、大山に指摘されるまでもなく、少人数の研究所には荷が勝ちていたが、準備は遅々としながらも着実に進んだ。

 薬品メーカーに任せれば、準備がはかどっただろう。彼らが安い値段で大勢の人たちに供給する考えなら、浅井としても権利を譲っても構わない。だが特許権を売れば、彼らは先行投資を回収しようと、目の飛び出るような高額で独占販売するに違いない。

 それではだれもが簡単に使え、難病から解放される劇的な薬を患者に供給するという、浅井の信念と相いれない。

 それに浅井が考えているのは、発症した難病患者の治療だけではない。GE-一三二を常用すれば、酸素不足からくるさまざまな疾病が予防できるのは、これまでの経験から疑いない。病気に罹かってから治療するのではなく、予防医学の根底にGE-一三二を位置づけるべきだ。予防して難病を発症しなければこれに勝るものはなく、結果的に、年々増大していく治療費を抑制できる。健康保健を支払っている、すべての人々の利益につながるのである。

 浅井が書類の作成に没頭している間に、東北大学医学部細菌学教室は、「驚異の生体防衛 インターフェロンとガン 」と題し

た十六ミリカラー、四十二分の科学映画を作成した。試写会に招かれ映画を見た浅井は、よくぞここまでGE-一三二を研究してくれたと、鼻の奥が熱くなった。

 映画はインターフェロンが“夢の新薬”として脚光を浴びた場面から始まり、ウイルスの生態について説明し、インターフェロンが増殖を抑える効果を、わかりやすく鮮明な映像で追っていた。

 その後、マウスを二群に分け、一群にはGE-一三二を投与し、インフルエンザウイルスを感染させ、症状がどうなるか観察している。非投与群は短期間ですべて死亡したが、投与群の多くは生き残っていた。

 そして映画は、癌に対しても同様な実験を行っていた。マウスに腹水癌の細胞を接種して二群を観察し、非投与群は間もなくすべてが死んだのに、投与群は十匹中四匹が死んだだけで、残りの六匹は生存していた。GE-一三二が癌細胞にも顕著な効果を示すことが、明確に示されたのである。

 では、なぜ癌が抑えられるのか。映画はGE-一三二によってインターフェロンが誘発され、それがNK細胞やマクロファージを活性化させ、癌細胞を攻撃していく様をはっきり映し出していた。

 癌の中で最も悪性とされる、メラノーマ・癌細胞にGE-一三二を作用させ、インターフェロンを誘発し、免疫細胞がどのように闘うかを顕微鏡がしっかりとらえていた。

 オタマジャクシのように尻尾のあるNK細胞は、足を広げて癌細胞に吸着し、体を揺さぶるように攻撃をかけていく。そして、癌細胞は飛び散るように破裂した。殺し屋キラーの呼び名がふさわしい果敢な動きである。

 マクロファージも負けてはいない。活性化された貪食細胞は癌細胞を取り囲み、ラッフルという薄い幕を広げ攻撃目標と接触する。この接触でマクロファージは水解酵素を癌細胞に注入する。その酵素が癌細胞の細胞質を崩壊しているのか、攻撃目標は明らかな異常を見せはじめた。そしてメラノーマ・癌細胞は細胞質が崩れ落ちるように死んでいく。それをマクロファージが貪食し、次の獲物を求めて動きだす。

 映画は、癌細胞にNK細胞とマクロファージが共同で攻撃するところも映し出しているが、それぞれ単体で立ち向かうより、はるかに攻撃力は凄まじく、癌細胞が死滅していくのである。

 NK細胞とマクロファージが癌細胞を攻撃する場面が映像としてとらえられたのは世界初で、インターフェロン誘発剤のGE-一三二が癌治療に有効だということを、映像は明確に証明していた。

 映画は感動的なナレーションで終わっていた。

 これまでのガン治療の隘路は副作用にあった。

 しかし、これら免疫賦活剤(アサイゲルマニウム)は、生物が本来備えている生体防御機能や、インターフェロン・システムを、最大限に活用し、生体それ自身の力によって、ガンを制圧しようとするもので、画期的な意義をもつものといえよう。

 生体の持つ、驚くべき自己防衛の機構は、まことに生命の神秘を奥深いものにし、果てしないかに思える。しかし、現代の科学の進歩は、確実にその道程を前進している。

 

 人類のあすを目指して

 あすへの光を目指して

 

 GE-一三二が癌に顕著に効く理論的裏付けは、東北大学医学部が作成した映画で明確に示された。あとは臨床例を集めて新薬としての認可申請を行うだけである。

 そして臨床例は、ゲルマニウム研究会の参加医師から続々と寄せられ、短い期間に三百例を超え、それを分析して整理し、認可申請の規定に従って作った書類はレポート用紙五百枚にも上った。癌を中心にしたさまざまな難病治療で、GE-一三二が著しい効果を上げたという内容で、これだけの症例があれば新薬承認は間違いないと思われたが、惜しむらくは治療対象が一つの病症に絞られていないことだった。

 それでも癌患者の五割は進行が抑えられ、七割の患者の体調が改善され、亡くなった例でも二割近くが末期の苦しみから解放されていた。投与例の実に九割に何らかの効果があったわけで、これだけの実績があれば、どう間違っても、審議会で否決される恐れはなかった。